長旅を終え、城に着いたその日はどんよりとした灰色の雲が空を隠してしまっていた。

分厚い影の向こう側で、うっすら光る太陽。到着の日がこんなに天気の悪い日だなんて。


「今日は曇っておりますね」

「そうだね」


名前は下げた頭をゆっくりと上げた。そして自慢の笑みでにっこりと彼に頬笑みかける。

何故に自慢かと言うと、自分の兄は大抵この頬笑みで蕩けてしまうのだ。


「同盟の話が落ち着くまで、君には辛抱してもらうよ」

「・・・不束者ですが、どうぞ」


内心名前は驚いている。この世にこんなにも、風に溶けて消えそうな殿方がいるなんて知らなかった。彼はそこらの女子より、遥かに儚げな雰囲気を醸し出していた。

色素の薄い髪はふわふわと波を打ち、雪の様に白い肌、顔の部位は全て女子のように美しく、細い体は今にも折れそうだと思ってしまった。


(同じ殿方と言えど、兄上とは似ても似つかぬのう)


彼、竹中半兵衛は自分の兄とは比べ物に成らぬほど、繊細で美しい器量の持ち主だ。

もんもんと彼を見つめながらそう考えていると、彼は小さく口角を上げ、フ、と笑った。


「幸村君を一度、戦場で見た事があるよ」

「兄上、ですか」

「馬に乗り、炎の様に雄々しく戦場を駆けて抜けた」

「まあ」

「あの彼の妹君なんて、驚きだよ」


口元を着物の袖で隠し、出来る限りに上品にほほほ、と笑って見せた。

すると、半兵衛は友好的に上げていた口角をす、と元の位置に戻し、瞼を薄く落とした。名前の胸が一つ大きく跳ねた。その視線はまるで、見下されている様だと感じたからだ。


「そうだね、彼は猪そっくりだったな」


名前はパチリ、と瞬きをする。口が無意識にもぽかりと開いてしまい、袖で隠していて良かったと思った。

これは・・・兄を馬鹿にしているのか、それとも距離を縮める為の冗談なのか。名前はさらに袖で顔半分を隠した。袖の下でぐるぐると思考を回す。


(些細な事で、いけない)


私は同盟の為の道具なのだ。半兵衛様の気を悪くするような事をしてはいけない。これは些細なお戯れなのよ、きっと。


「まあ、半兵衛様ったら」

「ふふ」

「兄上は一つの事に集中すると、回りが見えなくなります故に・・・」


ふふふ。と名前は笑い、目尻を精一杯に下げて見せる。

半兵衛もくつくつと肩を揺らして笑っていたが、目は笑っていなかった。とんだ曲者だと名前は思う。


「夕餉では酌してくれるかな?」

「はい、かしこまりました」

「部屋へ下がっていいよ」

「・・・失礼します」


名前は心の中でふう、と溜息を吐いて立ち上がった。

先行きが不安だ。彼とはきっと馬が合わないのだろう。早く甲斐へ戻りたい。


「ねえ」

「は、はい」


部屋を出ようと、戸へ手を掛けた時だった。突然に半兵衛から呼び止められ、名前は振り返る。

半兵衛は片手を口へ当て、まるで舐める様な視線を名前へ流していた。


「名前は昔、この国に住んでいたと聞いたけど」

「・・・・はい。幼い頃だったので、覚えておりませんが・・・」

「君は恵まれているね、父君が昌幸殿だったと」

「・・・・・・」

「君の母君は・・・・どこの馬の骨だか知れないのだろう?」

「・・・・・!」


名前は唇を噛みしめた。ふつふつと燻ぶる熱が体内で火となり煙となる。彼女が何も言い返せないのを分かって、彼は楽しんでいる。


「・・・母上の事は何も覚えておりませんので」


名前は頭を下げ、部屋を後にした。













「姫様、お待ちください!」


名前は着物の裾を持ち上げ、せかせかと廊下を小走りしていた。甲斐から連れて来た付きの女中が、待てと名前を追いかける。

彼女は小さく息を切らし、キョロキョロと視線を動かす。先程すれ違った女中二人、に家臣が一人、もしや門番も。


『あれが甲斐から来た人質か』

『真田幸村と母違いの妹だそうよ』

『あれの母は、なんの身分もないとか』

『あれが、真田の娘のう・・・』


誰もがそう言い、そう思っている気がしてしまう。誰もが、私は運のいいただの女子だと言っている。名前は両耳を塞ぎ、与えられた部屋へ飛び込んだ。


「姫様!お召し代えを・・・」

「今は一人にして!」


名前は畳に伏せ、しくしくと泣き出した。ずっと頭の隅にあり、靄を掛けていた死んでしまった母の事。


(兄上、私はもう帰りたい!)


母親と過ごした日々を自分はあまり覚えていない。幼過ぎたのだ。

水面の様に揺れる記憶には、狭くて古い長屋と布団へ寝込むうろ覚えの母の姿。彼女は名前が物心つく頃にぽっくり逝ってしまった。

そして、ある日突然現れた父により、幼い子供にも分かるほど大きな金持ちの家で暮らす事になったのだ。

今になって思うと、あの当時の城の者達は、もしかして佐助さえも。突然やってきた子供、・・・長女と云う存在にいい気はしなかっただろう。

側室や愛人、手付きでさえも身分がはっきりとしている者達なのに、なぜあの子供が、と。


―名前はかわゆいのう―


畳に手を置くと、ざりざりとした感触。

名前を完全に甲斐へと、真田家へと溶け込ませたのは幸村だった。彼が居たからこそ、名前は完璧な真田家の娘となれた。


「兄上、早くお会いしたい・・・」


幸村が自分を特別扱いしてるのには気付いていた。自分を見る目が、他を見る目と違うのも知っていた。






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