自己確立要素

もう、どうなってもいい。
そう、思っていたのは僅かな間だった。
沈む意識の中、脳裏に浮かぶマコちゃんの顔に、このままでは嫌だと脳が叫ぶ。
だけど、圧倒的な力の差はただひたすら俺を失望させるばかりで。


「っぁ、やだ、やだ、やめてってば!やだ…っほんと……っ!」

「嫌?なんで?あんなに好きだったじゃん、キョウ。照れなくていいんだぞ!ここなら、誰も来ないしな!」


肩を押さえつけ、シャツのボタンを引き千切られ、無理矢理暴かれた首筋に顔を埋めてくるヒズミに泣き叫びそうになる。
誰も来ないなんて、保証はあるのか。
というか、それ以前の問題だ。


「や、ぁっ、うそ、やめて、やだって、も……や……っ」


浮かぶ鎖骨を舐められ、薄い皮膚にしゃぶりつくように歯を立ててくるヒズミに全身が緊張する。
食い込む歯。
ぴりっとした痛みは大したものではなかったが、この行為自体が俺にとっては苦痛極まりなかった。


「っ、ぅ、んん……っ」


皮膚を吸い上げられ、やつが口付けた箇所がじんじんと熱く痺れ出す。
まるでマーキングでもするかのように、首中至るところに唇を押し付け、噛み付いてくるヒズミが怖くて、体が動かない。
背後の壁に押し付けられ、僅かに手首を掴むヒズミの手が緩んだ時、それを振り払おうとすれば、更に強く握り込まれ、やつはゆっくりと俺の顔を覗き込んだ。
僅かに頬を上気させ、うっとりと微笑むヒズミ。
咄嗟に視線を逸らすが、顎を掴まれ無理矢理目を合わせられる


「ほんと……キョウは泣き虫だな。あの時もそうだったな。最初はキョウは泣いて、そんで、最後は楽しそうに笑ってた」

「……っ」

「キョウの笑った顔も好きだけど、泣いた顔もすげー好きだよ。興奮する」


ねっとりと絡み付いてくる声、吐息、全てに吐き気がこみ上げてくる。
何を言ってもこいつには聴こえない。届かない。
それを知っている俺は、真っ直ぐに唇を結んだ。
が、それも束の間。


「っひ」


開けたシャツの下。
首筋から胸元へとゆっくり唇を下ろしてくるヒズミに全身が粟立ち、凍りつく。
限界まで膨らんだ不安が爆発し、溢れ出す。


「ぃ、や……やだ……っ!誰かっ!誰かぁ…っ!」

「こら、あんま大きな声出しちゃうと誰か来るだろ!」


「どうせ呼ぶなら、俺の名前を呼べよな」と、あくまでも軽い調子で笑うヒズミは全く俺の様子なんて気にする素振りもなくて。
脇腹を撫でられ、恐怖と肌寒さで尖った突起を口に含められる。
やけに暖かいやつの舌が気持ち悪くて、緩んだ涙腺からまたぼろぼろと涙が溢れた。


「やっ、だぁ…っ」


吸われ、噛まれ、転がされ。
夢中になって乳首を執拗に嬲るやつに耐え切れずに身を捩らせるが、逃げないように回された腰を掴むヒズミの手のお陰で虚しい抵抗となって終わる。


「っやだ、やめてってば……っも……っ」


届かない声を上げることすら無駄なような気がして、段々と語尾が弱々しくなるのが自分でもわかった。
ヒズミの髪を掴み、自分から引き離そうとするが離れない。
それどころか、口に含んだ乳首を思いっ気吸い上げられ、ぞくぞくと背筋が震えた。
思い出したくもない、その感覚に、鼓動が乱れ始める。


「キョウ」


ようやく胸元から顔を離したと思えば、目が合うなりヒズミはキスしてきた。
嫌がる気力すら削がれてしまった俺はただそれを受け入れることしか出来なくて。
短い口づけの後、ヒズミは犬のように涙が伝う頬を舐める。


「ひ、っん、ぅ…っ」


生暖かい他人の体温が不快で、眉を潜めた。
避けるように顔を背ける。
だけど、すぐに頬を撫でるヒズミの手に正面を向かされ、視線を合わせられた。


「ほんと、キョウは恥ずかしがり屋さんだよな。……すっげぇ、可愛い」


ドクン、と、心臓が跳ね上がる。
ヒズミの言葉に、声に、反応したかのように全身の血が湧き上がった。
呼び起こされる、昔の記憶。
忘れかけていた感覚が全身に蘇り、まるで、自分が自分じゃないようだった。


「顔、見せろよ」

「いっ、やだ」


ふるふると首を横に振り、伸びるやつの手から逃れようとするけど、ヒズミはしつこい。


「見ないでよ、見ないで……っ」


キスできそうな位置にまで顔を寄せ、至近距離でこちらを見つめて来るヒズミは乾いた唇を舐め、浅く息を吐く。


「可愛い、ほんと可愛い。大好きだ、キョウ。なあ、キョウも好きって言えよ。なぁ」


直接脳に染み込んでくるようなその声に、ぞくぞくと体が震えた。
恐怖に似たその感覚に、従えと脳は指令を出してくる。
堕ちかけた理性。
ヒズミを相手にした時、どのようにすれば自分にとって最善なのか、俺はとっくに知っていたはすだ。
嫌というほど頭に、体に、直接叩き込まれていたはずだ。


「っ、す」


こちらを伺うようにじっと見つめてくるヒズミの目に、唇が勝手に動く。
好き、と言えば、それでいい。全部済む。やつも、臍を曲げずに済む。
わかっていた。
わかっていた。

それでも、俺は。
その言葉をヒズミのために吐きたくなかった。


「好き、じゃ、な…い…っ」


マコちゃんを想う自分を裏切ったら、今度こそ、俺は俺じゃなくなってしまう。
そう、思ったから。


「あんたなんか、嫌いだ……っ大嫌いだ……っ!」

mokuji
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