恋文

兄はよく女生徒から手紙を受け取っては項垂れていた。兄と言っても三番目の兄で、他はてんで話にならない。(一番上の兄のことはよく知らない。)女受けがいいことを何故厭うのかと訊いたところ、はしたないと叱られた。
殿方の考えていることは解らない。



「お兄様がまた恋文を貰ってお出でよ」
これは四番目の兄で、一番出来が悪い。頭の問題ではなく、本質的に落ちこぼれている。
「それが何ですか」
「だって気になるんでしょう?お知らせして差し上げたんです。最近では他校の生徒からも届くのだそうですよ」
この兄を見下している訳ではない。だだ一寸、私の奥に眠れる加虐心が疼いて顔を出すだけ。それなりに好いているし、敬っていると思う。
「倫、又そんなことを言って――子供は子供らしくなさい」
「私はお兄様達と違って充分子供です」
私の周りに子供などいない。兄達は学生ではあるけれど、十近くも離れていれば立派な大人に感じる。私の周りには大人しかいない。模範たる子供らしい子供など、会ったことも見たこともない。
「私だって、恋文くらい――」
「虚言癖でもあるんですか?」
見開いた目の色が鈍くて、矢ッ張冴えない。そんなに簡単に真に受けないでくださいな。
「冗談よ。お兄様だって充分魅力的だわ。最近眼鏡を変えられたでしょう?よくお似合いです」
誉められ慣れない可哀想な兄は少し耳を赤くさせて俯いたまま沈黙した。



「望を知らないか?」
これが三番目の兄である。顔こそ一族皆同じような顔をしているが、物腰だとか抑揚が紳士的なのが受けるのだろう。
「ええ、知ってますわ。卑屈で死にたがりの困った兄です」
私はユーモアのセンスに長けている。
「倫、そういうのは感心しないな。まあいいや。望を見なかったかい?」
「いいえ。今朝朝食を一緒に戴いてからお見掛けしません」
家の中で私を叱る者はこの兄しかいない。叱ると言っても咎める程度で大声で怒鳴られたり、乱暴はされない。
「お兄様がどうかなさって?」
「望宛に手紙を預かってきたんだ」
「まあ!恋文かしら!」
少し浮かれてしまった。虚言癖扱いしたのを本当に謝罪しなければならない。
「お前は本当にこの手の話が好きだね」
「幾つだろうと女はそういう生き物でしょう?」
「ハハ!女は恐いなあ」
暫く談笑していると襖が開いて卑屈で死にたがりの困った兄――が曇った顔を更に顰めて立っていた。
「ああ!お兄様ったら何を呆けてらっしゃるの!あなた宛に――」
興奮して何時も以上の饒舌振りを発揮した私を制止して、兄は首を横に振った。
「お前宛に手紙を預かっているんだ、ほら」
白い洋風な封を差し出された兄は一瞬戸惑ったように、それでいてそれ見ろと言わんばかりに私をぎろりと見た。おかしな人。
「そんなもの――捨ててください。不幸の手紙だ」
受け取りもせず顔を背けた仕草に思わず声をあげて笑ってしまった。折角届いた恋文までそんな扱いを受けるのだから、この人はなんて下手くそなんだろう。
私を一度睨み、一層手紙を前に突き出して兄が続ける。
「誰かが気持ちをこめて書いてくれた手紙を足蹴にするなんて善くない。せめて読んであげなさい」
まあ!流石紳士的で女受けのいいお兄様は仰有ることが違うわ!――とは言わなかった。空気が重いのだ。
「じゃあ兄さんは届いた手紙はいちいち全部読んで、剰え全員に返事をしているとでも言うんですか?莫迦らしい!」
「ああ。悪いか?」
この二人が喧嘩をし出すのは然う珍しくない。ただ、居心地が悪いので部屋を這い出ようとしたところを又制された。
「倫、待ちなさい」
もうこうなっては巻き添えだとか説教だとか、覚悟する他ない。怒らすと鬼より恐いのだ。
「はい」
「お前も少し反省しなさい。望もお前の兄貴だ。年上なんだよ。お前がそんな調子で世間に出ては、私は恥ずかしいよ。来年から学校に通うのだろう」
兄の怒りの矛先は最早縦横無尽だ。恋文の話から私の将来まで――立派すぎて厭きれる。
「ご免なさい」
こう言う場合素直に謝るのが一番いい。大袈裟な溜め息を吐いて手紙を宛名の主に無理矢理持たせると兄は部屋を後にしてしまった。幾ら憤慨しても襖は静かに閉めて退出するあたり矢張兄らしい。夕飯までに機嫌が治っていることを願うばかりだ。



「お兄様」
「――え?あ、ああ。何ですか」
放心していた兄をこの世に引き戻してやると先程の熱が嘘のように静かな空気が流れた。
「ご免なさい、命兄様の言う通りね。礼儀は大事だわ。それにその手紙、きっと読んで差し上げて。悪い気はしないでしょう」
「ああ――うん」
こんなに年が離れているのだからこうして過ごせるのもあと僅かで、それは寂しい。
「私、お兄様達が好きよ」
「は?」
突然の話題に難色を示した兄は少し脱力すると頭を掻いてああとかうんとか感嘆詞だけ呟いて胡座をかいた。
「お兄様も私がお好きでしょう?私、恋文は貰ったことがないの」
――私に書いてくださる?
言いかけて止めた。莫迦らしくなった。
「本当にお前を学校に行かすのが嫌だよ。恥ずかしい」
「まあ。望兄様に言われるとなんだか腹立たしいわ」
「フン!さっき兄さんに叱られたばかりじゃないか」
二人でけたけた笑った後自室へ戻った兄の手には確り手紙が握られていた。

学校と言うものが少しだけ、羨ましい。