原田が翔太のフィギュアをうっかりぶち壊す話

ああ、やってしまった。

休日の昼間、起きたばかりの頭でも足の下の異物感をハッキリと捉えることは出来た。
ゆっくりと足を上げれば、そこには案の定翔太のコレクションである美少女フィギュアが転がっていて。
なんということだろうか、そのフィギュアの首が外れているではないか。
いやもしかしたらこのような造形なのかもしれない、こう、マニアックな性癖向けの。
だらだら流れる汗を拭いフィギュアを拾ってみればその断面はどうみてももげたという感じだった。

…ああ、やってしまった。


「カナちゃん、何してんの?」

「へぶっ!」
 

咄嗟にポケットに生首フィギュアを仕舞い込む。
振り返れば、丁度今帰ってきたらしい翔太が立っていて。


「あっ、いや、なんでもねえ!なんでもねえから!あっち行っとけよ!」

「わ、分かった、分かったってば。押さないでよ」


事件現場にはあまりあいつを近寄らせないほうがいいだろう。
翔太をリビングから追い出した俺はそこでようやく一息ついた。


「…っ、危ねえ…」


ポケットの中に手を突っ込んでみれば、あのフィギュアの感触。
残念ながら夢でもなんでもないようだ。

元はと言えばリビングにフィギュアなんて飾ってるほうが悪いんだよ、なんでちゃんと部屋に持っていかないんだよあの眼鏡。
言いたかったが「ここは僕の部屋だから文句あるなら出ていってもらうよカナちゃん」なんて言われてしまえば何も言えなくなってしまうわけで。

…なんとかしなければ。
一人俺はフィギュアを手に決意を固める。


* * *


「な、なあ、翔太」

「ん?」

「お前、なんか欲しいものでもあるか?」

「…………カナちゃん、なにかした?」

「なっ、な、何言ってんだよ!俺はただ、いつもお前に迷惑掛けてるからちょっとは恩返しをと思ってだな…」

「ふーーーーん」

「なんだよ、その目は…」


作戦その1。
別の方法で翔太に詫びを入れ、気を良くしたところで謝罪して水に流してもらう。

そのはずだったのだけれど。


「僕は別にほしいのはないかな。大体自分で手に入るしね」


涼しい顔してそんなことを言う翔太に「はいはい、ソウデシタネ…」としか言えないだろうこの場合は。
クソ、作戦その1は失敗か。どうすんだよもうなんも考えてねーぞ。
一人ぐるぐる悩んでいると。


「でも、強いて言うなら…」


ふと、翔太は思い出したようにこちらを向く。
そして、目が合えばにこりと微笑んだ。


「カナちゃんを一日好きにしたいな」


* * *



とか言うからてっきり縛られたり全裸で夜の街を散歩させられたりそんなハード調教モノみたいな真似をさせられるかと思いきや、どういうことなのだろうか、これは。
 
正座した俺の膝の上、そこに頭を乗せた翔太は携帯でゲームしていた。


「翔太…おい、翔太」

「んー…なに?」

「本当に、こんなことでいいのか?」

「こんなこと?…ああ、膝枕ね」


そう、膝枕。
もっとこうぐっちゃぐちゃのねっちょねちょみたいなことやらされるかと覚悟していただけに俺ただの自過剰変態みたいじゃねーかと恥ずかしくなってくる。
けれど、思っていた以上にこの体勢は精神的に来るものもあるのも事実だ。
膝の上、いつも見えない翔太の旋毛とか膝の上が重いとかなんかトイレ行きたくなってきたとか足が痺れてきたとか、それはもう色々。


「なあ……みっ、耳掻きとかした方がいいのか…?」

「あはは、カナちゃんベタだね。それもいいけど、カナちゃんに耳掻きしてもらったら鼓膜破れそうだから遠慮しとくよ」


なんだとこの野郎。否定できない。


「それよりも、このままでいてくれるだけでいいから」

「そ、そうか……」


新たな精神責めか?とも思ったが、仕方ない。これもフィギュアへの償いのためだ。
それにしても、と翔太の頭に目を向ける。

昔から翔太は目立つやつだった。
黙ってればまあ、まあ俺には敵わないがまあ、…顔は良い方だし、初めて会った時は今よりもどこか人と一歩線を引いたようなやつで、だからこそ余計、女子から注目浴びることも多かった。
笑わないし喋らない、いつも人気のない場所で一人本を読んでいた翔太のことを思い出す。
頭もいい翔太のことだ、皆は小難しい本を読んでるのだと思って敬遠していたが俺は知っている。
その読んでいた本が萌え系エロラノベだということを。

そんな翔太と一緒に暮らすことになるなんて自分でも思ってもいなかったが、予想しなくても無理もない。
俺も翔太も大分変わったし。…悪い意味でも。

サラサラの赤い髪に触れようとした時。


「なんかさあ、久しぶりだよね。…こうして二人でゆっくりすんのって」


突然、俺に背中を向けたまま問い掛けてくる翔太に慌てて手を引っ込めた。


「そ…そうか?」

「そうだよ、だってカナちゃんが働くとか言い出してからバタバタ会えなくなるしさ」

「それはお前だってそうだろ。バイト始めて、サークルの連中と毎晩飲みに行ったりして」


なんとなく皮肉染みたものを感じ、ついつい言い返してしまうような形になってしまったことに後悔する。


「…もしかして、それで自分も働くなんて思ったの?」


そんな俺の言葉から何かを感じ取ったのだろう。
こちらを振り返る翔太と目があい、ぎくりとした。

図星だ。


「ぜ…全部が全部そういう訳じゃねえけど…」


「君どんだけ僕のこと好きなの」と馬鹿にされそうだったので慌てて付け足すが、翔太は神妙な面持ちのまま押し黙って。


「…」

「…翔太?」

「そっかぁ、僕が放ったらかしにしてたからか…」

「だから、別にお前だけのせいとは…」


いってないだろ、と言い掛けた時。
翔太に手を取られた。


「じゃあ、僕が大学もバイトも辞めて一日中カナちゃんと一緒にいるって言ったら?」

「は?」

「カナちゃんも、店を辞めて僕と一緒にいてくれる?」


握り締められた手から翔太の体温が流れ込んでくる。
なんでこんな流れになってるんだと思ったが、手を握られてるせいだろうか、目を逸らすことが出来なくて。

確かに、バイトを始めた切っ掛けは翔太に負けたくなかったからだ。
その翔太が俺と一緒にいてくれるなら働く必要はないのではないのか?


「それは…話が違うだろ」

「例えばだよ」

「…辞めない」


負けたくないだけではない。
甘やかしてくれる翔太にこれ以上甘えたくなかった。
だから、俺は家を飛び出して面接にいったのだ。
辞めてしまえば、今度こそ翔太に頼りっきりになってしまう。
それだけは。


「……カナちゃん」


レンズ越し、翔太の目が悲しそうに陰る。
その目に、俺は咄嗟に「でも」と口を開いていた。


「でも……お前がフィギュアもDVDも漫画もポスターも抱きまくらも全部燃やして捨ててくれるっていうんなら、考える」

「ちょっと待ってカナちゃん難易度高すぎ」

「ほらな!そういうと思ったよ!」

「だっ、だって、そう!僕にとってアニメグッズは食料みたいなものだから!カナちゃんだってお気に入りのエロ動画サイト閉鎖されたら困るでしょ?!」


あ、それは困る。
けれど、エロ動画サイトが閉鎖されてもAVが消えるわけではない。よし大丈夫だ。


「俺はお前がいたらそれで良かったんだよ…!」

「か、カナちゃん…!」

「けれど、お前にはやっぱりアニメキャラが一番なんだな…」

「待ってカナちゃん!」

「離せよ!」

「膝枕の体勢のまま動けないでしょ?!無理しないで?!」


「た、確かにアニメキャラは好きだけど、だからといってカナちゃんが嫌いってわけじゃないんだよ」ぎゅっと腰を抱き締められ、ますます動けなくなる。
そして、翔太は思い付いたように体を起こし、こちらを覗き込む。


「そう、この世で存在する人間の中では一番好きだよ」


本来ならばお前告白する気あるのかと言いたくなるような言葉だが、それでもあの翔太が言ってくれているのだと思うと感動………するかよ馬鹿なんだよその微妙な括りは!
しかし、ここで絆されてはいけない。


「…じゃあこの翔太の推しキャラ『きゅーてぃーヒカリン』と俺どっちが好き?」

「どっちも好きだ!」

「じゃ、じゃあもし『きゅーてぃーヒカリン』と俺とどちらかがこの世から消えるとしたら?!」


これならいける。
そう思って詰め寄るが、一瞬、翔太の表情が確かに強張った。
そして、苦悶の表情を浮かべ押し黙る翔太。
……こいつ、まじで悩んでやがる。


「翔太…」

「ひ、ヒカリンは…レーターがいる限り何度でも蘇る…けれど、カナちゃんがいなくなったら…僕は……っ」

「翔太…!」


「未奈人さんに殺されてしまう」


あっ、なるほど。


「何を不満に思ってるのか知らないけれど、カナちゃんは僕にとって掛け替えのない存在だから。アニメキャラと張り合うようなアホみたいな真似をしないでいいよ」

「翔太…俺…ごめん、分かりきってたことなのに翔太に試すようなことばかり言って…」

「気にしなくていいよ、僕もいつかちゃんと伝えなきゃって思ってたことだから。それを先延ばしにしてカナちゃんを不安にさせたんだよね」


翔太が、あの翔太が物分りすごくいい。
内心感動のあまり泣きそうになっていると、「ごめんね」と髪にキスを落とされる。
その感触に驚いて顔を上げれば、真正面の翔太と視線がぶつかった。


「翔太…」

「カナちゃん…」


翔太の本音が聞けた。
いつもアニメだの漫画だのゲームだのでヲタク仲間と盛り上がっている翔太を見る度に疎外感を覚えていたが、翔太の気持ちが聞けただけで俺の心はもう寂しさや不安は感じなくなっていて。

近付く唇に応えれるよう、座り直した時だった。

ごとりと、ポケットの中から何かが転がり落ちた。


「ん?……?!」

「どうしたの?カナちゃ……」


なんだよこんな時にと視線を下げた俺は凍り付く。
あろうことか、生首フィギュアがポケットから落ちてるではないか。
同様見てしまったらしい翔太の表情が凍り付くのを見て、全身から血の気が引く。


「………」

「あ…ははは、なんだこれ、なんか出てきた」

「………ヒカリン…?」

「いや気のせい気のせい、お前ちゃんとメガネ拭いてこいよ。ヒカリンいねーか…らッ!?」


咄嗟に、フィギュアを隠そうと伸ばした腕を思いっ切り掴み上げられる。


「しょ……翔太……?」

「…カナちゃん、そう言えばさっきから変なことばっかり言っていたよね…もし『きゅーてぃーヒカリン』と俺とどちらかがこの世から消えるとしたら?とか、ねえ」

「えっ、いや、それはその…」

「どういうことかちゃんと説明してもらっていいかな」


微笑む翔太は初めて出会った時よりも冷たい目をして微笑んだ。


そして、後日ヒカリングッズを隔離した代わりにリビングには翔太オリジナルのカナちゃんグッズ(主にハメ撮り写真)が部屋中に飾られるはめになったがもう思い出したくもない。


おしまい


mokuji
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