色盲

私は色が判らない。
色彩のない世界でしか生きられない。
しかしそれには語弊がある。
私が観ている世界には幾つかの色が欠損しているだけで、モノクロオムの世界しか識らぬ訳ではない。
色盲である。
これは先天的なもので、異常だと気付いた時分私はもう高等学校へ入学していたが、これと言って何も感じなかった。
気付くのが遅いとか、誰も奇怪しいと指摘してくれなかったとか思う程度である。
だから嘆くとか絶望するとか、況してや誰かに告げる事もしなかった。
病院にこそ行ったものの完治する訳でもないし、気休めにもならなかった。
そもそも気にしていないのだから関係がない。
そんな事をしたところで私の世界に存在しない色達が或る日突然観えるようになる訳でもあるまい。
凡ての象(かたち)は観えている。それだけで十分だ。
「兄さん、椿が」
私の後ろを歩く弟が控え目に発した声に私は楚々とした印象しか持たない。
それは大いに間違っているし、自分で厭きれてしまう。
例えように択っては金魚の糞である。
私の弟への甘やかし方だとか可愛がり方は異常だといつか忠告されたことがあるが、もう二十年ほど昔のことに感じる。
大して年は離れていないし、下にはまだ妹もいる。
それでもなんだか弟ばかり気にしてしまい、妹はいつでも剥れていたように思う。
弟に特別な感情を抱いているのは事実だが、何かアクションを起こすつもりは毛ほどもない。
弟の象を視感で以て愛でるだけで充分である。
「ああ、もうそんな季節か」
庭に面した廊下には暖が届かないので吐く息は白い。
私も弟も両肩が強張って上がり気味である。
庭には椿の樹が植えてある。
幼い頃から沢山の花を咲かせて悠然と構えていた。
「こんな殺風景な家に真っ赤な花は眼に毒です。目立ち過ぎる。昔から奇怪しいと思っていたんです、この家に椿なんかが生えているのは。訊けば父さんが好きな時代劇に、庭に椿が生えている家が出てきたからだとか言うじゃないですか。馬鹿らしい。どうせ植えるなら白にすれば善いのに」
「ああ。白い椿を流したら攻める合図だとか、そんな話だろう?私も観たなあ。まあ、お前がそう思うならそうすれば善いじゃないか。切り倒して好きに植えなよ――尤も私には観えないから何とも思わないけどね」
「え?兄さん、見えないって何が」
いつか弟が眼にしている極彩色の世界を私も観ることが叶うなら。
椿は弟の唇のように赤く、識り得なかった劣情が産まれる。
そして象だけでは満足出来なくなった欲張りな私は、遂に弟を犯すのだ。
考えただけで鳥肌がたつ。
こんな卑猥なことだって、きっと十年も二十年も昔から想い焦がれていることである。
叶わない、それで構わない。
結局私の世界では象だけが真実なのだから。
「さあ、何が観えないのかな?口が滑ったよ」
椿葉の影、再び改まる。