一件不落着

(原田佳那汰視点)


確か、俺は司とともにバイト先へ来ていたはずだ。
はずなのに、なぜ入ってそうそうエプロン姿の翔太がいるんだ!


「かっ、カナちゃん!!」


なにやらお化けでも見たかなように青褪め、血相を変える翔太はどう見ても本物で。


「え、あれ、うそ、翔太、なんでお前ここに」


こっちもこっちで動揺のあまり全身から血の気が引いていくのがわかった。
まさか、まさか、まじかこいつ。厄介な性格をしているとは思ったが、まさか、こいつ。
思わず後ずさった時だった。
不意に肩を掴まれる。


「いやー久しぶりだね、かなたん。今日は仲良く御出勤?」


紀平さんだった。
肩を組み、ニヤニヤと笑いながら馴れ馴れしく絡んでくる紀平さんは耳元に唇を寄せ「ここ、ついてるよ」と囁いてくる。
つぅっと首筋をなぞられ、その言葉に俺はハッとし、慌てて服の襟を掴み首元を隠した。
司の服は首が開いてるから自然と臍が出てしまい腹と首を隠すという奇妙なフォーメーションが出来あがる。


「てめえ、どの面下げてノコノコやってきてんだよ。なにがコンニチワーだよ!先に言うことがあんだろうが!」


今度はなんだ。
声のする方を見れば、ふん、と偉そうに鼻を鳴らしこちらを睨む四川。
なんかやけにテンション高くないか、と思ってたら「ずっと原田さんのこと心配してたもんね、阿奈」と隣の笹山が笑う。
ああ、なるほど。


「それより原田さん、長い間お顔を見れませんでしたが何かお変わりなかったですか?」


「ちっ、ちげーし!てめえ笹山適当なこと言ってんじゃねえよ!!」と顔を赤くし、ムキになる四川を華麗に無視して歩み寄ってきた笹山に手を取られる。
嬉しそうに頬を綻ばせる笹山の目一杯頭をなでなでしたいところだが、今はそれどころではないのだ。


「ちょっ、ちょっと待ってください。話が見えない!」

「話が見えない?白々しいな。わかってるくせに」


そう、いつもと変わりない厭味ったらしい口調でバッサリ切り込んでくるのは翔太だった。


「僕がどれほどカナちゃんを心配してたかわかる?抜きゲーで三発しか抜けなかったんだよ!」


「しっかり抜いてんじゃねーかよ!」と四川。
え、嘘、あの翔太が三発だけだと青ざめていた俺は四川の言葉にハッとし、慌てて咳払いをする。


「た…確かに、勝手に抜け出したのは悪かったけど、お前こそここで何をしてんだよ!そんな店員みたいな格好して!つーかなんでここにいんだよ!」

「店員みたいじゃなくて店員だよ」

「はぁ?」

「カナちゃんがヘマをしないか心配になったから僕もここで働くことにしたんだ」

「なっ、何言って」


「ま、そんな感じみたいだからさ。仲良くしなよ」


これは悪い夢か何かか、と頭を抱える俺に紀平さんはいつもと変わらない調子で相槌を打つ。
冗談じゃねえ…!!


「因みに冗談じゃないからね」


心読むな!


「まあ、こっちはちゃんと質問に答えたんだから次はカナちゃんの番ね」


ずい、と距離を詰めてくる翔太に気圧され、一歩後ずさる。
ふと手が伸びてきて、そのまま翔太の手は俺の首筋を撫でた。

目の前のやつは一ミリも笑っておらず、全身に、鳥肌。


「これ、なに?」


頭の中で、紀平さんの言葉が蘇る。
正直、キスマークを付けられた記憶はない。とはいっても最中の記憶はあやふやのふやふやになっているわけだから強烈な心当たりしかなくて。


「や、それは、その」


口ごもる。
くそう、どうなってんだ俺の首は。鏡なしに自分で確かめることが出来ず、俺は慌てて首を隠しながら笑って誤魔化そうとしたとき。


「俺がつけた」


ひょいと、側に立っていた司に手首を掴み上げられ、無理やり首元を曝け出される。
相変わらずの高揚のない声に、店内が確かに凍り付いた。
それは俺も同じで。


「何か問題でも?」


そう小首を傾げる司。
みるみるうちに死人のような顔になっていく翔太にその場にいた全員が「大有りだ…!!!」と無言で司に突っ込みを入れる。


「…」

「翔太…?」


ムンクの叫びのような顔をしたまま動かない翔太に恐る恐る声を掛け、俺はあることに気付いた。
それは笹山も同じだったらしい。


「……死んでる」

「いや目開けたまま気絶してるだけだからな」


というわけで、ドタバタした状態のまま俺はバイト復帰することができた。
かわりに、厄介なお目付け役が増えたが。
また騒がしくなるのだろうな。
それでもまぁ、自立できるようになればそれはそれでいいかもしれない。
なるようになるのだから。

なんて、まだ見ぬ明日へ儚い希望を抱きつつ騒がしい日常へと戻ったが、この時俺はまだ気づかなかった。
翔太と揉めている間に、更に大きい厄介事が着実に俺へと歩み寄ってきていることに。



-end-


mokuji
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