残像

生臭いような、鉄を舐めているようなそんな臭いがする。

鼻が痛い。妙に左の手首が熱い。指の先で血管が脈打つのを矢鱈と感じる。気持が悪い。爪を剥がして指を握り潰したい。この痒さを何としても止めたい。
歯を食い縛っていたから顎が疲れた。
「もう。仕様のない人。しっかりしてください」
形のいい唇が私に話かけた。
自分の状況がわからない。私は何をしている。此処は何処だ。彼女は何に呆れてるのだ。
手が赤黒い。臭い。
「ほら、落としましたよ」
剃刀――
そんなものを何処から持ち出した。
床から拾い上げた剃刀に私が映る。血色が悪い。屈曲した視線、脆弱な体つき。目を反らせなかった。
これが私か?
「一回だけ見本をみせてあげる」
咲う。花の様に咲う。生白い少女の細腕が暗がりで発光する。いや違う。光ったのは、剃刀だ。
いけない!それでは君が――
「先生もいくのでしょう?」
何処へとは言わなかった。私は少女の言う見本とやらが気になる。
見たい。私とは違う、真っ赤な赤い赤い傷口。ぱっくりと開いた手首をまじまじと見てみたい。人体への探究心。彼女が提示する条件であれば其処に吸い付いたっていい。
見せてくれるなら――
「見たい」
「本当に、困った人」
指の背で私の頬を撫でる。長く冷たい指は剃刀を摘まんだまま光る。また剃刀には私が映される。好奇心を隠しきれない厭らしい私の鬼面が、なんと醜い。笑ってしまう。これが私だ。

声は何も聞こえなかった。ぼたぼたと雨の様な音は聞こえた。ただ眉間の皺とか、無理矢理閉じられた瞼の下で青ざめた頬の色だとかが彼女にそぐわないので酷く倦んでしまった。あんな顰面は見れたものじゃない。
ああそんな風なら矢っ張私は紐が善い。彼女の見本通り出来ないだろう。

しかしそれはもう随分前の出来事かも知れない。なにしろ彼女は――
「ああ、臭い」
剃刀は、危ないので仕舞った。