兄の教育方針 予想だにしていなかった店長の提案に、思わず「えっ?」っとアホ面になる俺。 そんな俺を差し置いて、目の前のとんでも睫毛もとい店長は思考を膨らませ始めた。 「しかし、それでは仕事に支障が出るしな。…ならばこうしよう、笹山以外に近付けばいいのではないのか?」 「犯人は笹山と仲が良いお前に嫉妬しているのだとすれば、原田が笹山以上に親しい相手を作れば特別扱いされていると思わなくなるはずだ!」としたり顔で決める店長。 ああ、まあ、確かに一理あるとは思ったが、店長の作戦には決定的な欠落がある。 「た、確かにそうですけど…でも、いきなりそんなり女の子とそんな…」 そりゃ店長ならばその気になればいくらでも金やら顔やら酷使してホイホイ女の子捕まえられるかもしれないが、自慢ではないがこの俺、生まれてこの方まともに妹と女中以外の異性とはまともに話したことがない。 妹のせいで下手なことを言ったら罵倒されたり鞭取り出されて打たれるかもしれないという余計な恐怖心を植え付けられてしまったのだ。許すまじ。 「別に女である必要はないだろう」 一人悶々と悩んでいると、あっけらかんとそんなことを言い出す店長。 一瞬意味がわからなくて、「えっ」と顔をあげようとした瞬間、伸びてきた手が頬に添えられる。 その感触にびっくりして、全身の筋肉が硬直した。 「…原田、俺と付き合ってみるか?」 あれ程喧しかった土砂降り注ぐ雨音が確かに遠く聞こえた。 顔のすぐ側まで迫った店長の目から目が逸らせなくて、一瞬反応に遅れてしまう。 辺りに妙な沈黙が流れた。 とにかくなにか返してこの妙な空気を打破しなければ、しなければ、まずい。なにがまずいのかはわからないが。 「……は?」 というわけで、精一杯悩んだ結果俺の口から出たのはなんとも頭の悪そうな返答だった。 そんな俺に、店長は喉を鳴らして笑う。 「なに、ちょっとしたフリだ。こういうことは男同士の方が手っ取り早いだろ?」 「な、何言ってんすか…!そんな、両思いでもないのに…お、お付き合いだなんて…!」 小さい頃から兄から『付き合う相手はまず数年じっくりと時間を掛けて相手を知り、それで人生を共にするに相応しい相手と永遠を添い遂げることを前提としてお付き合いを申出しなさい』と煩いくらい叩き込まれていた俺からしてみれば軽々しくそんなことを口にする店長に今更ながらも戸惑えずにはいられなくて。 フリだとしても、というかフリだとしたら尚更兄に知られたらなんて言われるかわからない。 一人百面相を繰り広げていると、不意に店長の顔が近づいて来て。 「お前のためだぞ、原田」 近付く唇に、脊髄反射で後退ろうとすればすぐ背後の壁に背中がぶつかってしまう。 「俺なら事情も分かってるしお前の不利になるようなことはしない」 あっと言う間に追い込まれ、いくら人気がないとは言えどいつ誰が来てもおかしくない通路のど真ん中。 本来ならば振り払えば済む話なのだが、そう追い込んでくる店長は俺の為だというし。 「え、あ……うぅ…っ」 頭がこんがらがって、なんだかもうなにがなんなのか。 店長を追い払うにも、店長の提案を飲み込もうとしている自分がいるせいで顎を掴んでくるこの手を振り払うことができなかった。 |