SSS『葡萄色の抱擁』
2015/05/10 00:00

私がその日の職務をやっと終えたのは、夜も遅い頃合いだった。


部下も誰も居ない軍吏科の執務室で、私は一人片付けをし、家路に着く。
内宮から外宮へと回廊を抜け、自宅の前に立てば。


「………おや?」


一階部分に、明かりが点いている。

ああそう言えば今日はこちらの日だったと、私は扉を開けた。
案の定、来客の気配がする。


「ただいま、待たせたか」

「………お帰り」


ぶつっとした声を怪訝に思い、居間へ顔を突っ込めば。
途端にぷんとする、酒のにおい。


「……おいおい、人の家に酒を持ち込んで飲んだくれる奴があるか…」

「…………」


目の前には、円卓に据えられた長椅子の上。盃を持つ、肌の白い男の姿。
黙って何も言わない相手は、その白い顔を幾分赤くしていた。

卓の上には、酒瓶が何本か転がっている。
それを眺めながら、彼らしくないなと一人考えた。


「……どうしたんだ」

「…………別に」


相手は、酒精へ対して己より幾分強い。
だと言うのに、ぷいと明後日の方向を向いた、その首筋までが赤かった。


「…ふうん」


それだけを返して、私は盃をもう一つ取り出すと、彼の隣。
木に綿と布を張った長椅子の上へ、どさりと腰掛ける。


「…ん、」

「…………」


器をずいと差し出せば、相手はやはり黙って酒瓶を傾けた。
それを口に含んで、私は思わず顔を歪める。


「…なんだ、こんな安酒を呑んでやがるのか……」

「………煩い」


むっとしたように盃を煽る相手に、これでは何時もと立場が逆だと嘆息を吐いた。


何か、あったのか。
どうせ聞いたって何も言わないのだろうと、私は一人肩を竦める。

不味い盃を一気に飲み干すと、私は相手の近くの酒瓶を、ぱっと取り上げた。
そのまま立ち上がり、窓辺へ寄って硝子戸を開ける。

そうして、その飲みかけの安酒をどくどくと庭に捨てた。


「……勿体無いことをするな…」


じろりとこちらを睨んだ相手は、しかし何時ものようにがみがみと叱る気配もない。

これは、なかなか重症だと思いながら。
私は卓上の空き瓶を寄せ集め、全て流しに放り込む。


「…はっ、こんな不味い酒、水以下だ。土にでも飲ませておけ」


放った先からがしゃんと、嫌な音がした。
が、まあ明朝片付けをするのはどうせ奴だと、気にしないこととする。


「…こんな安酒で飲んだくれるより……」


言葉を繋ぎながら、私はごそごそと卓の下の床板を外した。


「……?」


きょとんとしたような相手の前、ぽっかりと空いた床下の暗闇の中へ手を伸ばし、まさぐる。
やがて、手のひらは目当てのものへ辿り着き。

よいしょ、と婆臭い声を上げながら、私はそれを引き上げた。


「浴びるように呑むなら……これだ、これ」


どんと卓に置いたのは、ぴしゃんと中から水音のする、一抱えはある土瓶。
その口は窄み、先端は粘土と樹皮で硬く閉じてある。


「あんな安酒、悪酔いするだけだ」

「……なんだ、それ…」

「……ふふ、何だろうな…」


粘土を引っ掻いて剥がし、樹皮を引っ張れば、ぽんと景気の良い音。
ふわりと漂った芳醇な薫りに、相手は目を丸くした。


「…そら、呑め」


彼の空になった盃へ、重たい土瓶を傾ける。
とぽとぽと耳に心地よい水音ののち、その中にはとろりとした葡萄色の液体。

その深い深い色合い、高尚な薫り。
…早々探しても手には入らない、上等酒である。


「…おまえ…こんなものを、何処で…」


ぽかんとしたようなペルに、私はからからと笑った。


「ははは、前に国王から賜ったんだ。……ビビ様の追っかけを見逃す、その駄賃にな」

「……おまえな……」


一瞬、いつもの表情が戻ったように、相手は呆れた顔をする。


「何て場所に隠しているんだ……」

「はは、おまえにばれて飲まれないようにな」

「おれをおまえと一緒にするな、盗みやしない……」


はあと相手の嘆息する音を聞いて、私もまた己の杯へ酒を注いだ。

こつんとペルと器を合わせ、ちびりとそれを口にする。

長く長く熟成された葡萄は、仄かな渋みの中、まろやかに咥内へ広がる。
鼻に抜けるのは、まるで芸術品のような薫り。

機嫌を良くしてふふんと笑えば、相手もちろりと盃を煽った。


「………美味いな」

「だろう?」


あんな下手物なんかより、しこたま酔うにはこれが良い。

そう返して、私はくいっとその葡萄酒を飲み干した。
さらりとした液体は、濃厚な後味と共に喉へ降り、火照るような軌跡を残して胃袋へ落ちる。


「……勿体無い呑み方を…」


だばだばとまた器へ酒を注ぐ己に、相手は再び嘆息した。
その口は、ちびりちびりと酒杯を舐める。


「良い酒は惜しまず呑むべきだ、おまえもそんなみみっちい呑み方をしないで……ほら、」


やっと空になった相手の器へ、私はなみなみと酒を酌してやった。


「……ものの価値の分からん奴め…」

「分かっているからこそだ」

「…減らず口を」


そんな事を言い合いながら、私たちは盃を次々と空け。

…とうとう、赤子ほどの大きさはある土瓶の中身を、全て飲み干してしまった。


「ふむ、美味かったな」


流石は上等酒、酒精も濃い。
酒への耐性は相手ほどでは無いにしろ、常人よりは強い己も。
随分と酔って、心地は天を舞う。


「………ああ」


応えるペルの呂律は、あまり回っていない。
自分の帰宅の相当前より先に晩酌を始めていたのだろうから、それも当然である。

先刻までは仄かに紅い程度だったその顔は、耳まで真っ赤になっていた。
盃は投げやりに卓上で傾き、本人は長椅子の上でだらりと蕩けている。

これもまた、随分と珍しい光景だと。
内心、苦く思いながら。
じっとその顔を見遣れば、じろりと睨まれた。


「………なんだ」

「…いいや、何でも」


だがその視線は、酒精の所為か、それとも別の要因でか…
何処か、力無い。

その隣で、私はそっと息を吐き。
彼の肩を、くいとこちら側へ引く。

しこたま酔った相手は、空気の抜けたように己の膝上へ崩れた。


「………なにをする」

「…さて、何だろうな」


ぶつりと言った彼は、しかし太腿の上へ頬を乗せ、じっと動かない。

その頭の布を、そっと取り払ってやって。
日に焼けた鳶色の髪を、私はさらさら梳いて耳に掛ける。

羽繕いをされる小鳥のように、彼は白い目蓋をひたりと閉じた。


「……ふん、自棄酒呑みのご機嫌直しは大儀だな」


くるりと、普段は白亜のように真白い…しかし今は紅くなった耳介を撫ぜて、頬へ指を滑らせる。

…反応が無いのを確かめて、火照った頬をふにりと突き、熱い其処へ手のひらをぴたりと当てた。
そのまま、硬い喉仏まで指を這わせて。


「……………」


私は静かに屈むと、青紫の唇へ、口唇を重ねる。
ぺたり、と触れたそれに満足して、顔を上げれば。
相手の閉じた目蓋は、ぱちりと開く。

黒墨のように深い虹彩が、じっとこちらを見つめていた。


「……何だ、起きていたのか」

「……………」


何も言わずに再び目を閉じた相手に、私は一人苦笑する。


「このまま、寝ても良いぞ」

「………そうもいくか、阿呆」


そう言いながらも、相手はごろりと寝返りを打って、こちらの腹に顔を埋めた。


「…甘えため」

「………うるさい」


深く息を吸う音と共に、その背中は静かに上下する。



(……さびしそうな背中だ)



さて、己が軍吏科に篭っている間に、一体何が起こったのやら。

一人、そう思案しながら、私は彼の後頭部を何度も撫ぜる。
身動ぎもしない相手の身体は、しかし疲れたように弛緩していた。


「……おやすみ、ペル…」


弓なりになった背中へ、ひたりと手のひらを触れさせる。
寝付けない夜、彼がよくそうしてくれるのを真似て。

とん、とん、と。
私は緩やかに、其処を摩り続けた。



(……馬鹿だな…こんなになるまで隠しておくんだから…)



その口から決して吐き出されることのない言霊は、吐息となって空気に溶ける。



(…………ペル、おまえは…)

(…ほんとうに、大馬鹿だ………)



窓から見える紺青の空は、少しづつ、少しづつ…更けて行った。





(強がりの翼を畳んで、眠って)






****

葡萄色と書いて"えびいろ"と読みます。

愛鳥週間SSS、去年も書いたのでネタが(以外エイプリルフールの時と同じ言い訳)

ペルさんは何か嫌なことがあったと言うより、我慢に我慢を重ねて疲れてしまったのでしょう。
やけ酒は軍吏長の専門ですが、ペルさんだって自棄になりたい時はあるはず。
何も言わなくても、言えなくても、そんな時に彼を甘やかしてあげる軍吏長でした。

軍吏長もペルさんも、どうしようもない強がりで強情です。
でも、お互い甘え合いっこできるので何とかなっている。

葡萄酒は古代エジプトではファラオしか飲めない上等酒だったそうなので。
すごい勿体無い呑み方してますが、軍吏長なりにペルさんを甘やかしてあげてるので…

地味にエイプリルフールのと対になっている、愛鳥週間SSS(?)でした。




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