とっぷりと日は暮れ、とうに夜となった。真っ黒の空に白い月がぽかりと穴を開けている。辺りは闇に包まれ、視界はとても悪い。泣き腫らした瞼が嫌に重い。


「今夜は冷えるな・・・」


幸村は馬を馬小屋へ戻し、こっそりと城へ入る。城の者は寝に入って居る事だろう。きっと彼女も。

極力足音を立てぬよう、佐助の見よう見まねの抜き足で廊下を歩く。

すると、廊下の奥にぼうと、丸く小さな橙色の光が見えた。息を飲む。その光がある位置は、自分の部屋の前なのだ。


(いかん、冷静になれ、幸村よ)


ぶんぶんと左右へ頭を振り、心を覆う邪魔な熱情を振り飛ばす。


「・・・名前」

「兄上!遅かったですね、帰りをお待ちしていました」


部屋の前には、蝋燭を持つ寝間着姿の名前が立っていた。彼女は右腕を後ろに隠し、にっこりとほほ笑んでいた。

彼女は自分をこんなにもおかしくする張本人だ。気をしっかりと持たなければと、幸村は険しい表情を顔に貼る。


「この様な時間まで起きて。身が冷えるぞ」

「荷造りをしていたら、こんな時間になってしまったんです」

「早う寝ろ」


幸村はふい、と顔を背け戸を開ける。名前は待って、と幸村と戸の間に割り込んだ。

心臓がひとつ跳ねる。ぐっと眉を顰め、彼女へ視線を下げた。すると、後ろ背に隠していた右腕を前へ出す。その手には赤い手毬が乗っていた。


「何でござるか」

「・・・その、あちらへ行ってしまえば、私はもうここへ帰ってくる事はないので」


ああ、だからその手毬を。


「いつ帰ってきてもよいのだ。戦国の世、突然に死は訪れる。半兵衛殿にだって・・・」

「・・・・兄上、もしや知って居られるのですか・・・?」


名前は唖然とした顔で幸村を見上げた。


「知るとは、何を?」

「・・・・半兵衛様の・・・」

「?」

「いえ、いいのです。なんでもありません」


彼女は何を言いたいのだろう?彼に何かあるのだろうか?・・・何か、重要な事をはぐらかされた気がする。

名前は瞼を下げ、数秒程黙り込んだ。そして、ぱっと顔を幸村へ向ける。


「半兵衛様が私を残して死ぬ事などありません」

「・・・・」


その真っ直ぐとした熱い視線が嫌になる。思わず目を反らしてしまう。妹は、随分あちら方に惚れ込んでしまったようだ。

何故彼女は自分の心をこんなにも荒らすのだろう。止めてくれと頼めば、止めてくれるのだろうか。


「だから、・・・兄上にこれを」


つい、と赤い手毬を名前は差し出す。しかし、そんな物欲しくはなかった。欲しいのは彼女の心と体なのだ。


「この手毬をか・・・?これは父上から貰ったものだろう?」

「父上はもう居ませんから・・・。兄上には沢山お世話になりましたし、迷惑もかけました」

「・・・・要らぬ、持って行くとよい・・・」

「いえ、貰って下さい。これは兄上のお側に置いて行きたいのです」


胸の奥で燃え上がる想いが、身を焼いてしまう。その炎に委ねれば自分はどれだけ楽になるだろうか。

後先を考えない自分の性は、彼女のつるんとした瞳を見てしまうと、全てがどうでも良くなってしまいそうだ。

タン、と音を立て手毬は床へ落ちる。彼女が耳元では、と息を吸った。

手毬を差し出すその手を払い、幸村は彼女の体を胸へと収めた。ぎりぎりと音がしてしまうのでは、と云う程に力一杯彼女を抱きしめる。


「あ、兄上・・・っ」

「・・・嫁になど、行かないでくれ」

「・・・・!」


―カラン。カラカラ・・・


名前が持っていた蝋燭の皿が地面に落ち、手毬も転がって行った。彼女は突然の抱擁にわたわたと身を捩る。

幸村は嫌々と頭を振り、ぐりぐりと自分の額を彼女の肩へ押し付けた。

外へ出ようと、喉の辺りで凶暴な言葉が暴れ回る。今すぐに全てを吐きだし、彼女を止めようと喉は震える。

やめろ、出てくるなと口の端を結ぶが、彼女の温度を感じると、喉まで我慢した言葉が口内一杯に広がってしまう。


「・・・・祝って、下さらないのですか?」


祝えるわけ無いだろう!そう叫んでしまいたかった。しかし、彼女の震えた鼻声に、意識が戻ってしまう。

ちくしょうと、胸の中で叫ぶ事しか出来なかった。


「お主を半兵衛殿の所へは行かせとう無かった」

「・・・・」

「某は分かっていた。半兵衛殿は必ず某からお主を盗ってしまうと」

「・・・それは、何故」

「前に、半兵衛殿から縁組の話が来ておった」

「えっ?」


名前は大きく目を見開く。

彼女は年頃の娘だ。15を過ぎる頃になると、あちらこちらからと縁組の話が舞い込んできた。幸村はそれを全て断り続けて来たのだ。

その中に彼、竹中半兵衛からの話も来ていたのだ。


「だから・・・」

「だからだ!あれ程半兵衛殿には気を付けろと申したのに!」

「兄上・・・っ!」


幸村は名前の腕を引き、部屋の中へ押し込んだ。





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