獲物

彼が脚を挫いた。華奢な身体が揺ら揺ら揺れて斜めになる。彼の身体は紙のように薄い。
「大丈夫ですか」
思わず差し出した手に添えられた彼の手は氷の様に冷たかった。
「ええ、平気です」
曖昧に笑う彼の顔も酷く冷たい。この人に温度のある部分なんてあるんだろうか。
「新井先生に湿布貰ってきましょうか?」
「否、少し躓いただけですから」
今度は面倒臭そうに笑うので、硝子越しに黒目が濁っているとに今気付いた。
きたない。でもきれい。
「先生はもっと栄養のある食事を摂って身体を作るべきですね」
彼が瞬きもせず放心する。
「僕そんなに奇怪しな事をを言いました?」
「いえ。肥えた私を久藤君が捕って食うのかと」
冗談です、と彼がまた笑う。楽しそうに。
「残念ですね。僕にカニバリズムの趣味はありません」
それは残念ですね、と彼は教室の方へ向けて言った。教室の前で木津さんが仁王立ちしているのが見える。
「久藤くん、遅刻です」
廊下の向こう側を伺った瞬間、死刑宣告をされた囚人の様になってしまった彼は殆ど僕のことなど忘れて廊下を夢遊病の患者の様な足取りで歩き出した。
「先生、人肉は羊の肉の味がするらしいですよ」
でも先生は不味そうだ。
「君は本の読みすぎです」
木津さんが彼と僕の名前を叫ぶので、僕も囚人の気分になった。