十の頃、家の中がやけに騒がしかった。丁度桜の蕾が色付き始めて、日差しが暖かくなった頃だった。
春用の新しい羽織を繕わせたから袖を通してみないかと云って母が桐箱を持った御婆と俺の部屋を訪れた日である。

御婆が羽織を包んでいた紙を剥がそうとした瞬間、よく玄関先で見かけた使用人の男が挨拶もなしに襖を開けて部屋へ入ってきた。あまり愛想のない男で話をしたこともなかったので、何の断りもなしに突然自室へ侵入されたことに苛立ちを覚えた。
男は他には目もくれず、無駄のない動きで片膝をつくと母に何やら耳打ちをした。
眉を潜めた御婆が無理にそちらを気にしないよう取り繕っている様が餓鬼の自分にもよく解った。
そんな御婆と母親達を交互に見ていると、元より色白な母がどんどん青ざめて動かなくなったので、まるで其処だけ時間が止まって仕舞った様に感じた。
俺が堪らず母を呼んだのを切欠に男は動かなくなった母を置いてとっとと消えて行ったが、何時までたっても母は指の先一本ぴくりともせずに固まっていた。そんな母に漸く御婆が飛び付いて如何したと肩を揺さぶる光景が、今でも自棄に鮮明に焼き付いている。

その日を境に家の中は落ち着きがなく、外からも見知らぬ大人が出入りして非常に慌ただしかった。
使用人達が家の中を走り回っては絡繰りが作動し、よく女中達の悲鳴が聞こえた。何が起こったのか幼い間抜けな俺には解らなかったが、御婆は俺の部屋に来ては俺の手を取って泣いた。
酷く居心地が悪かった。
親父の顔は餓鬼の俺には能の中で見た一番恐ろしい面の様に見えたし母も御婆の同様泣くばかりで、そういった状況は桜が散るまで続いた。