短編 | ナノ




インターホンの音がした。しがない一人暮らしの女の部屋に来る人なんて勧誘以外じゃたかが知れてる。
小さなレンズ越しに見える姿ににやける口元を抑えて元の表情に戻してからその扉を開けた。

「こんにちは、なまえさん」
「迅君、こんばんは」
「ああ、そっか、こんばんはの時間だった」
「……少し疲れてるね。何か食べる?ポトフ残ってるけど」
「じゃあお願いしようかな」

靴を脱ぐ迅君を背に狭い廊下と一緒になったキッチンでコンロの火をつける。

「先に座って待ってて。すぐ温まるから」
「……」
「?」

靴を脱ぐ時に座ったまま、暫くじっと動かなかった彼が黙って立ち上がる。彼のことだ、きっと何かあったのだろう。その内容を話してくれることは全然ないけれど、せめて寛いでくれたら。そう考えて視線を外し、彼が後ろを通れるように小さく前に体をずらした瞬間、その体が後ろに引かれた。
お腹に回った手に促されて一歩後ずさる。たいして体勢が崩れたわけでもないのに驚いて火を消してしまった。

「……迅君?」
「……」
「今日は少し疲れた?」

そっと回された腕に手を重ねるが動く気配はない。肩に顔を埋める彼の頭でも撫でてあげようか、なんて少し体を捩って迅君の方を見ようとすると、途端ばっと持ち上がった顔を至近距離で見つめ合うことになった。今度は私が喉を詰まらせる番だ。

「ねぇ、なまえさん」
「、……」
「キス……していい?」
「っ」

じんわり顔が赤くなっていくのが分かる。迅君の顔が優しく笑みを浮かべて、思ったより赤くなっていることが更に分かった。いつの間にか体は真正面から向き合っていて、片方の大きな手が頬を包む。心臓が煩くて、けれどこれは幸せな、心地よい音。
目の前にある、洒落っ気のない白いシャツを着た彼の胸元に手を添えて、唇のほんのすぐそばに小さく口付けを落とした。視線は合わないように逸らしたまま、離れようとした瞬間に今度は直に、唇同士が触れ合った。きゅっと手元の真っ白な布地を握り、ただただそれを受け止める。

「んっ……ん、」
「ん、は……こっち見て。んっ」
「待って、んんっ……ふ」

気付いたら両手で顔を包まれていた。なんでなんだろう。場所が違うだけで、肩が触れてるのも手が触れてるのも唇が触れてるのも、同じようなものなのに、なんでこんなに幸せで苦しいんだろう。

「迅、くん」
「……なんか。なまえさんのこと、好きだなぁって」
「っそうやって」
「はは、でも、そう思ったんだ」

そんなのこっちのセリフだと心の中で悪態を吐きながらぎゅうと抱き締めてくれる迅君の背中に同じように腕を回した。あたたかい。その体温も少し速い心臓の音も愛おしくて仕方ない。

「あ〜〜〜もう」
「えっ、なに、なまえさん。嫌だった?」
「なんでこんな幸せなんだろうって思っただけ」
「へへっ……そっか。うん、そうだな。……俺もだよ」

耳元で囁かれたその一言に肩が跳ねた。いつもは少し高めのトーンでおちゃらけた話し方をする癖に、こういう時ばっかり低くて落ち着いてて優しい声音をする彼が恨めしいほど翻弄されてばかり。片手で口元を抑えてそっぽを向くとくつくつと喉で笑うのが傍から聞こえた。

「なまえさん、俺の低い声好きだよね。照れてすぐそっぽ向くのほんと可愛い」
「なっ、かっかわ、……別に、低い声だけじゃないんだけど」
「俺のこと全部好きってこと?」
「そういうの分かってて聞く?」
「そりゃあ聞くよ。何回でも聞きたいから」

いい加減恥ずかしくて、その言葉から逃げるように苦し紛れに話題を変えた。

「……ご飯はいいの?」
「一応腹には入れてきたし」
「じゃあなんでさっき食べるって言ったのよ」
「好きな人の手料理断れる?」
「別にお腹いっぱいなら断ってよ。食べたい時に言ってくれれば作るから」
「そうする」
「あとね。あー、その」
「なに?」
「…………す、好きだよ。迅君のこと」
「……うん」

顔を上げられないでいる私のぶらんと垂れ下がった手が握られた。

「今日はもう寝よっか。今ならすっごい幸せな夢見れそう」
「うん。私も」



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