彼女は畳へ倒れ込む。その様を見ならが、後ろ手に戸を閉めた。

彼女は身を起こし、ユラユラと揺れる瞳で彼を見上げた。幸村はその目を直視できず、視線を足元へ落とす。

何故自分がこんな行動をとるのか、分かるだろう?分かって居るのなら、某の願いを叶えてくれないか?


「名前、知って居るのだろう?某の事」

「・・・・・」

「名前」

「・・・、・・・」


彼女は下へ俯き小さく口を開けた。幸村は音にならないその声を、肯定と受け止める。


(お主なら)


分かっているだろう?どれだけお前を特別にしてきたか、某の想いを気付いていたのだろ?それを知りながら、お前はここを出て行くのか。


「お主は、半兵衛殿の元へ行ってしまうのだな・・・」

「・・・!」


彼女がぱっと幸村を見上げる。その目には涙が溜まり、今にも落ちそうだ。


「半兵衛様は大切な人です。・・・けど、それ以上に兄上は私にとって特別です!」

「何を言う」

「ずっと、・・・ずっと前から覚悟の用意は、しておりました」

「・・・・!」


自分の心臓がバクバクと五月蠅い。が、彼女の繊細な緊張感もしっかりと空気を通し伝わって来た。

彼女は何を言っているんだ、それはつまり。

幸村はごくりと喉を鳴らす。ざわざわ騒ぐ胸の中と、意外にも淡白で冷静な頭の中。見下ろす先には闇に浮かぶ彼女の肌と黒い髪。

闇夜にはとっくに目が慣れた。目の前にあれ程焦がれた体があるのだ。そうか、これがあの女顔の物になるのか。自分の知らない彼女を触れて確かめる事が出来るのか。

名前の瞳はたっぷりと水分が含まれ、ゆらゆらと揺れている。しかし、その顔に恐怖の色は無かった。

そうか、彼女は知って居て覚悟もしていたのか。


(いかん)

「兄上・・・」

(駄目だ!)


名前の手が、幸村の着物の裾を掴んだ。


「兄上が望むのなら、好きにして構いません。兄上を知って・・・私はお嫁に行くのです」

(抱いてしまえば、この娘を殺してしまう気がする)


もしその身の味を知れば、きっと放せなくなる。他の男の元へ行かせたくなくなってしまう。

頭の奥で誰かが囁く。さすれば、彼女の動きを止めてしまえばよいのだと。首を締めればよいか、刃をその柔い腹へ刺し込めばよいのか。それを想像し、血の気が引いた。

すると自分の体に何かがふ、と影を齎した。ぎらぎらとしていた感情が静かになっていく。


―名前はお主の妹。小さくて女子なのだ、守ってやりなさい―


頭の中で風が吹き抜け、熱を冷ましてくれる。父の言葉を思い出した。父は、名前を守ってやりなさいと言った。


(某は・・・)


自分は何故、彼女を抱こうと、殺してしまおうなどと考えた?彼女を守る立場の自分が、何故彼女の不幸を思ったか。

最後だからと良くない悪あがきをした。明日、お館様に殴って貰おう。


「名前、何を言っておる」

「・・・・兄上?」

「某は、何も言って無い・・・」


名前はぱちぱちと瞬きをする。その拍子にポロリと涙がひとつ落ちた。もう一度「何も言って居ない」と呟くと、名前はぶわりと涙を溢れさせた。

名前は心の優しい娘だ。そして、なにより残酷な酷い女なのだ。

幸村は抱いてもいいと言う彼女を、自分から守る為に必死で戦っている。


「・・・父上から」

「え・・・?」

「父上に、お主を守れと言われた」


単純と言えるほど真っ直ぐに人を慕う気持ちは、複雑に曲がりくねり妹の身へ注がれてしまった。どこでどう、間違えたのか。


「私には兄上しかおりません、私が帰る場所は兄上なのです」

「そう言うて、半兵衛殿の元へ行くではないか」

「・・・・・」

「・・・・・」

「半兵衛様の元へ行くけれど、私の特別な殿方は彼だけではないのです。兄上は私にとって父上より、・・・半兵衛様より特別なのです」


彼女はまるで幸村を睨むように食いかかった。その姿は、幼い頃の彼女と被る。そう思うと口の端から小さな笑いが出た。

笑みを浮かべる幸村に、名前はポカンと口を開け首を傾げた。彼女の髪の束をひとすくい掴み、口を落とす。


「それだけで、・・・十分だ」

「・・・・あ、あに、兄上が、兄上で無ければ良かったのに・・・」


名前の腕がするりと首へ回り、幸村の頭を抱く。彼女のその言葉で幸村は満たされ、そして何かを失った。

彼女が、妹で無ければ良かったのに。


「・・・お前の幸せを誰よりも願う、・・・でござる」

「私もです」


彼女の頭をよしよしと撫でる。

木に登れない、箸が上手く持てない、佐助に怒られた、酸漿が鳴らせない。幼い妹は小さな事で直ぐに泣き、自分の胸へ飛び込んできた。

その度に、よしよしと頭を撫でた。そうすれば直ぐに笑ってくれる。鮮やかで儚い記憶はより一層色を濃くし、もう忘れる事は出来ない。

自分と彼女は、この時を持って兄妹でも、ただの男と女でも無くなった。そんな気がしたのだ。


―ガラ


「旦那〜そこに姫さんの手毬が落ちてたんだけ・・・ど?!」

「あ」

「佐助!」


すると、突然戸が開き、見回り途中で在ろう佐助が二人を見て目を見開いた。

幸村と名前が抱き合い、しかも名前の方は泣いているではないか。佐助は眉間にぐ、と皺を寄せる。


「ちょー!あんたら幾ら仲が良いたってね、もう夜中よ?!」


佐助は忍の癖にどかどかと足音を立て、幸村を彼女から引き剥がし畳へ放り投げた。

幸村は畳にごつりと頭をぶつけ、痛みの余りに頭を押さえて飛び起きた。


「〜〜佐助っ痛いでござる!」

「姫さん、あんたもね〜嫁入り前なんだから少しは淑やかにしててよ。こんな時間に兄といえども男の部屋には来ない!駄目!」

「は、は〜い」

「旦那も姫さんも、ちゃんとお互い兄妹離れしてよ?まったく」


佐助はやれやれと大きく溜め息を吐き、腕を組んだ。幸村と名前は向かい合い、クスリと笑った。


「それより何してたの、こんな時間に」

「・・・・兄妹喧嘩、かな?」

「え?」

「そうだな、兄妹喧嘩してたでござる」

「ええ?」


その返答に佐助は大きく驚き、二人を交互に見つめた。佐助の反応がおかしいのか、名前は大きくはにかみ肩をくつくつと揺らした。


「今、和解した所だ」


そう言うと、横でクスクスと笑っていた名前の笑い声が次第に小さくなった。等の佐助はならよかったと、どうでも良さそうにしていた。

それから数日後、名前は良く晴れた日の朝、半兵衛の元へ嫁いで行った。

彼女は父が魔法で出した幻だったのかもしれない。自分に妹など居なかったのだ。何故なら、自分は妹を女子として見てしまったのだから。





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