動揺

ヒズミがいなくなったのを確認し、俺は近くの手洗い場へと駆け寄った。


「っは、ぅえぇ……っ」


最大まで開いた蛇口から勢いよく溢れる水で何度も口を濯ぎ、吐き出す。
ヒズミから触られた箇所、こびりついた血液を洗い流し、それでも物足りなかったが、あとは風呂に入ったほうが早いだろう。
蛇口を閉め、ゆっくりと顔を上げた時。
不意に横からタオルが差し出される。
視線を向ければ、そこには石動千夏がいた。


「……」

「無視すんなよ」

「……なんの用」


無意識に、声が低くなる。
掠れて、高揚もない。
自分でもうわぁと思ったけど、言い直す気力も千夏相手にへらへらする元気もない。
千夏も千夏で俺と馴れ合うつもりは毛頭ないのだろう。
いつもに増して、人を見る目が鋭い。


「人一人切り付けておいてなんの用はないだろ」

「なら、さっさと指導室でもどこでも連れてってよ。ほら」


こうして誰かと話すのが面倒になって、半ばヤケクソになりながら両手を差し出せば、呆れたような顔をした千夏は「おい」と俺の手首を掴み、動きを止める。


「……なに?」

「あんた、日桷和真とどういう関係なんだよ。うちの委員長と仲いいんじやねえの」


ずけずけと踏み込んでくるような遠慮ない物言いはちーちゃんと似ていると思う。
千夏の直球な問いかけに全身が凍り付き、落ち着き始めていた鼓動は再び乱れ始める。


「……っ、マコちゃんは、関係ない…」


脳裏を過るマコちゃんの笑顔に、心臓がズキズキと疼いた。
千夏とマコちゃんの距離が近いことは俺も知っている。
知っているから多分、俺は、千夏に今のを見られたということが酷く恐ろして思えて。
よく聞き取れなかったのか、「はぁ?」と顔をしかめる千夏の服を掴んだ。


「って、おいっ」

「マコちゃんには、言わないで。さっきのこと」


狼狽えるやつに縋り付くように、懇願する。
なんで俺がこんなやつなんかに頼まなきゃならないのか、という疑問は抱かなかった。
今はただ、マコちゃんだけには知られたくなくて。
自分がどれほど情けない姿晒してようが、構わない。


「停学でも何でもいいから、お願い、ヒズミとのことだけは……っ」


マコちゃんが俺を真っ白な人間と思ってるかどうかはわからないが、俺は、マコちゃんの前だけでは真っ白な人間でいたい。
じゃないと、マコちゃんにまで嫌われたら本当に俺はどうすればいいのかわからなくて。
マコちゃんのことを考えれば考えるほど頭の中がグチャグチャになる。
息苦しくて、どうしようもなくて、そんな自分がかっこ悪くて、切羽詰まった思考に息が詰まり、涙が滲む。


「お願いだから、」


それ以上は言葉にならなかった。
枯れていたと思っていた涙腺は潤い、止まらない。
グズり出す俺に、ぎょっとした千夏は俺の肩を掴み、強く揺さぶった。


「おい、落ち着けって」


大きな声。
びくりと顔を上げれば、真正面からこちらを見据える千夏と目があった。
そして、千夏はばつが悪そうに視線を逸らす。


「……取り敢えず、部屋で休んどけよ。どうせ、すぐ呼び戻されるだろうけど」

mokuji
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