▼ 夕闇は道たづたづし

ぽたぽたという雨の音と共に、辺りを夕闇が包み始めました。

ただ、ぎしぎしとした木で組んだだけの粗末な小屋の中で、少女はぼうっと空を仰ぎます。
暖かい湯煙が、ほわほわと小屋の中を包んでいました。
ふと上を見上げれば、ぴしゃんぴしゃんと、雨漏りした冷たい水が、額へぱしゃりと跳ねます。


「…あ、ごめんね。ここ、木が古いから雨漏りするんだ…」


小屋の外で傘を差しながら、竹筒で竈を吹いてくれていたしろかぶくんが、顔を上げて申し訳なさそうに言います。
気にしていないの意を込めて、少女は格子窓を握って顔を覗かせると、ふるふると頭を振ってそれに答えました。

ぽたりぽたりと、外の雨粒がまた額に降り注ぎます。
寧ろ、こんな天気の時に風呂番をしてくれる少年に申し訳なさを感じながら、彼女は彼に向かって、出ない声の代わりに両手を合わせ、感謝を伝えました。
優しい少年はにこっと笑うと、「どういたしまして」とだけ答えます。


「さ、身体が冷えちゃうからお湯に入って! あ、でも背中をお釜につけないようにね!やけどしちゃうから!」


少女はそれを聞くと、再びその身を湯船に沈めました。
つめたくなった額を、掬ったお湯でぱしゃぱしゃと洗えば、じわりと温もりが身に沁みます。
厚い鉄釜の中で、ぐるぐると巡る熱いお湯の対流が、身体を芯まで温めてくれました。

ここは、でんでん一座の野営するテントの群れより少し離れた、せせらぎの畔にある掘っ建て小屋です。
彼女を拾ってくれた、だいこんさん曰く(彼…だいこん役者のことを、長ったらしいので少女はだいこんさんと呼ぶことにしました。呼ぶと言っても、口が利けないので、胸の内のみでですが。)ここは一座が毎年、長期間野営する場所ゆえに、普段は野ざらしの掘っ建て小屋ですが、一応風呂小屋を作っておいて、逗留の期間はみんなでそれを使うそうなのでした。
この不思議な、お釜のような浴槽は、五右衛門風呂と言うのだと。そう教えてくれたのも、彼です。
鉄釜の底には厚い木の板が敷かれており、それを踏み沈めながらお湯に入ること。そうしないと足を火傷してしまうこと、湯船に入る前に身体を洗うことなど、だいこんさんはこまごまと少女に入浴のお作法を伝えて、この小屋へ送りつけたのでした。

ぴしゃんと、湯船に雨粒がまた、一滴落ちます。
少女はお湯に揺られながら、またぼんやりと、つい先程の、しかし随分と昔の事のように思える彼との遣り取りを思い出していました。




****




「…さて、そうとなったら話は早いわ。座長、早速明朝にはここを出立するんでしょう?」


日の沈んだ今より少し前、あの大きな天幕の中で、彼はぱしりと手を叩き、切り替えるように話を進めました。


「…そうじゃのう…少し、急な出になるが…」

「この子のお家を見つけるのが先決ですものね、急がなくっちゃ」

「うむ、ならばこれから皆を集めて、訳を説明せねばな…」


大きく頷いたお爺さんの横で、彼はしろかぶくんに向き直ると、素早く指示を飛ばします。


「しろかぶくん、この雨の中悪いけれど、みんなを此処へ呼んで来て貰えますか?」


少年は、威勢良く「はい!」と返事をすると天幕を飛び出し、肩を濡らしながらも数分のうちに、一座の面々を連れて戻って来ました。
そのひとりひとり…卵の頭のゆでたまごちゃんや、昆布の頭のこんぶくん、ちくわの頭のちくわんや、さつま揚げのさつま揚げどんなど…を紹介され、少女はその度無言で頷き、彼らと握手を交わしました。

みんな、にこにこと笑う、やさしいひとたちでした。
少女はやっぱり、みんなのように笑って彼らに笑み返せないのがもどかしい気がしましたが、それらは全て、時折だいこんさんのこちらへ向ける、彼女を安心させるような眼差しに緩和されていました。

ひとしきり各々の自己紹介が終わると、座長がみんなに明日ここを立つ旨を説明します。それと並行して、彼が荷物を整理しておくように、とてきぱき指示を飛ばしました。

一座のひとたちがその場で解散して、手際良く動き始めた中、一人ぽかんと立ち尽くしていた少女。
今度はそんな彼女に向き直ると、だいこんさんは矢継ぎ早に言葉を発します。


「ほらあんた、そんな格好でぼうっと突っ立っててどうするの!」


そんな格好、と言われて少女が己の姿を見下ろせば、そこには草や泥があちこちにくっ付き、しおしおになった黒のスカートと上着。


「もう! そこいら中で寝っ転がってるからそんなにばっちくなるのよ!」


そこいら中で寝っ転がって、と叱咤するように言われても、別に少女が望んでそうしていた訳ではありません。
小さな子供のように扱われたのがやや不満でしたが、彼女は黙って彼の指示を待ちます。


「全くもう、しょうがないんだから…しろかぶくん、しろかぶくん! この子にお風呂を沸かしてあげて!」


天幕の中で座長のお手伝いか何かをしていたしろかぶくんは、それに「はいはい!」とまた威勢良く返事をして、外へ飛び出して行きました。
小間使いのように走り回される少年が少し可哀想になりましたが、当の本人は慣れっこの様子です。


「お風呂沸きました!」


と、雨でびしょびしょになりながらも再び天幕へ戻って来て、彼から労いの言葉を貰っています。
座長に淹れて貰ったお茶を飲んで少し休憩しているしろかぶくんの横で、だいこんさんは再び少女に向き直り、口を開きました。


「ほらあんた、行くわよ。お風呂小屋はここから少し離れているから案内してあげる。ついでに使い方も教えてあげるわ。…しろかぶくんも、一息着いたらお風呂番に来てね」


そう言って、彼は少女の手を引きます。
座長としろかぶくんを残し天幕から出ると、赤い唐傘をばさりと広げて、薄暗くなった雨の夕暮れに、二人で足を踏み出しました。




****




「おんぼろ小屋だけどお風呂が使えないよりはましだわ、こっちが入り口よ、いらっしゃい」


黄色い天幕の群れから少し離れた川の畔に、その小屋は黒く濡れて佇んでいました。
暗い空へ、曲がったような鉄の煙突からはもくもく煙がたなびき、根元の竈では炎が赤々と燃えています。


「お風呂釜はあっち、脱いだ服はそこの籠、小物入れはあれ、着替えはそっち。ゆでたまごちゃんに借りたのを持って来てもらいましょう。終わったら声掛けて頂戴…あ、声出ないならドア叩くなり何なりして頂戴」


脱衣所で、お風呂の入り方までを早口にぴしぴしと喋って少女に教え込むと、そのままだいこんさんは嵐のような唐突さで、何処かへ消えてしまいました。
彼女がぽかんとしていると、入れ替わるようにいつの間にか休憩を終え、やって来ていたしろかぶくんが、小屋の外から「入っていいよ!」と声を掛けます。

そんな訳で現在少女は、この不思議な、大きな風呂釜の中で座っているのでした。


「お湯加減はどう? 熱くない?」


お湯の中でぼうっと物思いをしていれば、屋外のしろかぶくんがそう尋ねます。
少女は格子戸の外へ、その白い腕だけをにゅっと出すと、親指と人差し指で輪を作り、大丈夫の意を示しました。


「そっか! よかった!」


ぽつぽつと言う雨音の中、しろかぶくんの微笑んだ気配がして、彼女もまた、湯船の中、少しだけ綻んだ気分になります。
ぱしゃんぱしゃんと、時折雨漏りした雫が、まるで音頭を取るように、風呂釜の中へ跳ねていました。




****




お湯から上がり、用意された手ぬぐいで体をざっと拭くと、少女は置いてあった薄桃色の布を手に取ります。
いつの間にか、ゆでたまごちゃんが置いて行ってくれたらしい着物でした。

彼女はそれを手に取ると、着物を背中の後ろにまわし、襟先をもって肩からはおり、背中心がまっすぐになるように袖口を軽く引きます。
そのまま衿先を持ち、左右を前正面で合わせました。
手の届く範囲で左右の衿先をもち、布を脇の下まで持ち上げます。体に添わせながら、裾を床すれすれの長さまで平行に下ろしました。
下前を合わせて、上前を合わせ、慣れた手付きで腰紐を結びます。

右手でしっかり衿の端を押さえ、腰紐の中心を右腰に持ってきて紐を後ろにまわしてひと締めし、前に回して紐をふたからげして交差し、両脇で腰紐に引っ掛けました。
前のだぶついた部分のしわを伸ばし、お端折をつくり、脇下の空いた部から手を入れて、後ろのたるみも伸ばします。
左右の掛け衿を合わせ、下前衿を留め、背中の皺を取ると、着姿を目視して確かめます。

最後に帯を手に取って、肩に掛けながら腰元へ回していると、ふと冷たい風が吹きました。
何だろうと顔を上げると、そこにはいつから来ていたのか、戸口に目を丸くしたゆでたまごちゃんが立っています。


「…あら、まあ……」


どうしたの、の意を込めて首を傾げれば、彼女は依然ぎょっとしたような顔のまま、首を振りました。


「…あなた、自分でお着物が着れたの…?」


こくりと頷けば、何故か絶句されます。
途中の帯を最後に四角く括り、後ろへ回すと、少女はまた首を傾げました。


「…あのね、お着物って、慣れてもいないのに自分で楽々着れるものじゃないのよ…」


よく分からないのでまた首を傾げれば、ふうと息をつかれます。


「…着付けのお手伝いをしようと思って来たんだけど…大丈夫だったみたいね……すごいわ、あなた…」


そんな彼女に、少女が一人で首を左右へ捻っていると、呑気な声が辺りに響き渡りました。


「あら、お着替え終わった? …まっ、あんた、お着物が良く似合ってるじゃない! いいわねえ…!」


視線を上に上げれば、ゆでたまごちゃんの後ろに、長身の彼が立っています。


「ちょっと!だいこん役者!女の子のいるお風呂場に無断で入ってこないで!」

「あらごめんなさい、それにしても本当に良く似合ってるわあ…!あんなに泥だらけだったのが嘘みたい、さっぱりしたわねえ…」


目を三角にするゆでたまごちゃんを気にせず追い越して、彼はずかずかと小屋へ入って来ました。


「気分はどう? お風呂、ちゃんと入れた? お湯加減はどうだったかしら?…んー、お湯で温まっても声は出ない…? そう、まあしょうがないわね!」


矢継ぎ早に言葉を浴びせられ、少女はただただ人形のように首を縦に振り続けます。


「ちょっと!この子が困ってるでしょう! あんまりわあわあ喋っちゃ駄目よ!」

「んー、分かったわ。…あら、帯も綺麗に結んであるけど…角出し結び? 随分と渋いのねえ……ゆでたまごちゃんが着付けてあげたの?」


ゆでたまごちゃんの話を聞いているのかいないのか、彼は少女を人形のようにくるくる回らせて観察すると、帯をぽんぽんと叩きました。


「……違うのよ…この子、自力でお着物が着れたの…」

「ふうん、そう。それよりゆでたまごちゃん、この子には角出し結びなんて落ち着いたのより、こういう可愛らしい結び方の方が良いんじゃないかしら」

「だいこん役者、聞いてるの?!」


ゆでたまごちゃんの言葉をふんふんと歌うように聞き流し、彼は少女の帯へ手を掛けます。
そのまま、ひょいひょいと帯を解くと、きょとんとしている彼女をまた回らせて、再びぐるぐると帯締めを始めます。


「…まあっ!女の子の帯を了解も無く解くなんて…! デリカシーがないわ!」

「そうカッカしないのよう、ほらっ! 蝶々結び、できたわよ」


最後にぽんと少女のお腹を帯上から叩くと、彼は満足げに笑いました。
対するゆでたまごちゃんは、怒ったような、困ったような少し怖い顔で彼を睨んでいます。
そんな二人の間で、依然きょとんとしている少女。


「……で、何かしらゆでたまごちゃん。この子がどうしたんですって?」


ようやく目を吊り上げた彼女へ向き直ると、だいこんさんは悪びれずに聞き直しました。


「だから!言ってるでしょう! お着物は私が着付けたんじゃなくて、この子が一人で着たのよ…!」


腰に手を当て、お説教のような姿勢で彼を諭すゆでたまごちゃん。


「へえ、ふうん、そうなの。……………何ですって?!」


対する彼は、遅い反応速度でたまげていました。


「ちょっと、あんた! それ本当なの?!」


ぐるぐると回転させた次は、少女の肩を掴んでゆさゆさと揺さぶります。


「だいこん役者! 乱暴な真似は止してあげて!」


ゆでたまごちゃんの怒声にもちっとも堪えない彼へ、少女がやや辟易としながら頷けば、相手は唸るような、叫ぶような妙な声を出しました。


「……あのねえ、普通の女の子は自力でお着物を着たりなんて出来ないのよう…!」


そう言って、珍しい生き物を見るような目付きで少女の頬っぺたをむにむにとして、検分するように長い髪の毛をくいくい引っ張ります。
特に意味のない行為に、少女の顔がひりひりと痛んで、彼女は腕をばたつかせました。


「こらっ!嫌がってるでしょう!やめなさい!」


そんな彼と少女の間に割って入って、ゆでたまごちゃんはその手をばしりと叩き落とします。
彼女の背中に庇われて、少女は少しほっとした心地になりました。
そんなゆでたまごちゃんは、あいたたたと手を振る彼へ、そのままがみがみとお説教を食らわせています。


「…それにしても妙ねえ…何の記憶も無いはずなのに、お着物が楽々着られるなんて……」


そんなお説教を馬耳東風といった風体で、きっと素で聞き流しながら、彼は顎を摩り、首を傾げました。


「…もう、全然聞いてないんだから……」


そう言って呆れながら、ゆでたまごちゃんもまた、首を傾げて彼女の顔を見遣ります。


「……これも、無くした記憶と何か関係があるのかしらねえ…?」

「…そうなの…? ああ、うーん…覚えて無いのよね…」


うんうんと唸る彼と、困ったように首を捻る彼女。
そんな二人の前で、少女は一生懸命何か思い出してみようと試みていましたが、結局何も分かりませんでした。

ふるふると頭を振れば、はああとため息が帰ってきます。
一抹の申し訳なさが胸に募り、少女は首を竦めました。


「……んんん…でもこれって、あんたのお家を特定する為に、とっても有益な情報じゃないかしら?」


彼がふと、思い付いたようにぼそりと呟いた言葉に、ゆでたまごちゃんも賛同します。


「ああ、そうかも知れないわ! そうすれば、次の街で何か手掛かりが掴めるかも!」


ぱっと笑顔になった彼女に、少女がきょとんとそちらを見れば、にこにことした顔が振り返ります。
「やだあたしったら名探偵!」とかなんとか言って、きゃっきゃっと騒いでいる彼を尻目に、安心させるような手つきで少女の頭を撫でてくれました。


「大丈夫よ…だいこん役者はあんなだけど、絶対あなたのお家を見つけてあげるから…安心して!」


そう言ってまたにっこりした彼女の顔に、少女の胸にあった滓のような不安は、少しづつ溶け出していきます。


「…あらっ! その子を拾ったのはあたしですからね! あんなとは何ですかあんなとは! 『あたしもちゃんと、あ 戦力に!入れてぇおくんなさい!』」


そんな二人の間に、ずずいと顔を突き出して、妙なポーズを取る彼もまた、少女の頭を撫でて優しく笑っています。


「…………」


胸の中がまた、ほかほかと温まり、少女は動かない顔の代わりに、心の中だけで微笑みながら。
二人の言葉に、こくりとただ頷きました。




****




天幕でのささやかな、一座一同の揃ったお夕飯の後。
「しばらくは、ゆでたまごちゃんのテントで寝て頂戴」との彼の指示で、少女は枕と寝間着を片手に、小さなテントの前に佇んでいます。

ドアを叩くように入り口の布を揺らせば、するするとそれが引き上げられ、中からにっこり笑んだ彼女が顔を出しました。


「待ってたわ! さあ、入って!」


誘われるままに敷居を跨ぎ越して中へ入れば、そこには女の子らしい色合いで統一された、小綺麗な部屋があります。
小さなテントは、床に布団を二つ引いただけでいっぱいになってしまったようで、入り口近くの足元には、既に柔らかな綿布団がありました。


「ごめんなさい、狭くって…お芝居小屋がある時なら、もっと広い所で寝られるんだけれど……ちょっとだけ、我慢してね…」


申し訳なさそうな彼女の前で、少女は慌てて、"気にしていない"と首を振ります。
寧ろ、部屋を使わせて貰えるお礼の気持ちを込めて、ぺこりと頭を下げれば、止してちょうだいと笑われました。


「…さ、いつまでもお着物じゃあ窮屈でしょう…寝巻きに着替えて」


言われるまま、するする着物を解いて畳めば「完璧ね…!」とまた感嘆するように声を上げられます。


「…だいこん役者ったら、お風呂上がりならもっと軽い浴衣にすればって言ったのに、お着物を着てせみたいって聞かなかったの…ごめんなさいね。あなたを着せ替え人形か何かと勘違いしてるみたい、全く!」


寝巻きに着替えながら、ぷんぷんと怒る彼女の言葉に一々頷いていると、ゆでたまごちゃんの言葉がぴたりと止まりました。
どうしたのかと首を傾げれば、彼女の視線は、少女の腹部へ注がれています。
何だろうかと手を振れば、彼女は少し、心配そうな声を出しました。


「…あなた……お腹に、痣があるのね…」


そう言われて少女が己の腹部を見れば、白く滑らかな肌の上。
部屋の照明に照らされ、そこには確かに薄青の痣が、硬貨ほどに小さく。しかし何処か、異様な風に存在していました。
少女は初めてそれを目にして、少し驚きます。お風呂へ入った時は、小屋が薄暗かったので、それに気づけなかったのでした。


「……それ、痛む…?」


心配そうに聞かれて、少女はその、臍の辺りの痣を手で触ってみますが、何の変化もありません。
全然平気だと首を振れば、「生まれつきのものなのかしら…?」とゆでたまごちゃんは首を傾げています。
少女もまた首を傾げつつ寝巻きに着替えて、彼女と向かい合わせに座りました。


「…でも、これもまた、手掛かりになるかも。…あなたの手掛かりを探す時、使っても良い?」


そう聞かれて、少女は特に拘りもなく頷きます。


「そう、ありがとう!また手掛かりが増えたわね!」


と、嬉しそうに言うゆでたまごちゃんに、少女もまた、こくりと頷きました。


「はあ…それにしても久しぶりだわ…! 女の子と二人で寝るのは…」


何処か嬉しそうに、茶箪笥をごそごそとしているゆでたまごちゃんへ、少女は目をぱしくりとします。


「ほら、ここは誰も彼も男ばかりの男所帯じゃない…? むさ苦…ううん、私一人女で寂しくって…前はミナちゃんって女の子が一座に居たんだけれど、その子が抜けてもう久しいから……」


茶箪笥から櫛を取り出して、「だから、久しぶりのお部屋へのお客さん、とっても嬉しいわ」と笑った彼女に、少女もまた柔らかい気持ちで頷きました。


「ね、向こうを向いて座って。髪の毛、梳かしてあげる」


言われるまま、相手に身を預ければ、優しい手付きで髪を梳いてくれます。


「長くてとっても綺麗な髪の毛ねえ…羨ましいわ! ほら、私って髪の毛が無いから……ふふ、でも絡まっちゃってる。解いてあげるから、じっとしてて」


ゆでたまごちゃんは彼女の髪を梳きながら、一座で起こった色々なお話を少女に聞かせてくれました。
それはしろかぶくんの頑張りだったり、座長のドジの話だったり、だいこんさんのドジの話だったり、まあつまり主に愚痴でしたが、少女はそれを楽しく聞いていました。
自分の世話になっている、愉快な一座の面々の逸話に触れることができて、嬉しかったのです。


「もう…それでね、だいこん役者ったらしろかぶくんばっかり、虐めるようにこき使うのよ…!許せないわよね! …あ、終わったわ。良いわよ、楽にして」


彼女へ向き直り、髪を梳かして貰ったお礼にぺこりと頭を下げれば、「こちらこそ、何か愚痴ってしまってごめんなさい」と、にこにこする彼女と謝り合うことになりました。

相手があんまり嬉しそうなので、少女はくるりと首を傾げます。
それに応えるように、ゆでたまごちゃんが再び口を開きました。


「うふふ…こうやって女の子とお話しするの、本当に久しぶりで……とっても楽しくってね」


自分は口が利けないのに、お話しとは妙な事だと少女がまた首を傾げれば、「ううん、ただ居てくれるいいのよ」と微笑まれます。


「…あなたって、不思議な人ね…初めて会ったのに、何だかまるで初めてな気がしないわ……それに、あなたを見ているとね、何だか妹を思い出すの…」


そう言うと、彼女は自分の生い立ちや、嵐の夜に生き別れになってしまったらしい妹のこと、その妹と巡り合った日のことなどを楽しそうに話してくれました。


「……本当に、不思議ね…あなたは私よりうんと背も高いし、妹より年上でしょうに、どうしてかあなたを見ていると思い出すの…あの子、今何をしているのかしら……ふふっ、何だかね、まるであなたが妹みたいな気までするの…ふしぎ。……だいこん役者があなたを放って置けなかったのも、何となく分かるわ」


またきょとんとする少女の横で、ゆでたまごちゃんは櫛を仕舞い、くすくすと笑いました。
そのまま寝具をぽんぽんと叩き、口を開きます。


「…さあ、明日は朝早くから出発だから、もう寝ましょうか。お話しに付き合わせてしまってごめんなさい。…ゆっくり休んでね」


少女が大人しく寝具に滑り込んだのを見届けて、彼女は灯りを消し、自らもまた布団に潜ります。


「ふふっ…明日から大忙しね…」


暗闇の中、楽しそうな彼女の声が聞こえます。


「…絶対、あなたのお家を見つけてあげるわ……大丈夫よ」


また、安心させるように言い聞かされ、少女もまたこくりと頷きました。
雨はいつの間にか、上がっています。

そうして二人は目を瞑り、眠りの夜が帳を下ろしたのでした。

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