まるで痴話喧嘩のような

限界まで我慢した。
うん、我慢した。
我慢したけど、流石に、これは、まずい。


「……っ」


筆先が離れたと思えば、筆の尻で下着を引っ掻け、ずらされそうになり青ざめた俺。
全身の身の毛がよだち、色々なものがフラッシュバックし思わず「ひっ」と息を飲む。

そして、


「ちょっと、待てって!」


喉奥から絞り出すように悲鳴に似た声を上げた俺は、下腹部を覗き込む翔太の顔面に思いっきり蹴りを入れた。
足裏でぱきっとなにかが壊れる音が聞こえたような気がしたがそれどころではなくて。


「……カナちゃんの足はほんと悪い子だねー」


再度俺の足首を捉え、思いっきり蹴ったせいか鼻血がぼたぼたと溢れ出す鼻を手で抑える翔太。
その凍り付いた表情からずるりと眼鏡は落ち、こちらを見下ろす翔太はぎょっとした。


「え、ちょ、なんでカナちゃんが泣くの。いや、泣けって言ったけどさ」

「だって、なんか、なんで、俺ばっかりこんな目に遭わなきゃいけないんだよぉ……っ」

「それはカナちゃんが約束を…」

「翔太だって、約束破ったじゃん!」


ここ最近泣きすぎてすっかり弛みきっていた涙腺からはボロボロと涙が溢れ、顔を濡らす。
俺の言葉に確かに翔太は狼狽えた。


「この前、一緒にいたあの女の子。誰だよ、ゴスロリと清楚系!」

「いや、あれはただイベントで知り合った子で…」

「可愛い子がいたら紹介してくれるって言ったのお前だろ!なんだよ、自分ばっかり女とイチャイチャしながら酒飲んで俺には禁酒してニートになれって、ずるいだろ、お前ばっかり」


翔太のばか、キモヲタ、ばかと次第に声を小さくする俺に気圧されていた翔太は「ちょっと待ってよ」と反論してくる。
やつの手から筆が落ち、肩を掴まれ無理矢理正面を向かされた。
いいから話を聞けという動作だ。


「言っとくけど僕はカナちゃんに紹介しようと思って何度も何度も連絡いれたんだからね。それに出なかったのはカナちゃんの方だよ」

「だって、バイト中だったんだから仕方ないだろ。ならメールでもいれときゃいいじゃん」

「それなら言わせてもらうけど、なんでかけ直してくれなかったの?」

「かけ直そうと思ったけど、だって、歓迎会するからって引っ張られて…」

「僕よりもバイト先の歓迎会を優先したのは事実なんでしょ」


眼鏡を外し、裸眼の翔太は目を細めて俺を見る。
顔が近い。
なんだか睨まれてるようで怯んだ俺は目の前の翔太から目を逸らし、口ごもった。


「いいだろ、それくらい」

「よくないよ。全然よくない。カナちゃんはわかってるの?カナちゃんの保護者は僕なんだよ?僕からの連絡を優先してよ」


そう子供をあやすような柔らかい口調とは裏腹にキツい内容に俺は息苦しさを覚えた。
目を逸らせば「僕を見て」と頬を掴まれ無理矢理正面向かされる。
睨み返せば、目が合って翔太は穏やかに笑った。


「でもまあ今さら言い争っても無駄だよね。取り敢えず今後カナちゃんには僕の部屋にいて僕の身の回りの世話をしてもらうから。給料もちゃんと払うし三食宿つきでいい条件でしょ?」


その代わり、僕の目がないところでの行動は制限させてもらうよ。
そう死刑宣告にも似た命令を口にする翔太。
確かに、いい条件だ。
だけど、自由気ままにをモットーに生きていた俺にとってその束縛はあまりにもキツく、恩人であるはずの翔太は俺の目では別のなにかに変わった。
確かに翔太に依存して生きてきた。
だけど、翔太のためだけに生きろと言われてしっぽ振って喜ぶほど俺はマゾヒストではなければ善人でもなんでもない。


「……せてもらいます、」


気が付いたら口が動いていた。
「え?」と聞き返してくる翔太から目を逸らしたまま、再度俺はその言葉を口にする。


「……っ翔太がそのつもりなら、俺は、実家に帰らせてもらいます……っ」

mokuji
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