懺悔

此処は土臭い。水捌けが悪く、先日の雨水のせいで供えられた花が腐っている。花を包んでいたビニールは劣化し茶色く煤けて、あれでは只の塵だ。
日曜毎に訪れる此処は何時来ても影すら見当たらない。何時来ても思うが、こんな所に寝ているなんて、不憫だ。可哀想に。


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私と兄の関係は兄弟と言う一言では些か語弊があるでしょう。私達が何を求め、何を望み兄弟と言う隔たりを飛び越え、棄てたのか私よりあなたの方が余程知っているように思います。
あなたは私に罰が下ると、そう仰有いましたね。私はそれを漸く理解したようです。
私はまるで狂人です。兄はあれでも真っ当な、私とは違う類いの人でした。私のような佯狂の輩とは違うのです。それをじわじわと、しかし刹那のような早さでまるで紙が水を吸うように兄を犯したのだと思います。
兄は私にとって絶体的な存在です。家の中にあり唯一素行の真面な兄が、純粋に目指すべき存在だったのです。どこで狂ったものでしょう。最早佯狂でない私には考えが及びません。
はっきりと判るのは、私の罪が存在そのものだということでしょう。その兄を犯し壊したのは他でもない、私です。


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愛していたと言えればよかった。私はあの人を愛していたような気がするのに、ただの一度もそんなことは意識しなかった。毎日繰り返される生活が極めて至当だと高をくくっていた代償はあまりに惨憺と言える。
冷たくなってまるで蝋人形のような色をしたあの人が二人並んで寝ているのが怖くて直視出来なかった。それでも顔を構築するそれは覚えている。寸分違わぬ生白い皮膚と乾いた唇。どっちが私の愛した人か――判らない。


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あなたには可哀想なことをしました。あなたの忠告に耳をかすことさえ敵わなかった私の弱さをどうぞ呪ってください。
あなたの犯した罪は総て私のものです。ご安心なさい。これは罪滅ぼしでも、誤魔化しでもありません。
兄は未だ人の子です。しかし私は悪魔に魂を売ったのです。嗤ってくれますか。


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いつか火をつけたのだけれど記憶が酷く曖昧で頭痛がする。それが何処で何故そんなことをしたのか、まるで覚えていない。それなのにひょろひょろと細い煙が昇ってる空の様子だとか、私の名前を呼ぶ声は鮮明に思い出せる。
私の名を呼んだその声は、白い上着が染みのように焦げて――
私の愛したあの人も同じように私の名を呼んだ。想い出せやしない。忘れたことなどないのだから。


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この書があなたの手に渡ることを恐れます。赦しを請う為に記したものでないと、どう弁解出来ましょう。
私を忘れてしまいなさい。記憶ごと私の存在を葬るのです。これが最期の願いだと優しいあなたなら汲んでくれますね。
あなたは成績も優秀で気立ての良い、自慢の生徒ですから。
柄にもないと莫迦にするでしょうが、死際に冗談など書きません。


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毎週薔薇を必ず二本手向けた。墓場に薔薇を供えるなんて悪趣味だろうか。それでもなんだかあの人には真っ赤な花が似合う気がして、私の凡庸な発想では赤は薔薇の色だった。それに薔薇の花言葉が好きだ。
あの人が教えてくれた。愛情や嫉妬を表し、美しい顔をした不貞な花だと植物にまで難癖つけるあの人が可笑しくて私はよく笑った。


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この手紙は捨てなさい。記憶ごと粉々に千切ってしまいなさい。
あなたの未来にまで翳を挿す術は持ちません。この先あなたを蝕む不安や絶望、如何なる災難が訪れようと恐れるに足らないでしょう。穢れなど染み入る隙も無いほど満たすのです。あなたは利口ですから、判りますね。


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手紙が届いた。筆跡は見慣れたあの人のもので、真っ白な封の裏には私の好きな乱れのない綺麗な筆遣いで名前が記されていた。
封を切ることはしなかったけれど、手紙は大事に引出しに仕舞った。引出しにはあの日の罪がそのまま残っているから、一緒にしておきたかった。
私の宝物だ。


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木津千里が容疑を認めたのは先月の頭で、それに驚いた者はそう大していなかった。
彼女の学習机の引出しには、白いレースのハンケチに包まれた血塗れの包丁と、被害者が生徒の誰かに宛てたと思われる遺書が出てきた。
遺書は開封されたが宛名もなく、木津千里は級友である風浦という生徒に渡せと強要した。風浦可符香へ渡された手紙は、彼女の手元へ渡った瞬間読まずして破られてしまったらしい。
「遺書なんか届くわけがありません。だって先生は生きているんですから」
そう云って笑ったと聞く。
木津千里の罪状は放火や殺人を含めかなり重いものだと推測されるが、殺人に限り未遂ではないかとの疑いもあった。糸色命の死因は刃物に因る出血や臓器破損でなく、頸を圧迫したことによる窒息死であると判定された。彼女は包丁を彼の腹の辺りに刺したことは認めるが頸を絞めたのは彼の弟である糸色望であると云う。
その弟は自殺だと考えられた。彼の話題になると泣いたり笑ったりと、如何にも不安定で痛々しい。兄を刺したペティナイフのような小柄な包丁で自ら頸を掻っ切り死亡した。彼女の供述通りであればそうなのだが、二人とも殺したのが彼女であると断定したくて大人達はうずうずしている。その方が楽なのだ。
彼女は逮捕されてから毎週日曜になる度外出を強請んだ。勿論それは叶わないのだが、頻りに薔薇を買わなくてはと繰り返していた。
一人の高校教師とその兄、そしてあの女生徒の間にある翳を荒らし曝す行為をなんとしよう。
こんな些細な事件は半月もしない間に忘れ去られていくのだ。小さな、つまらない殺人未遂事件――



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真っ白な骨の残骸が出てきて誰かが悲鳴をあげた。つい数分前まで綺麗に肉の張り付いてた姿は跡形もない。躯中を覆うように添えられた花を真っ赤な薔薇に変えてあげたかった。あの人の好きな本が胸元に置かれて寂しかった。それは燃やしてしまうなら私が欲しかったから。
骨は箸みたいな何かで沢山の人が拾って箱に詰めていたけどその光景があまりに滑稽で、順番が回ってきて渡された箸を私は投げ飛ばした。
骨なら、こうする方がいい。
細くて軽いあの人らしい弱々しい骨を一本取って齧ったらまた誰かが悲鳴をあげた。
味はしなかった。

消化された先生は私の一部となり、これから私は一つで生きる。