恋猫

鼻を刺す消毒液の臭い。清潔な物達に囲まれて、私の汚れは浮き彫りになってしまう。新品のガーゼと包帯を身に纏っても心は癒えない。汚れていく一方だ。
必要のない感情を識ってしまった。邪な妄想を浪費して躰を持て余している。子供でもない、大人でもない。だから厭らしい。
貴方が好きで好きで堪らない。私の心には隙間なんてこれっぽっちもない。息さえ出来ないような錯覚に目が眩んだ。
この部屋のあらゆる白が私を拒む。ここを訪れる度私の思考は濁って捩れてぐちゃぐちゃになった。どどめ色に渦巻く私の心はもう元に戻れない。
「胸が、苦しいの」
高が一時の感情にこんなにも苛まれるのなら、始めから識りたくなかった。こんなことになるのなら、いっそ憎悪だとかマイナスの感情に押し潰される方が余程いい。
この人を嫌いになれたら楽になれるの?
勿論誰も答えてはくれないし、そんなこと叶う筈もない。嫌いになんかなれっこない。
「やめてくれ」
私が癒えるより先に貴方が駄目になってしまう。そう言った可能性を考えていなかった訳ではない。だけど拒否されるのは悲しい。こんなに苦しんでいるのに医者の貴方は上部だけ治して、私の中身はいつまでも救ってくれない。それどころかどんどん傷だらけになる。
「苦しいの、本当に。医者でしょう?治してよ」
例えばその新品の包帯で私を吊るそうが縛ろうが貴方の自由だと言っても、恐らく真面に取り合ってくれない。寂しくなる。私に魅力がない?嘘、本当は食べたくて仕方ないくせに。
「今日の治療は終わったんだ。もう帰りなさい」
その清ました顔が舌舐めずりの一つでもしてくれれば私は少しだけ安心するかもしれない。貴方も私と同じ厭らしいただの人間だと判って、至極安堵出来る気がする。
私と同じヒトになって欲しい。
ヒトと言うのは酷く不安定で愚鈍で、不潔な存在なのだ。他ならぬ貴方の弟が言うのだから間違いない。
そう言うと彼は機敏な動きで眼鏡を上げながら、呆れたと言った。
「私は望とは違うんだよ。真面なんだ。そんな言い分はね、ちゃんと地に足付けて真っ当に生きている人間には通用しないんだ。君はどうかしてる」
どうかしてるのは貴方の方だ。謂わば私は据え膳なのだ。同性愛者だとかロリータコンプレックスだとか、余程の性癖で言い逃れない限り私は認めない。
「貴方だって私が好きな筈なのに」
だってそうでしょう?私は貴方が好きだもの。
「君は行く病院を間違えてるよ」

発情した猫は奇妙な鳴き声で泣いた。