「俺が間違ってるのか?」
海の底でもの言わぬ貝のような僕の穏やかな沈黙は、沈没船の成仏出来ない幽霊が台無しにする。
ゆらゆら波が揺れるだけの静かな海の底で、登っていく泡が生まれては消えていくのをただ黙って見ていられればそれでいいのに自縛霊のようにそこから動かず彼は言う。
「何とか言えよ」
閉ざした殻の隙間から覗き見ると、幽霊はつまらなそうに顰めた顔を押し出して僕を蹴り飛ばした。舞った砂と一緒に海中に浮かんだ僕は波に身を任せる。そう遠くへは流れない。いっそのことずっと向こうの知らない場所まで行けたらいいのだけど、此処には暗闇しか存在しないのだから何処へ流れついても同じだと思った。
「明日葉」
硬く感覚のない殻を撫でながら幽霊は何度かその名を呼んだ。まるで何十年も昔から供に生きてきた人を慈しむような愛撫は、殻の中でじっとうずくまっている僕には届かない。
「出てこい」
この部屋はいつまでたっても海水のように冷えている。貝殻がわりの布団の隙間から入り込んでくる外気の冷たさに思わず身震いした。暗い海の底で誰にも知られず誰とも口をきかず、ひっそりと暮らすため僕は望んで貝になった。それなのに、ある日沈んできた船を綺麗だと思い見とれている間に、誰もいないはずの僕の世界は少しずつ変わっていってしまった。
「誰を待ってる?」
耳鳴りすらしない無音のこの部屋に、消え入りそうな幽かな声だけが聞こえる。
「あいつは来ないよ。お前が――」
地上の人間には、海底の水が真っ赤だなんてわからない。