SSS『焼き菓子とスパイス』
2015/03/14 00:00

職務を終えて家に帰ると、ぷんと甘い香りがした。


お、これはと思って台所へ直行すれば。
案の定、其処には本日非番のペルが、前掛けをして泡立て器をかしゃかゃと言わせている。
その横には、鉄板の上に並べてある焼き菓子。


「…ああ、お帰り」

「ただいま。…うまそうだな、ちょっとくれ」


言って、冷ましている途中らしい焼き菓子に手を伸ばせば、「こら!」と怒られた。
知らんぷりをして、こんがりと焼けたそれに触れれば。


「あちちっ…!」


焼き立てだったらしいそれは、思いの外熱く、指を火傷する。


「…はあ……だから言っただろうが…」


呆れたような声を出す相手に、べっと舌を出して、水瓶で指を冷やした。


「全く、子供じゃあるまいに……」

「煩い。…それより、何を混ぜているんだ」

「付け合わせだ」


「一口くれ」と言って、またも相手の了承も得ずにひやりとしたボールに指を突っ込む。
とろりとした、甘いクリームを私が堪能している最中、奴は無言で拳骨を寄越した。


「何だよ、殴ることは無いじゃないか」

「お行儀の悪い馬鹿には相応だ」

「なに…!」


むっとして、漸く冷めたであろう、まだほかほかと温かい焼き菓子を摘まむ。
ぽんと口へ放れば、またはあと嘆息された。

かしょかしょと奴が泡立て器を動かす音と、私がぼりぼりと菓子を咀嚼する音が部屋に響く。


「うまい!」


焼き上がった香ばしい小麦と、甘い干し果物、そしてぴりりと弾けるようなスパイスの味は、流石と言わざるを得ないものであった。
素直に賞賛して、また一つ口に放れば。当然だろうと言いたげに、ふふんと鼻で笑われる。

不遜な態度が気に食わなかったが、菓子に免じて大目に見てやることにした。
うきうきと心踊らせながら、私は竈で焼き上がりつつある、別種の菓子種を覗き込んだ。
種はもこもこと膨らみ、まるで小さなひよこのようである。

私は大変上機嫌になって、奴の広い背中の後ろをうろちょろした。


「なあ、なあ、まだあれは焼けないのか」

「まだ生焼けだ、我慢しろ」

「それ、まだ泡立て終わらないのか…?」

「もう少しかかる」

「…手伝ってやろうか?」


小首を傾げて聞けば、途端に相手はかっと目を見開き。
ぶんぶんと、物凄い勢いで首を横に振る。
必死の形相だ。


「……何だよ、その顔は」

「もうあんな惨劇を繰り返すのは御免だ」


その白い顔を、一層蒼褪めさせて言う相手に。
ちぇっと一つ舌打ちをして、私はまた焼き菓子を頬張る。

…事実、己に料理の腕が皆無なのは確かだ。
丁度ひと月前、"ちょっと失敗してしまった"砂糖菓子を相手に食わせたら、三時間も寝込まれたのには面食らった。

一抹の気まずさに、また菓子を口に放れば、ぴりりと辛い。
私が手伝いを諦めたのを見て、あからさまにほっとした顔をする相手にややむっとしたが、黙っている。
二つ続けてもしゃもしゃと鉄板の上の菓子を平らげた己に、彼はまた呆れたように言った。


「…こら、そんなにつまみ食いばかりしたら無くなってしまうぞ……」

「煩い、私は腹が減ったんだ」

「太るぞ」

「……煩い!」


もそもそと口の中のものを飲み込みながら唇を尖らせた私に、彼は笑って泡立て器を置く。
そのままミトンを手に嵌めた相手に、私はぱっと目を輝かせた。


「焼けたのか!」

「……ああ、もう頃合いだろう」


延べ棒を手に取り、竈の奥をごそごそとやったペルは、驚くほどの器用さで熱された鉄板を取り上げる。
鍋敷きの上にとんと置かれたそれには、小山のような形の可愛らしい菓子が並んでいた。


「……わ、凄いな!」


何も考えずに伸ばそうとした手は、彼の手にぱっと掴まれる。


「こら…二度も火傷をしたいのか」

「……あ」


うっかりしていたと反省する私の頭を、相手は幼い子供にするようにぽんぽんと撫でた。
子供みたく扱うなと苦言を呈せば、「たかが菓子にそんなに目を輝かせる奴の、一体何処か大人なんだ」と笑い飛ばされる。

これには私もかちんと来て、相手の手を幾分乱暴に掴んで退けた。
やっと少し冷めたようなその出来たての焼き菓子を、あちちと掴んで口へ放れば、舌を火傷する。
苦悶しながらも、スパイスの良く香る菓子をさくさく食む私へ、「食い意地の張った奴め」と彼は呆れたように水を差し出した。

それを勢い良く飲み干せば、幾分楽になる。
はあと、何度目か分からない相手の嘆息の音に、面映ゆい心地がした。


「……これ、ちょっと桂皮の量が多いんじゃないか、辛いぞ」


それを紛らわすように、彼の菓子へ思ってもいないケチを付けてみれば。
相手は、きょとんとした顔をする。


「…そうか? 分量通りの筈だが……」


程よく冷めたらしい焼き菓子を、相手も摘まんでぱくりと食べた。
さくさくとそれを嚥下した彼は、妙に悪戯っぽいような顔でこちらを見る。


「………そうだろうか。おれは、このくらいが丁度だと思うがな」


「ほれ、もうひとつ」と菓子を摘まんだ手を目前でひらひらと振られて、私は反射的にぱくりと口を開けた。
すぐそこにあったそれは、しかし。
ひょいと横に逸らされ、私は口をぱかりと開いたまま、ぽかんとする。

刹那の間、顎は彼に掬い上げられて。
気付けば、その白い顔と顔とが突き合わせになった。
はっとして後退ろうとした頭は、相手に抑えられて。

瞬きより先、口唇は触れ合っていた。


「………!」


ぎょっとして開いたままの口を閉じようと思ったが、時既に遅し。
ぽかんと間抜けに開いた其処からは、ぬるりと生温かい舌が侵入して来る。

かっと顔に血が上って、ばたばたと暴れてみるが。
無駄に屈強な相手の腕は、こちらの腰を掴んで離さない。

ぬるぬるとして、苦しくて。頭のくらくらするようなこの深い口付けに、私はまだ慣れない。
今、それは焼き菓子の甘い、甘い味をして私の口内を弄ぶ。
火傷した舌がぴり、と痛んで舌を引っ込めれば、追うようにして伸びた相手のものに絡められ、身動きも取れない。

とうとう諦めて、目を瞑り。
大人しくなった私の舌を、相手は愉快そうに虐めた。
背筋がぞわぞわとして、足が震える。
目頭からは、熱いものが込み上げて。

きもちわるい、と心内に言う己と。
もっとこうしていたい、とぼんやり思う己がいた。


「…………っは、」


目蓋の裏が、ちかちかと光り出す頃。
抑えられていた頭は漸く解放され、互いの唇は銀糸を引いて離れてゆく。

腰砕けになってよろめく己を引き寄せて、彼が耳元にくつくつと笑った。


「ほら、このくらいが丁度良い」


生理涙でまだぼやぼやとする視界で、相手を見遣れば意地の悪い顔。


「甘くなっただろう?」


そう言って、またくつりと笑った彼は。
ぬるく湿った唇で、そっと私の頬へ触れる。
音を立てて離れて行った相手の頭に、私はまた焼けたように真っ赤になった。


「………この…馬鹿…!!」


震える手で何とか相手をぶん殴り、突き飛ばすと、そのまま未だわなわな言う足で、私は炊事場から退散した。
後ろからは、彼がまた笑う声と、泡立て器のかしゃかしゃという音が聞こえる。


斯くして、私は体良く台所を追い出されたのであった。




(ちょっぴり辛い方が、甘い)




****

ここの軍吏長とペルさんはまだ交際し始めてあまり時間が経っていないようです。

桂皮とはシナモンのこと。
ペルさんって絶対炊事も製菓も完璧にこなされるんでしょうね…




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