先生の肌は血の通わぬ亡者のような色をして、見る者すべてが焦燥や恐怖に後退る。この世の者とは思えぬ顔でそれでも人間らしく振る舞うその様は、自然なのにどこか作り物染みて現実味に欠ける。
どんなに嫌厭されようとけして怖じけることなく莞爾と佇む先生を理解し、慕う人間も沢山居る。何も知らない外野が好き勝手嘯く言葉を総て受け入れ、剰えすべての隣人を愛そうと努める先生が慈愛の塊であることを僕は知っている。

「派出須先生」

今まで何度呼んだか知れない名を呼んで存在を確かめた。
もっと必死に見苦しく足掻いてくれるなら少しは憐憫の情も湧くのに、それでも落ち着き払って鷹揚に微笑みを絶やさないからかえって滑稽に見えてしまう。
平気だよなんて言って笑うけれど、その表情の心理は今の僕には理解出来ない。僕の中に芽吹いてしまった癪の種は、その上手く笑えない歪んだ口元でも感情の浮かばぬ薄い眉でもない。

「御免なさい」

例えばその細い首を掻っ切ったら赤い飛沫が吹き出すだろうか。温かい血液で辺り一面が鉄を舐めたような、それでいて生肉のドロップのような生臭さで覆われるだろうか。斬りつけたところで剥がれた皮の内に新鮮な生きた肉が存在しているかどうかさえ怪しい。
実際に手近な鋏を手にして腹を抉ってみたが、少しどす黒いような血がぼたぼたと床に垂れただけで変わったことなど何もなかった。微かな呻き声が平素の様子よりは人間らしく思えたが、普通こんなに深傷を負った人間はもっと派手に痛がったり叫ぶのではないかと思った途端つまらなくなった。
先生、あなたが本当に人間ならばその腹の中にはきっと――

「虫は何処ですか」

腹でなければ胸か。胸でなければ頭か。いったい何ヵ所探ったら見付け出せるのか、全く見当がつかない。
真っ白な床の上に垂れた血が蛍光灯の光を受けてぬらぬらと輝た。少しずつ拡がっていく血の池が僕の上履きまで届きそうになったが構わない。
右手に温かさが纏わりついて気味が悪いので制服のスラックスで拭っていると、足元でぬるっとした不快な音と共に先生が血溜まりに膝をついた。
それでも床よりも白い先生の顔は、血まみれになりながらもまだ僕に笑い掛けている。今にもお茶を淹れてお菓子を出してくれそうな、何時も通りの先生が僕の目の前に居る。
見下ろした自分よりも一回り以上も大きい筈の躯がひどく小さく見えた。

「化け物」

薄くて脆い硝子に罅が入るような虚しい音は、それっきり止んでしまった。