囮 「ッおい…!」 ああ、まずい。なんて、考えるよりも体が動いていて。全力疾走なんて何年ぶりだろうか。いや、そーいやこの前走ったばっかだな。 なんか、俺、最近走ってばっかじゃね?なんて、思いながら俺はようへー君の腕を引っ張り、草むらに向かって突き飛ばす。 その時にはもう目の前まで鉄製のそれが迫ってて。 あ、こりゃ無理だわ。 なんて思いながら、舌を噛まないように奥歯を噛み締めておく。 「仙道っ!」 次の瞬間、鈍い衝撃とともに目の前が揺れたような気がした。 多分ちょっとばかし飛んでただろうけど、驚いたよーへい君の声ですぐ現実に引き戻された。 結構喰らうかな、と思ったけど、わりと大丈夫だった。鍛えていたお陰かな?なんて思いながら、俺は掴んでいたバットを思いっきり目の前の男に叩き込む。ま、あっさり塞がれたわけだけども。 「へえ、噂通りの石頭じゃん」 鉄パイプを振り、避けられる。 しっかり動けていると思っているのは俺だけだったみたいで、実際、指先に力なんてまともに入ってなくて。呆気なく手から滑り落ちそうになるそれを慌てて握り直すけど、多分、もう無理。 どくどくと全身の血が焼けるように熱くなり、額から溢れるそれを拭う余裕もなくて。 掠れる視界の中、ぼんやりとした輪郭ではあるが映る姿には見覚えがあった。 「……また、アンタかよ」 いつの日か、純に追いかけられていたあの男。 いきなりキスかましてくれた無礼男がそこにいた。 「覚えててくれたんだ、嬉しいなあ…っと!」 笑う男は容赦なく二発目を振りかぶってきて、ふらつく足元。傾く視界。 自分が転倒したと気付いた時には鈍く光る金属の棒が目の前を通りすぎていく。 赤く霞む視界。 なんとか立ち上がるけど、多分、もう紛れは通用しないだろう。 それなら、俺がやることは一つだけだ。 「…っようへー君、早く、どっかに…っ!」 「……仙道……」 顔を強ばらせるよーへい君ってレアだなぁ、って思いながら俺は口元を緩ませた。 『お願い』と小さく呟けば、俺が言いたいことを理解してくれたようだ。 立ち上がったよーへい君は僅かに顎を引き、走り出す。 遠ざかるその後ろ姿に、ようやく全身の緊張が解けるようだった。 「あーららら、本当に逃げちゃうんだ、そこで。こんな友達を残してさぁ?薄情だよなー全く」 そんな中、緊張感のない声が響く。 ああそうだった、よーへい君がいなくなっただけでこの状況は何一つ変わっていないんだった。 「ま、俺からしてみたら好都合だけどさ」 「…本当、ペラペラペラペラうるさいよねえ…。お喋りさんはもてないよー?」 「ふーん、物静かなのがタイプ?」 「まあね」と、今はこの学園にいないルームメイトのことを思い出す。 なんて、内容のない言葉をべらべら喋って時間稼ぐしかないのは俺の方なんだけど。 まあ、それも時間の問題のようで。 「……ッ」 ほんの一瞬。目の前の男が動いたのに気付くのに遅れた。 急所を殴られて、全身から力が抜ける。 「俺は、良く鳴く子がタイプだな」 このくらい、避けようとすれば避けることが出来たはずなのに。 蹌踉めく体を抱き止められなんとか転ばずに済んだが、抱き止める腕が得体の知れない男のものならいっそのこと地面の上に放り出された方がましだ。 「だからさ、簡単に気絶とかすんなよ?」 「せっかく捕まえたんだから」と、耳元で囁かれるその声は重く鼓膜の奥へと落ちていった。 |