SSS『ねんねんころり』
2015/03/18 18:31

 胸に若さの漲る誇り

 海の男の艦隊勤務

 月月火水木金金



…とは、いつか行ったサンドラ下流の港町で、海兵の歌っていた軍歌であったか。


「軍吏長、砲兵科から予算を請願する電伝虫が」

「…不許可だ。叩き切って置け。」

「了解です」


月月火水木金金、とは、文字通り七日の一週間を、土日返上で働くことの意であるが。
暇そうに樽に腰掛けて歌っていた若い海兵の顔を思い出し、己の苛立ちは沸騰する。

何が、海の男の艦隊勤務だこっちは大地の上のこの上ないまでの内陸にいるが休みなぞ無いぞ薄暗くて黴臭い部屋で不眠不休だ誇りも糞もあったものか馬鹿にするな阿呆が…!

…ここ二週間ほど、怒涛の決算期で帰宅不可能の軍吏の身としては、そう思うのである。


「軍吏長、騎兵科から請願の電伝虫が」

「叩き切れ。」

「軍吏長に繋いでくれと泣き付いてきて…何でも、飼い葉が買えないとか…」

「馬に付ける装飾用の余計な鎧なんか勝手に買うからそうなる。…自業自得だ、買ったものを売れと言い渡して切れ。」

「了解」


私は目前に山脈が如く積み上がる、書類と帳簿の塔の後ろから。姿の見えない部下に、返事をした。

算盤を弾く左指の感覚は既に麻痺しているが、それでもただただ機械のように動かし続ける。
長時間の座勢に耐えかねたらしい脚はがたがたと、地震のように貧乏揺すりをするが、止めようにも止まらない。


「軍吏長、工兵科から治水の為の基金を請願する文書が届きました」

「破り捨てろ。」

「し、しかし…」

「この時期に治水なんかあるものか。…どうせ、何処かの駐屯所の設備を更新したいだけだろう…偽装するにしても、もっとましな嘘を吐くんだったな。」

「は、そのように書いて送らせます」


算盤を弾き終わると筆を取り、豪然と帳簿へ数字を書き込む。

葦の付け筆とは、何と不便な筆記具であろうか。
実に前時代的だと憤慨しながら、途中でちまちまと墨壺へ筆を遣るのも面倒で、インクの掠れた筆をそのままに、私は手を動かし続ける。

…乏しい国庫で、最新鋭の墨内蔵型の樹脂筆など、とてもではないが導入出来ない。


「……お止めに! 軍吏長は今、ご職務が…!」

「ええい煩い! 離せ、離さんか…! あの頑固者の牝獅子めに会わせんか!!」


ふと、騒然とする紙壁の向こう。
手を休める事はせず、私は部下に問い掛ける。


「外が騒がしいが、何事だ。」

「はい、軍吏長…推算経費の少なさに激怒した砲兵科長が乗り込んで来ました」

「追い返せ。」

「はい、すぐに……うわっ!」

「おい小娘!! この予算配分は何だ!!! これでは銃砲の新調どころか、火薬すらまともに買えんではないか…!!」


部下の声は途中で途切れ、何かと思えば。砲兵科の、暑苦しい親父の声がした。
どうにも部下の制止を無理矢理退けて、部屋に押し入って来たようである。

やはり手は止めず、目も紙上に向けたまま、己は侵入者へ言葉を返す。


「…馬鹿を言うな砲兵科長。勝手に最新鋭の銃器なぞを輸入して、自らの予算の余剰を枯渇させたのはそちらだろう。」

「…そ、それは………」

「こちらが応じる故も無い。お引き取り願う。」

「…え、ええい! 黙れ黙れ!! 貴様ら軍吏など黙って金を出せば良いんだ!! このっ…………がっ!」


私は数式を解きながら、片手間に手元の文鎮を短く振りかぶって、投げた。
喧しく怒鳴っていた相手の声は、唐突に途切れる。


「お見事です、軍吏長!」

「綺麗に後頭部へ決まりました」

「そうか…意識は?」

「ありません」

「ふん縛って何処か遠くの回廊に転がして置け。…っち、全く砲兵科の連中は気が荒い。」


奴らは兵科一の金食い虫である癖に、態度が図々しくて嫌になる。
舌打ちしながらそんな事を考え、私は砲兵科の請願書に不許可印を叩きつけた。

喉がひりひりと渇いて、手近の器を口に煽れば、何も出てこない。
見ると、底に僅かの色素を残して、珈琲は干からびていた。


「………………」


なればと、片手に軽食の皿を引き寄せれば。
それは、緑色の黴をもわもわと生やして萎れていた。


「………っち」


また舌打ちをして、私はそれらを机上の隅へと追いやった。

帳簿を開き、国庫の余剰を計算する。


「軍吏長、」

「…今度は何だ。」


無感情に問えば、がちゃりと扉の開く音がする。


「お迎えがいらっしゃいました」

「叩き出せ。」


部下の声に即答して、私は再び算盤を弾いた。


「…あいつ、いつからああしているんだ…?」

「はい、ペル様…ここ三日程は、お手洗いに立たれる以外、あちらの書類の壁よりお姿を見た者はおりません」


聞き慣れた声を耳に、成る程、三日も座って居れば軽食も腐ると、内心納得しつつ。
侵入した鳥を追い出す気配の無い部下へ、叱咤を飛ばす。


「おい、部外者を中へ入れるな。早く叩き出せ。」

「…お言葉ですが、軍吏長……そろそろお休みになられるべきでは」

「要らん。それより早くその雀を追い出せ。」

「……雀呼ばわりとは酷いじゃないか、軍吏長…」


唐突に、横から聞こえた声にぎょっとする。
ばっと後ろを見遣れば、其処には肌の白い男。


「おい! 叩き出せと言っただろう!」


動揺に振動した机上から、書類がぼとりと一つ落ちた。
部下を怒鳴りつければ、平然とした声。


「…軍吏長、ペル様を叩き出せるほどの力量を持つ者など、この軍吏科にはおりません」

「糞ったれが…!」


口汚く罵りの声を上げた、己の手の内。
何日も握ったままで温まった筆が、するりと抜かれる。


「…そういうことだ…じたばたせずにお縄になれ、軍吏長」

「この、お節介虫め…!」


首根っこをむんずと掴まれ、私はばたばたと暴れる。
机の上の紙山は、とうとう雪崩のように瓦解した。

そのまま、椅子からずるずると引き摺り下ろされ。己は、相手を殴りつけるべくして拳を放つ。
…が、徹夜続きで弱った体ではそれもままならず。容易く避けられた。


「私はこいつを寝かせて来るから、お前たちも適当に休みなさい」

「はっ、ペル様」

「ありがとうございます」


ずりずりと机の裏から引っ張り出され、目にしたのは奴へ叩頭する部下たちの姿。


「貴様ら…! いつからペルの配下になった!」

「…軍吏長、ごゆるりと御休みを」

「ペル様、よろしくお願いします」

「ああ、任せろ」


もはや味方は居ないのだと悟った私は、そのままずるずる引き摺られつつ、ペルによって軍吏科から連行される。
惨めな姿の己へ、部下たちがにこにこと良い笑顔で手を振っていたのが、最高に苛ついた。





****





…回廊を、奴は私を引き摺りながら延々と歩いて行く。


「おい」


空気はひんやりとしていて、見れば空は暗く、星が輝いていた。

時間の感覚など、とうに狂った身の上である。
今は昼頃であったと思ったのだがなあと、頭の何処かで考えた。


「おい、ペル…!」


何も応えない相手に、苛立った声を上げれど、奴は無言だ。
離せと言ったところでどうせ無意味だろうと、私は諦めて口を閉じる。

抵抗する気力も萎えるほど、体は疲れ切っていた。
相手はぬいぐるみのように己を引き回し、やがてある部屋の前で止まる。

がちゃり、と扉の開く音と同時に、ぽんとその中へ放られた。


「ぐえっ…」


体は無様に転がり、声帯は潰れた蛙のような声を出す。
冷たい床の上でもぞもぞと天井を向けば、其処が仮眠室だということに気が付いた。


「…全く…おれが出ている隙に勝手をして……」


はああと、聞き飽きた嘆息の音と同時に、ペルが呟く。


「三日も座っていただと……おまえは…筋金入りの馬鹿だな…」


地面から見上げると、相手が何時もより巨大に見えた。
腰に手を当て仁王立ちするその影が、顔を覆う。


「……勝手はどっちだ…人の職務の邪魔ばかりか、散々引き摺り回して…」


それへ憮然と言葉を返しながら、しかし内心『もうそんなに経ったのか…』とぼんやり思った。

書類の壁に閉じ籠る前、「これから国王の視察と出るが、くれぐれも無理はするなよ」と彼が言い残して行ったのは、つまりは三日前なのか。

そんなことを徒然と考えていると、相手がぐんと屈み込む。
ぎょっと身を強張らせれば、奴は猫へするように、私を担ぎ上げた。


「うっ……」


腹に相手の腕が食い込み、思わず呻く。

が、それも一瞬。次の瞬間には、またぽいと放り投げられる。
宙に浮いた体は、ぽふんと柔らかい何かに受け止められた。


(…これは………)


この、柔らかくも程よい弾力があり。
しかし、あたたかに身を包む、肌触りの良いこれは。

…布団である。

決算期の軍吏を誑かす、悪魔の道具だ。
私は必死に起き上がり、誘惑を振り解こうと内心足掻くが、それも虚しく。
体は、鮮魚市で捌かれるのを待つ魚のように動かなかった。


「……ほら、寝ろ」


ペルが言って、胸の位置まで掛け布団を被せる。
背中側と腹側を、ほわほわと魔力的な温もりが行き来し始め、落下しそうな目蓋を、しかし私は根性でこじ開け続けた。


「…馬鹿か。あれだけの量の職務を残して眠れるほど、私は呑気者ではない…おまえと違ってな」


机上から崩れ落ちた、あの膨大な量の書類を想う。
あれを片付けるだけの胆力と、提出までの期間を鑑みれば。
空の胃袋が、きりきりと痛んだ。


「なんだ、不安で寝付けないならば子守歌でも歌ってやろうか…?」

「要らん」


即答すると、相手は面白そうにくつくつ笑った。


「……なら、これでどうだ」


ペルの腕が、にゅっと伸ばされる。
何事かと、また身を固まらせた己の目前。
その手が、そっと仰向けの腹の上に置かれた。


「………?」


一人首を傾げれば、相手はまたくすりと笑う。
そして、そのままぽんぽんと。
幼い子供を寝かしつけるように、手のひらを軽く上下させた。

ぽんぽんと、布団の弾む音が、静かな部屋に響く。


「どうだ、寝られそうか」


何処か得意げなその声色に、こいつは本物の大馬鹿だと呆れ果てた。


「はっ、こんな子供騙しで、大の大人が寝付く筈が…………」


しかし、そこまで言って。
私の意識は、緩々と遠ざかる。

これはいけないと、目蓋に再び力を入れようとし…

だが気が付けば、それは閉じられていた。
焦燥は、ぬるま湯の中の角砂糖のようにさらりと崩れる。

全てが、暗闇に包まれた中。
とん、とん、という、彼の手のひらの感触だけが残った。



『おやすみ、』



最後に、彼の声が聞こえて。
あとは、何も分からなくなった。





****





「………やっと寝たか…」


むずがる赤子のように、中々寝ようとしなかった彼女は、己の前ですうすうと寝息を立てる。


「…全く、また無理をして……」


後頭部で一本結いにした、相手の髪の束。
それが、枕へ当たって邪魔そうだったので、髪留めを外してやった。
そのまま、手入れを怠られ、草のようにぴょんと跳ねた髪を撫で付ける。
さらさらと指で髪糸を梳いても、相手の起きる気配は無かった。

危ないので耳飾りも外してやり、髪留めと併せて枕元へ置く。


「……ふふ、何が子供騙しだ…ころっと寝た癖に…」


彼女の腹部を緩く叩いていた手を上げて、その頬をつんと突つく。
ふにふにとしたそれは、しかしいつもより弾力に欠けた。

寝不足で僅かに痩けた頬と、目の下の酷い隈を見て、己ははあと嘆息する。


「……目を覚ます前に…テラコッタさんに頼んで何か作って貰って、食べさせないとな…」


つくづく手のかかる奴めと、相手の頬を撫ぜ。

夢も見ずに眠っているであろう、彼女の寝台の横へ腰掛けて。
その寝顔を、見守っていた。




(さあ、おやすみなさい)




****

本日は世界睡眠DAYらしいので、それっぽいのを。

誰か軍吏長にレッド○ルを差し入れてあげてください…
ちっとも甘くありませんでしたが、ホワイトデーのでなんか満足したので今回はこんな感じでした。




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