胎児

羊水で夢見ている。指をしゃぶりたくなる。気持ちがいい。水の音がする。私はいつ生まれるんだろうとか空想とも妄想ともつかない事は口に出して言っていたかも知れない。
暖かい羊水に包まれて――
「望!確りしろっ!望!」
子供の泣き声がした。私が本当に生まれてしまったから子供の泣き声が聞こえるのは当たり前なのに、私は泣いていない。
「先生、大丈夫?」
これが私の母――
「小森――さ、ん?」
私は夢を見ていた。母親の羊水で眠る夢を。これはあの猶太人に言わせたらどんな精神状態を示すのだろう。
「お風呂で寝て溺れるなんて、そんなダサい死に方しないでよ」
然程心配していない様子の彼女の横で甥が嗚咽を我慢出来ず泣きじゃくっているので少々心が痛んだ。私が死んで悲しむ者の存在はあまりに近くにあった。
「交――」
濡れた儘の手を払いもせず頭を撫でてやると一層喚いたので、どうしたものかと命の恩人に目をやると同じ様に眉を下げて笑っていた。
「交君。先生もう大丈夫だから、戻ろう」
うんと小さく呟いた声が私の浸かる水を揺らす。羊水ならぬ風呂の水はもうすっかり冷えて生温い。
交の手を引いて立ち上がった彼女が去り際に振り向いて、あまり興味無さげに言った。
「先生の裸、見ちゃった」
生まれた儘の姿なのだから仕方無い。