花曇

-hanagumori-
 数年前の春のまま、まるで時が止まってしまったかのようにわたしの中の春千夜は春千夜のままだった。乱暴なようだけれど優しくて、本音をあまり言わない男の子。それは彼と会う日が減っていけばいくほど、動くことはない。けれども最近それが少し寂しいと思うようになった。会えない日は一体なにをしているんだろうか。もう一緒に登下校なんてしたくないだろうか。あとどれくらい、春千夜と共にいられるだろうか。そんなことばかり、思うようになった。

 暦の上ではそろそろ春が始まるころ。しかし厚い雲に覆われた空からは真白の淡雪が舞い落ちていた。卒業ムードに包まれた教室はどこか浮き立つような空気に包まれていて、通い慣れた学校が突然古く見えるようになった。残り少ない登校日。相変わらず春千夜は学校へ来る日がまちまちだから、もしかしたらあと十日も一緒に登下校する日はないかもしれない。幸い、登校した日は必ず共に下校しているから、もうこれっきりで最後ということはないだろう。

「なまえ、帰ろう」
「うん」
「今日も来なかったね、三途くん」
「……うん」
「メールはしてるの?」
「たまに」

 一番仲の良い小学校からの友人は、こうしてたまに春千夜の話題を出すけれど深くは聞かず、またわたしたちの関係性にも慣れてしまったのか一度もからかわれたことはない。むかし一度尋ねてみたときは、「出会ったころからああなんだから今さらだ」と言われてしまった。思えば、確かにわたしと春千夜は小学生になる前から共にいたので、春千夜以上に長い付き合いの友人はいない。しかしそれは、これから先もずっととは限らない。

「高校バラバラなの、寂しいな」
「卒業しても遊ぼうね」
「絶対ね。なまえは三途くんと一緒なんだっけ」
「あ、うん……」
「本当仲いいね」

 本当は、わたしが春千夜と同じ高校を選んだだけ。彼はあんなにも学校をサボっているのに、要領がいいからかテストの点は悪くなかった。そのため進学先もそれほど偏差値が低い場所でもなく、わたしが迷っていた内の一校であったためそこにしたのだ。そのとき春千夜はなにかを考え込むようにじっとわたしを射抜いたのち、「別にいいんじゃねえの」とだけ言った。わたしは少しだけほっとした。内心、断られると思っていたから。

「あれ」
「どうしたの?」

 突然立ち止まった友人が指差す方向。交差点のその先に見えたのは、見慣れた眩しい金色だった。周りには何人かの男の人がいて、その内の一番背の高い人の背後に春千夜は手をうしろに組んで、まるで従者のように立っていた。目つきもいつもより鋭く、背すじをピンと伸ばして。しかしその背の高い男の人が春千夜に話しかければ、彼は頭を下げ、それから柔らかく微笑んだ。あんな春千夜、見たことない。少し離れているため会話の内容はしっかり聞き取れないけれど、口調も普段とは違うような気がした。
 その瞬間、わたしの中の春千夜が崩れ去っていくような感覚がした。なにもかも、わたしが知っている春千夜と違っていたから。会えなかった日々、彼はああして過ごしていたのか。知りたかったはずなのに、知ってみれば酷く悲しくなって切なくなった。春千夜のことは誰よりも知っていたはずだったのに。誰よりも近い存在だと思っていたのに。
 ずっとあのままでいられたら、どれだけ幸せだっただろう。変わりたくないと願っていたあのころが急に懐かしくなった。


* * *


 淡雪はあっという間に溶けてなくなって、あたたかな春を迎える。卒業式当日。春千夜は変わらずわたしの家の前を通って迎えに来た。そして様子も以前と変わらぬまま。まるであの日一瞬だけ見た彼が幻だったのかと思えるほど、わたしの前では今までと変わらない春千夜だった。その真意はもうわたしにはわからない。

「春千夜、あの黒いマスクやめちゃったの?」
「別にもう寒くねーし」
「前は夏もつけてたよ」
「そうだっけ」
「そうだよ」

 春千夜は麗らかな春空を見上げてから「卒業式とかだるいな」と言った。確かに、彼が壇上で丁寧に頭を下げて卒業証書を受け取る姿はあんまり想像がつかないなと思ったけれど、あの日見た春千夜であったなら綺麗な所作で受け取るだろう。きっと、誰もが見蕩れるほど。

「マスク、つけてた方がいいと思う?」
「え? いや……わたしはつけない方がいい、かな」

 その方が春千夜の顔がよく見えるから。満足そうな顔とか、少しだけ照れた顔とか。あとそれと、意地悪言う時の悪い顔も、嫌いじゃないから。

「わたしはマスクつけてない方が見慣れてるし……」
「ふぅん」
「やっぱりつけるの?」
「いいや? もう捨てた」

 大事にしているように見えたけれど、気の所為だったのだろうか。春千夜はいつものように一歩前を歩いているため、その表情は見えない。本当に幻のようだ。誰かの一歩うしろであんなにも姿勢よく佇む春千夜なんて。



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