子供

医者になると決めたのは名前のこともあるが、幼い頃喘息だった弟を見ていて人知れず私は決断していた。私が医学部へ進むと言い出すと既に弁護士として働いていた兄は顔を顰めてこう言った。
「他人様の死体を切って開にして、そんなことが愉しいのか?」
医者に偏見があるらしい。私からすれば弁護士だって他人の足蹴をとるのが商売のように思えていたから反発すると大層叱られた。法律の素晴らしさだとか私には到底理解出来ない。
医者が居なければ病は治せない。仮に床に伏した時、医者にかからないつもりかと問い質すも、それとこれは違うと言い張った。要は私が医者になるのが気に食わなかったのだ。


「なんで医者なんかになったんだ?血とか平気なのか?」
「は?」
言わばあの忌まわしき兄の分身である交は見事に親子で同じことを訊いてきた。
「医者がいなきゃ人はすぐ死んでしまうよ。それじゃあ困るだろう?」
納得したような解っていないような顔で続ける。
「手術なんか血がいっぱい出るし、内蔵とか丸見えなんだぞ。気持ち悪いの平気なのか?」
「平気も何も――うちはそんな大規模な病院じゃないけどさ。平気じゃなきゃ医者が務まらんだろう?」
その日、そのまま話題はずれ私は事なきを得た。親子揃って医者を悪趣味呼ばわりされては心外である。兄が弁護士を誇りに思うように私だって医者であることを誇りに思っている。
それにしても交はあの行方知れずに似ているだろうか。幼い頃のあの人のことなど私が知っている筈もなく、ましてや私の知っている兄も最近では靄が掛かってよくは思い出せない。勿論写真など持っている訳が無い。


久しぶりに実家へ戻ると早速私は時田に写真は何処に仕舞っているのかと聞いた。理由を聞かれることなく黙って用意されたアルバムやらネガが入れられた缶は少し傷んでいたり、見るからに古かった。新しげなものもあったが、それは恐らく倫のものだろう。
一番初めに捲ったアルバムのページにいたのは真っ白な服で真っ白なシーツに寝ている小さな望だった。望だとすぐ判ったのは写真の端に望を覗き込む私が映っているからで、なんとも微笑ましい写真だった。この頃のことはよく覚えていない。大して年が離れているわけでもなかったので私も幼かったし、ただ自分にも弟が出来て嬉しかったことはぼんやり覚えている。自分も兄になったと威張ったものだ。女物の服装をさせられ不機嫌な顔で並んで立っている自分と望の写真があまりに可笑しかったので、一応時田に断りをいれて持ち帰ることにした。私の方が断然可愛らしいように思う。望に見せてやろう。
何枚も何枚も幼い自分の写真を見ている内に漸く当初の目的を思いだした。憎たらしい顔でレンズを睨む交擬きの写真を見付けたのだ。これも一枚拝借した。
こうして見てみると確かに似ているのだが、この古めかしい写真に写る子供の方が冷めているというか、子供らしさに欠ける。理屈臭くて偏屈そうな口が一文字に曲がっている。しかし小さな顔とバランスのとれていない眼鏡の向こうで鈍く光る目は交そのものだ。
交はこの写真を見たがるだろうか。明日彼処に寄って医者とは何たるか、話の続きをしてやろう。交が医者になったら私はまた兄さんに叱られるだろうか。
そうしたら昔のように弁護士の存在意義だとかつまらない話を存分に聞いてやろうと思う。私は心が広いのだ。