自分のそれから彼の唇がゆっくりと離れ、何秒か間を置いてやっと意識を取り戻す。驚く程に自分はうっとりとしていた様で、半兵衛は彼女の呆けた顔を見てクスリと笑う。

口付けに気を取られていたが、やっと思考は動き出してくれた。それなのに活動を始めた脳は意味無く、ぐるぐると回るだけだ。


「・・・半兵衛様、一体どういう事なのですか・・・」

「知りたい?」


彼の両腕が腰へ回る。彼は満足したように息を吐くと、瞼を閉じて彼女の肩へ縺れかかる。

勿体ぶらずに教えて欲しい。しかし、彼は一体自分の何を知っているのか?そして何故、自分を知っているのか。それを知り自分はどうなるのか。

名前の肩元で、半兵衛がフフと笑った。


「昔。と言っても、君は生まれたばかりでほやほやだったよ」

「ほやほや?」

「君の母君は、この城で女中として働いていたのさ」

「・・・え?」


視界が白黒に変化する。まさか、そんな事。

母は城下町の長屋で自分を育ててくれた筈だ。そこは城なんて関係の無い場所だった。まさか、母がこの城で奉公していたなんて。


「君の父君がこの城へ訪ねた時、こっそりと逢瀬を重ねたらしいよ」

「・・・・・・」

「彼女はこの城で君を産んだ後、直ぐ女中を辞めたと聞いた」

「そんな事・・・」

「古い女中なら、君を知っている者も少しは居るだろうね」


心臓がドキドキと高鳴る。天井へ畳へ障子へ目線を配る。自分はこの建物で、この城で生まれたのか。

何故忘れてしまったのだろう。覚えて居られなかったのだろう。名前は生まれて間もない自分を責める。

母がこの城を出て行った理由は自分にしかない。この城なら食事も衛生面も良かったはずだ。若くして死ぬ事などなかったのだ。


(どうしよう兄上、母上は・・・)


自分の事など下ろせば良かったのに。父と一度切りの思い出を、残したかったの?


「泣かないで」

「ふ、・・・うう」


背に回された腕が、きつく名前を抱き締める。細いと思った彼の腕は、見目よりもしっかりとしていてゴツゴツしていた。

そして、彼は慰めるようにまたひとつ口付けを落とす。彼女に否定など無く、残っているのは肯定だけだった。











それは唐突だったのかもしれない。いや、そうなると決まって居たのかも。じわじわと広がり、気付いたら体の隅から隅まで彼の色で染まってしまった。

今思えば、実は最初から自分達は急速に惹かれ合っていたのではないか?そんな事を考えおかしくて嘲笑う。


「・・・・半兵衛様・・・」


襖を小さく開けると、部屋の奥で半兵衛は肘掛けに凭れながら本を読んでいた。彼の姿を見るだけで、大きく満たされ狂いそうな程に胸が苦しくなる。

そんな気は無かった。国の為に、家族の為にここへ来ただけなのに。彼をほおっては置けなくなるなんて。ある日突然、恋に変わってしまった。


「ああ、名前。入っておいで」

「はい・・・」


名前は腰を下ろし、深く頭を下げて室内へ潜り込む。

頭を上げると、半兵衛は自分を見つめて微笑んでいた。名前は気恥ずかしくなり、ついと視線を外す。すると半兵衛が小さく笑う。


「今日は顔色、いいですね」

「そうだね」

名前はぎこちない動きで、半兵衛の横へ腰を下ろす。それを見て、彼はまた笑った。

顔色の良い半兵衛に名前は胸を撫で下ろす。しかし、彼の病気は油断は出来ない。もし突然また苦しみ出したら。自分はどれだけ彼の苦しみを軽減出来るのだろう?


「は、半兵衛様っ」

「ふふ」


すると、半兵衛は名前の肩を抱き寄せ、彼女の頭へ鼻を埋める。一気に頬の温度が上がり、体中の水分は全て沸騰してしまう。


「初めの頃はツンケンしていたのにね。あの日からこの様だ」

「だ、だめですか?」

「嬉しいんだよ」


あの日とは名前が初めて半兵衛の吐血を見た日だ。そして初めて二人が口付けた日でもある。

美濃の国へやって来た日から、随分日は流れた物だ。この城が自分の生家だと知ってからと言う物、名前は不思議な安心感を得る事が出来た。

城の女中達。とくに古株の彼女達は、何処か名前に親しげで優しかったのだ。半兵衛の言う通り、古株の女中達の中には気付いた者が居る様だった。


「名前」


髪へ鼻を埋めていた半兵衛の唇が、すーと耳へ移動し、頬へ近づいて来た。名前はぎゅう、と目を閉じながら胸を高鳴らせる。

肩を抱くのと反対の腕が、名前の手へ重なる。すると、彼女が持っている物に半兵衛は気が付き顔を放した。


「何を持ってるの?」

「あ、見て下さい。お女中さんが、お庭の酸漿を摘んでくれたんです」

「酸漿か懐かしいね」

「鳴らした事あります?」

「子供の頃にね」

「私も、よく兄上と鳴らして遊びました」


名前は酸漿の皮を剥き、実を揉み出す。

彼女は酸漿の実に視線を落とし、口元には楽しそうに笑みを浮かべながら歌い出す。半兵衛はその様子を、ただじっと見つめていた。


「根もでろや、種もでろや、牛蒡だねもでーろやい」


名前はそっと種を抜く。しかし、上手くいかずに実の皮は破けてしまった。


「あーあ。失敗です」

「ふふ、下手くそ」

「兄上は不器用な人で、私も鳴らすのは下手だから中々に上手くいかずで」


破れた酸漿を見つめながら、昔を思い出す。

幸村と名前は酸漿の実が生る季節になると、庭でそれを摘み、どちらが早く鳴らせるかと遊んだものだ。


『根もでろや、種もでろや、牛蒡だねもでーろやい』


二人とも不器用で、上手く鳴らせた日は二人で大喜びしたものだ。実を噛むと酸漿はぐぎゅ、ぐぎゅと蛙の鳴き声の様な音を鳴らした。

名前は、蛙の鳴き声の様なそれにとても喜び、幸村も彼女が喜ぶならと飽きるまで鳴らした。


「・・・幸村君は、とても君を可愛がっていたんだね」

「・・・・・・」


ふ、と半兵衛が幸村からの文を破り捨てた日を思い出す。

今となっては、あの文の内容はうろ覚えだ。あんな紙切れ半兵衛と比べれば、ただの紙切れだった。名前は幸村以外の男を特別にしてしまったのだ。

半兵衛の手が、そっと名前の頬へ触れる。


「君は、兄君に良く似ているね・・・目がそっくりだ」


名前はぱあ、と笑顔になる。見目は似ていないとよく言われた。その度に父や母を責めたものだ。

半兵衛の唇が、瞼をなぞる。


「知って居るかい?名前。酸漿は太陽なんだよ」

「・・・え?」

「太陽は沈むと地に埋まり、朝を待つ。その間、幾つもの酸漿の中で眠るんだ」

「酸漿は太陽なのですか?」

「僕の祖母が言っていた。酸漿の実をもぐ事は、太陽をもぐ事なのだとね」

「・・・私は太陽をもいでしまったのですか?」


半兵衛は名前の髪や額、頬や鼻筋に口付けを何度も落とす。彼女は目を閉じ、それを受け入れる。

名前が握っていた酸漿の実を半兵衛はそっと取り上げ、邪魔だと畳へ投げ捨てた。


「明日は必ず雨が降るよ」


ゆっくり瞼を上げると、半兵衛がく、と笑う顔が目玉へ映った。名前は思う。ああ、私は随分と。


「雨が降れば、外へはでれませんから。・・・それでいいのです」


名前は半兵衛の胸へもたれる。


「半兵衛様、名前をずっとずっと、側に置いてください・・・」

「・・・君の兄君はたいそう悲しむだろうね」

「半兵衛様は、私がお嫌いなのですか?」

「いいや」


半兵衛は彼女の背へ両腕を回し、彼女をすっぽりと自分の腕へ収めた。

「罰が当たる気がしてね」

「・・・どんな」

「君を貰っても、僕は直ぐに死んでしまうからね・・・」


名前が悲しむのは。と、半兵衛は小さく呟く。しかし、彼女を側に置きたいと彼の心は決まっていた。

ただ、幾つもの大きな問題があるのだ。半兵衛は自分が長くないと分かっている。それに、既に同盟は完成している。婚姻などしてもなんの意味にもならないのでは。

そして、幸村がどれだけ名前を溺愛しているか、調べれば直ぐにわかった。半兵衛は理解しているのだ。自分の事、彼の事、自分が死んだその後の事。


「動物でも買ってあげようか。僕が居なくなっても寂しくない様に」


名前は彼の胸で、そっと目を閉じる。


「・・・そんな事、言わないでください」





歌、言い伝え
日/本昔/話・紅ほおずき


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