車内の席割りは慎重に

「…っ」


情けないことに、別れ際の兄たちの姿を思い出した俺はなんだか寂しくなって、胸が苦しくなる。
だけど、それ以上に今、俺の気持ちは晴れやかだった。
つんと鼻の奥が痛くなって、涙が込み上げてくる。
隠れるようにしてそれを拭おうとしたとき、凭れかかっていた四川がこちらをガン見していることに気付いた。


「おい、泣いてんのかよ」

「べっ、別に泣いてなんか…」

「ハッ、だっせー…」


こちらを覗き込むなりにやにやと下卑た笑みを浮かべるやつに「うるせえ」と言い返そうと顔を上げた瞬間だった。


「……っ、んッ」


言葉を遮るように唇を塞がれた。
キスなんて呼べないほどの短い間の触れるだけのそれだが、俺の思考回路をぶっ飛ばすには充分で。


「なっ、なにし…」

「ちょっとどさくさに紛れてなにやってくれてんの君!!」


狼狽えた俺が反応するよりも先に、俺の隣で車酔いで死にかけてた翔太が飛び起きるように勢い良く食い掛かった。
さっきまで死にかけていたくせに一気に復活した翔太に、あからさまに面倒臭そうな四川は臆面もなく舌打ちした。


「チッ、うるせえな、外野はすっ込んでろ。モブ眼鏡」

「はぁ?!モブ眼鏡って僕のこと?ねえ僕のこと?仮にも幼馴染で親友な上同居人兼保護者という絶対的な地位の確率をしている僕がモブ?!はぁ?!」

「それより、お前言ったよなぁ?…なんでも言うこと聞くって」


ブチ切れる翔太を無視し、こちらにずいっと顔を寄せてくる四川。
一瞬その言葉の意味がわからず、「は?」と目を丸くする俺の脳裏に兄たちと接触する前、服を探しているときの四川とのやり取りが蘇る。


『あとでなんでもするから、頼む、今はやめてくれ…!』


ご丁寧に映像とボイス付きで脳内再生される記憶に、どっと汗が噴き出した。
確かに、言った。言ったけども、ま、まさか…!いや、そんなまさかだろ。流石にそこまでこいつも鬼ではない。
と思った矢先、翔太を押し潰すようにシートの上に押し倒された。


「っちょ、ちょ、ちょ、待った!待て!おい!」

「ぐぇっ、カナちゃんの匂いとお尻の感触が…!苦しいけどこの役得感、止められない…!じゃなくて!なにその美味しいシチュ!どういう状況で、って聞きたくない!やっぱり聞きたくない!僕の知らないところでそんな約束交わすようなカナちゃんのことなんて聞きたくない!」


いつもに増して怒ったり笑ったり悩んだり喧しい翔太だが面倒なことに変わりなくて。
「ちが、これには深い事情があって…」と慌ててフォローしようとするが、伸びてきた手に服を剥かれそうになってその言葉は声にならない悲鳴に変わる。


「なんでもするっつったよな?」

「いっ、言った…かも…しれないけど!だけど、だからって…ッ」


こんな、こんな…!しかも車の中で!顔見知りばかりとはいえ、人前で!
いやここじゃなくて二人きりならというわけではないが、やはり、笑顔で『仕方ねえな!約束は約束だしな!』と自ら脱げるような男前にはなれない。なりたくない。なんとしてでも俺はケツを死守する。


「いいだろ、あのうぜー兄貴もいないんだから遠慮しなくても」

「するわ!普通にするわ!」

「俺たちのことなら気にしなくてもいいぞ」

「無茶なことを!」


運転席の店長たちの言葉に更に顔が熱くなる。
ミラー越しに無言の司と目があって、いたたまれなくなった俺がなんとしてでも四川の下から這い出ようと頑張ったとき。

背後からにゅっと伸びてきた手に腰を抱えられたと思えば、もう一本の白い手は四川の顔を無理矢理俺から引き離す。
翔太だ。


「ダメだ、君みたいな男がカナちゃんを汚すようなことは許さない!カナちゃんは、カナちゃんは神聖なんだ!」


しょ、翔太…!言っていることは若干秋葉原の住人みたいなことになっているが翔太お前…!
身を呈して庇ってくれる翔太に若干涙ぐんだとき、翔太の手を振り払った四川はなんとも凶悪な笑みを浮かべた。


「神聖〜?ハッ!とっくに汚れてんだから今更気にすんなよ、一回したら二回目も三回目も四回目も変わんねえよ」


「なぁ?」と伸びてきた指に顎を軽く擽られる。
その指が擽ったいとかそんなことよりも、さらりと口にされたその言葉に俺は青褪めた。


「おっ、おい、馬鹿四川…!」


あろうことか翔太の前で、しかもそんな、そんなまるで人がし、尻軽みたいな言い方をするなんて…!あながち間違っていないので否定できないのが悔しい。


「しょ、翔太…あのな、これはこいつが勝手に…」


言っているだけだから、と恐る恐る背後の翔太を振り返ろうとした瞬間だ。
ピシィッと音を立て、翔太の眼鏡のレンズに亀裂が走る。

mokuji
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