Opium
 1.アフタヌーン
 安息日、午後四時二十六分。もし西向きの窓があったなら、カーテンからは茜色が差し込むだろう頃合い。柱時計の振り子の色は、変わらない金塗りのままゆらゆら揺れる。
 かちかちと、部屋には二つの音。鍍金めっきの針が刻む時報と──…、それから、積み木が床に触れる音。
──ちいさな背中は半ば前のめり、まさしく猫の背の様相。
 ぷっくりと短い指が、木目の色を慎重に並べてゆく。造っているのはお城か家か、それとも石の街道か。……どちらにせよ、今日も今日とて良くも飽きずに続けるものだ。
──散々名前を呼んだって、少しも反応しないから。
 こちらはこちらですっかり諦め、白磁のカップを啜るばかり。今日もこのまま、おねむになるまでだんまりなのかと半ば拗ねつつ──口紅の付いた縁を拭って、差し湯のポットを傾けた頃合いだった。
「──どうしました」
 ふと、前触れもなく──…、おさないかたちの手のひらが、ぴたりと止まった。そうして、短い肢体──まだテーブルの上すら覗き込めない、四フィートと三.一八インチ(先週測定)の短身──は、すっくと立ち上がった。
 やはり、その手と同じくぷにぷにとしたちいさな足。乳白のやわこさが、てくてく向かった方向を見──思わず、おやと声が漏れる。
──それはある種、感動的光景に他ならなかった。すべては、いとけない素足の行き先がゆえ。……つま先の進むその前方にあったのは──W・Cのマーク。
 積み木で建設途中の何かは、まだ三分の一ほどしか出来上がっていないのに。……自ら、ひとりで切り上げ、行けた。
 彼女は、倦怠というものを知らなかったから。自身で作業を中断することなどまずない。この驚愕に値する幼い集中力は、しかし時として牙を剥いた。対象への執着余るばかり──…つまりは、トイレに行くのを忘れる。
 いつもぐらぐら揺れるくらいに我慢して、我慢しすぎて手遅れになることがままあったから……。声を掛けても気づかずもぞもぞする矮躯を持ち上げ、危ういタイミングでお手洗いへ連れて行くのは毎度のこと。まだ、慣らしも兼ねて一時的におしめが取れたばかりだから──…何があってもおかしくはない。さらに言えば、それ以前の時代でも、おむつ漏れとの戦いは免れない。
──未だ、あの後ろ姿のシグナルを読み取れなかった時分……。失われた絨毯の数は、計り知れない。
 そんな彼女がようやくお手洗いを覚え、暫定とは言えおしめから卒業した日のことは深い感動と共に記憶に新しい。未だ失敗したり、こちらが誘導することの方が多かったけれど──それでも時折、彼女は成功した。夢中に遊ぶ混沌から、ふと我に返って立ち上がる理性を身に付けつつあった。……そうして、その回数は日ごとに増えている。
──今回もまた、その記念すべき成功のひとつなのだった。

◆ ◆ ◆

──良くできました!
──素晴らしい!
──天才だ!
 無事戻って来た彼女へ向けて、ありとあらゆる賞賛を。足らずにその顔じゅうにキスを贈る。
──が、当の彼女は、途中の積み木のことで頭がいっぱいらしい。抱き上げると迷惑そうにもぞもぞ動いて抵抗する。
 その舌で──、未だひとに伝えることばを持ち得ないおさなさは、しかし、
『──いったい、この男、なにをそんなに騒いでいるのか』
──とばかりに見返してくる。子猫とおなじまるい目は、無音の口よりずっと雄弁だ。そんなことより、さっさと積み木の建造作業に戻りたいと見えて。幼さは手近の布を掴み、リップだらけの頬っぺたを拭い──ぱたぱたと逃げていく。
 あとには、自分のルージュで真っ赤になすられた服を着た男だけが、ぽつんと残る。
 いつものことだった。



 ラフィおじさん.最近自分の船を貰った。直後、せっかく買い揃えたアンティーク家具をほぼ全て廃棄した。事の真相は闇の中。

 仔ねこベビー.破壊神こと幼児。引き出しは抜き取りたい。ハンガーポールに登りたい。クローゼットで泳ぎたい。お酒の瓶は振ってみたい。コートの羽毛フェザーも毟りたい。いつもおじさんのところへ生まれてくる。

 
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