▼ 白く咲けるは何の花

その子はね、ある暖かい春の日に、あたしが野っ原で見つけた女の子なの。

あんまりにも気持ちのいい陽気だから、あたしは何だか散歩にでも行きたくなってね。珍しく、お稽古も早く切り上げて、森へ散策に出たの。
あの日、一座が逗留していた森の中には、広い広い原っぱがあってね。
白や黄色のお花が沢山咲いていて、とても綺麗だった。
きらきらとするお天道様の下、何処かで雲雀や鶯が鳴いていたわ。

あたしは青臭い若草を草履で踏みしめながら、こんな長閑なお芝居も良いわねえとか、そういう事を考えていた。
そんな時だったわ。

あたしは遠い草原の先に、真っ黒の服を着た誰かが、ばったり倒れているのを見つけたの。

通りかかった森の中。近くに人の住む家なんか、無かったわ。
だとしたら、旅人の行き倒れかしらと。あたしは慌てて駆け寄った。


そうしたらね、その人は。
その子は、淡い淡い白の花の中に埋もれるようにして、いっそ青白いくらいの瞼を閉じて。
草の上で、眠るように横たわっていたの。

綺麗な、とても綺麗な顔をした、陶磁器みたいな女の子だったわ。


真っ黒い長袖の、この陽気では幾分暑そうなスカートを履いて、胸には臙脂のスカーフを巻いていた。
白い花の中にぱっと散った、長い長い黒髪はなめらかで、みどりに艶めいていた。可愛いお下げに編んで、その子はそれを地面に広げていた。


とっても不思議な出会いだった。
お芝居にしたら、きっと素敵な舞台になったでしょう。
そんな事をあたしがにこにこ考えていても、その子はぴくりとも動かないの。

死んでいるんじゃないかしらって、ゆさゆさ体を揺すってみたら、温かい。
ほっとしながら声をかけたら、その子はゆるりと眼を開けたわ。

黒い、黒い、吸い込まれてしまいそうに美しい、玉のような瞳。

益々絵になる場面ねえと、あたしは何処かで考えながら。その子の頬っぺたをぺちぺち叩いて、起こしてあげた。

はじめ、その子は目覚めても、何処かぽやっとしていたわ。
どうしてここに倒れていたのか聞いて、どうしてこんな所にいたのか、名前は、お家は?
どんなに聞いても、なんにも答えない。


その子は口が利けなかったの。
そうして、何も覚えていなかったの。


あれは、あたしのお節介だったのかしら。
あたしは行く当てもないその子を、一座の元に連れて帰った。

あの子は一貫、ずぅっと無表情だった。
折角可愛い顔なのに、とても役者なんて出来やしない、そんな無表情。

野っ原に倒れていた、行く当てもない可哀想な女の子。
綺麗な顔の、口も利けない、記憶もない、表情もない、そんな女の子。
放って置くことなんて、出来やしなかった。
あたし、その子に名前をあげて、あたしの御手伝いとして、側に置くことにしたの。


今思えば、分かるわ。
あたし、その子にどうしても執着してしまっていたの。


ねえあんた、と声をかけても、首を傾げるばかり。
これ美味しい?今日のお芝居、素敵でしょう?どんなに話しかけても、こくりこくりと頷くだけ。

ねえ、あなたは何を考えていたの?その白過ぎる、柔らかな頬をして。
あの子を知りたい、あの子の想いをもっと知りたい。
そうして、あたしはあの子の心臓を欲した。あの子の心を欲した。


ねえ、あんたがくるくる踊っていたのを思い出すわ。とても綺麗だった。あんたの口の利けないのが惜しいくらい。

あんたは、踊り子だったのね。
まるで桜花のように、ひらひら美しい舞だったわ。あれで言葉さえあれば、絶対良い役者になれたのに。

あんたは最後、記憶と表情が段々と戻ってきた。嬉しそうに笑いながら、くるくる踊っていたのを思い出すわ。
目を閉じれば、今でも。


ねえ、私の拾った可愛いあの子。
私の前から消えてしまった愛しいあの子。


ねえ、あの子は何処へ行ったの…?


目を瞑れば、今でも最後に見た、あの笑顔が浮かぶの。


ねえ、あなたは何処へ行ってしまったの…?
あなたは、誰だったの…?


季節が巡って、再び春が来て。
あの子のいない草っ原で、あたしはあの子を待っている。
帰ってくることなんて、きっとないのは分かってた。
でも、あたしは草っ原に通うのを止めなかった。


ねえ、あたし、あなたに焦がれていたのかしら…?


あたしはそんな事を考えながら、今日も草っ原に通う。
だあれもいない、長閑な、でも寂しい草っ原に。
白い花が咲き乱れていた。
あの子を初めて見つけた時のように。


ねえ、この執着は、恋心だったのかしら…?


あなたにもう一度だけ逢えれば、それが分かる気がするの。








うちわたす遠方人に物申す我 そのそこに白く咲けるは何の花ぞも
 【作者】不明 【出典】古今和歌集(平安中期)

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