差し出された手

助けて。
たしかにそう言ったが、そう言ったけど、俺がこうなった元凶の奴が来るって、どうなんだ。


「…あれ?なに、お前らも鬼ごっこしてんの?」


俺を捕らえる連中に気付いたようだ。
分厚いレンズの奥。
僅かにヒズミの目が細められる。
全身に悪寒が走る。
この眼には、見覚えがあった。


「はぁ?勝手に入ってきてんじゃねえよ、もじゃもじゃ!」

「そーそー、今ちょっとお取り込み中だから」


ね、と目の前の学生が下品に笑ったときだった。
ドシャッと何かがひしゃげるような音を立て、先程まで笑っていた学生の顔面が勢い良く壁に叩きつけられる。

一瞬、何が起こったかわからなかった。


「は…っ?」


壁と無理やりキスをさせられた学生の後頭部を鷲掴むその腕を目で追う。
顔を上げれば、そこには先程まで扉の外にいたはずのヒズミがいて。


「…俺のキョウになにしてんの?」


足元から這い上がってくるような底冷えしたその声に背筋が震えた。
いきなりやられた仲間に気を取られていた学生だが、流石にやばいと思ったようだ。


「っひ、てめ、なにやって」


慌てて俺から手を離し、ヒズミから距離を取ろうとする学生。


ああ、それっぽっちの距離では、

やつからは逃げられない。



「やめろ、あっち行けよ!触んじゃね…」


途切れる怒声。
次の瞬間聞こえてくるなにかを潰すような音に、息が詰まる。
体が動かなかった。
だから、ヒズミを止めることもこの場から逃げ出すことも出来ず、ただ俺はこしをぬかしていた。


「いてぇ、っくそ、てめえ、死ね!死、ぃ、ぎゃあぁ!」


ぼきり、と。
小気味のいい音を最後に、騒がしかった教室内はあっという間に静まり返った。
響くうめき声に啜り泣く声。
殆どの生徒が床に転がる中、一人、その場に立っていたヒズミは怒ったような顔をする。
まるで、子供のような、無邪気な顔で。


「死ねなんて言ったらダメなんだぞ!人が嫌がることを言っちゃダメだって幼稚園で習わなかったのか?」


裏表のない純粋な目。
だから、俺はこいつが嫌いだった。
嫌いで嫌いで嫌いで、死ぬほど怖かった。
自分を信じてやまない、この真っ直ぐすぎる狂気が。


「キョウ、もう大丈夫だ。悪いやつは俺がちゃんと退治したから」


乱れ一つない服。
嬉しそうに、飼い主に褒めてもらおうとする犬のように笑いかけてくるヒズミの手は赤く汚れ、手慣れた手つきで取り出したハンカチでそれを拭う。
壁の照明のスイッチを押したらしく、ぱっと室内が明るくなり、先程よりも鮮明になって現れる部屋の残状に思わず息を呑んだ。


「キョウ、ほら、大丈夫か?もしかして、腰が抜けて立てないのか?」


一歩、また一歩と歩み寄ってくるヒズミに心臓が張り裂けそうになる。
今すぐ逃げ出したいのに、恐怖で硬直した足は動かない。


「キョウ、ほら」


目の前までやってきて、目線を合わせるように屈むヒズミはにっこりと笑い、まだ赤い汚れが残ったその手を差し出してきた。

そして、近付いてくるその手を俺は、

乱暴に振り払う。


mokuji
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