───おれは、おまえがいてくれるだけで……いい。それだけで。おまえだけを想っている……
奴が研究室に来れば、することは決まっている。
掃除は遠い昔と違って機械がしてくれるから必要ない。……だが未だに、食事は真空パックへ一言ある奴の領域だ。相変わらず。
弱った顎に生野菜は硬い。食事が終わると、あとは………
……不毛だ。
暗い仮眠室で、配管の這う天井を見上げた。素肌に、空調が生ぬるい。
隣の男がひとの頬を突つく。振り払って、背を向ければ腕で身体を締め付けてきた。……煩わしい。
「……また、前より痩せたな」
「前っていつだ」
「三ヶ月前」
浮き出た肋骨を、節くれた指がなぞる。
「……仕事は」
「休暇」
ふんと鼻を鳴らしてやれども、相手は目に見えて嬉しそうだ。
「……しばらくは、おまえといられる」
「………早く帰れよ」
「何年経ってもつれないな」
……男は、くすくすと笑う。
じろりと、
睨めつけた先……撫でつけてあった髪が崩れて、一筋頬に掛かっていた。何気なくそれを摘まんで……腕が、凍りつく。
……白いものが、一本。
───時間が、ない。
人の生は短い。何度繰り返しても一瞬だ。例え、そこに次の生が待っているとしても……後は無限と胡座をかいて構えるほど、己は日和見ではない。
……今、この輪の中で。その時を、一番あの場所へ近くする。
今までも、そうしてきた。……これからだってそうだ。確実に、確実に……討究は進んでいる。
だから、必ず、この生で………
老いてゆく。……この男も、私も。
手遅れになる前に。早く、はやく………
「……どこへ行く」
シーツから身を起こせば、低い声が咎める。
「ラボに」
「……今日はもう、寝ろ」
「十分寝た」
腰に絡まる白い腕。その筋張りを引き剥がし……非常灯の弱光が指す、薄い扉へ目を遣った。
「……そんな顔色で、おまえの方がよっぽど早死するぞ」
立ち止まっている暇なんて、ないのに。
「…………」
……返せる言葉は、ない。
立ち上がったこの腕を、男が引く。……結局、その胸板へ逆戻りだ。
焦燥ばかりが、積もる。
「少なくとも……おれは、こうしておまえと居られれば……幸せだ」
……心根を見透かしたように、男が言う。
伏せた目で、見上げれば……白皙。かつて其処にあった青紫のラインは、もうない。唇も、自然の薄紅色だ。
……変わらない黒檀の眼差しだけが、じっとこちらを見ている。
「………どうして、」
声が、震える。目頭が熱くなる。
「なんでだよ…!どうしておまえは諦められるんだ…!!」
音韻は、雄叫びとも似て。振り絞れる力のまま、太い腕を薙ぎ払う。
どうして、この男は理解しない。
……この世界の幸福なんて、まやかしだ。
「呪われてるんだ!ここは、わたしたちを、嫌って、呪って……いつか呪い殺すんだ!! どうして解らない…?!」
激昂のままに咆えれども、相手はそっと諭告を続ける。
「……平穏に生きればいい。……呪いなんて、ない。少し、廻るだけだ。それに……その先で、必ず会える。……幸福なことだろう?」
「違うっ…!!」
低く、優しい声に。殆ど悲鳴のように首を振った。
「だったら……どうして!どうして私たちには子がいない?!」
……彼の精液の内へ、子種はない。私の子宮に卵はない。
子を宿す為のあらゆる機能は、停止している。行為はただ、互いを確かめるためだけのものだ。
……この世界に来てから、ずっとそう。一回目。二回目。三回目……
この、無限地獄の中。私たちは子を残し守り育て、子孫の営みを見届ける……その喜びすら、手にできない。いつまでも、存在しない異邦人のまま。時空の法が、なにもかもを奪ってゆく。
「これがっ…!これが呪いでなくて何なんだ…?!ここは、いつまでも、私たちを呪い続ける!永遠に…永久に…!」
絶叫する。声が、くわんくわんと合金の壁に反響した。
「そのことだけが、全てではない」
「おまえに…!わかるものかっ……!」
……おまえだけ。そう言ってくれた。
何もかもを望む愚かな女を、許してくれ。
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