ひゅっと誰かが息を呑む様な音がして夏目が眼を見開くと、名取の左肩には二本の箸が突き刺さっていた。
はだけた浴衣から痩せた名取の右肩だけが晒され、その骨ばった躰に箸が一組直立している。
夏目が先程まで使っていた筈の箸である。
「夏目、行儀が善くない」
名取は茶碗と箸を持ったまま姿勢を崩さず、目だけで自分の肩を覗いた。
箸が蓋になり血が出ていない。それほど深く突き刺さっている様には見えないが、箸がぴんと立っているところを見ると浅くもなさそうである。
「痣が」
食卓に乗り上げた夏目は、そのまま動けずに辛うじて一言だけ発した。自分の食事が四方に飛び散り、浴衣や畳を汚している気配だけは感じる。
「座りなさい」
箸が突き刺さったまま、尚も厳しい口調で名取が言う。その光景の間抜けさと痛々しさがあまりに非常識で、矢張夏目は何も言えず黙って座布団の上へ這い戻った。
「箸は無くすし、食事はぶち撒けて仕舞うし。仕様のない子だ」
夏目を叱るその声は、呆れてはいたが怒ってはいない様だった。寧ろ笑っている。
名取がどんな表情をしているかは分からない。夏目は正座した自分の膝小僧だけを見詰めていたから、名取が突き刺さっていた箸を抜いたことさえ気付かなかった。
「そら、箸を返そう」
思わず見上げると、名取の肩には蓋を失い溢れ出た鮮血が一筋、白い皮膚を伝っていた。その赤を啜りに行こうと、黒い家守が目の前を這う。
ああ、頸に――
「夏目!」
突然の大声に驚き我にかえると、夏目は名取が差し出していた筈の血塗れの箸をまた握っていた。
躰全体が強張る。まるで喘息にでもなった様な息遣いだった。
「殺す気か」
撫でられた額が、酷く汗をかいていた。