短編 | ナノ



事の始まりは蝶屋敷での出会いだった。


「あなたが竈門炭治郎君ですか?」
「はいっそうです!今日はよろしくお願いします!!」
「みょうじなまえです。よろしくお願いします」

蟲柱様のお屋敷で治療に当たっている彼は、びしりと背筋を伸ばして快活な挨拶を返してくれる。率直さの滲み出るそれはいつか合間見えた炎柱様に似通ったものを感じた。


「今回は竈門君の妹さんの事に関して、事の顛末をこちらで記録させて頂くために伺いました」
「はい、聞いています!」


この鬼殺隊に置いて異例とも言える人を食べない鬼。その事の顛末は"いつ誰が命を失うとも知れない"今だからこそ記録に残す必要がある。
度々その様な仕事を請け負ってきた私は、今日も命の元にここまで馳せ参じたわけだが。

(随分と好青年......いや、まだ少年だが)

余程の変わり者か頑固者かと思いきや、拍子抜けするほどに、というか今まで会ってきた鬼殺隊の面々の中でも特に常識人と言える人物ではないだろうか。


「妹さんのお名前を聞いても?」
「妹は禰豆子、竈門禰豆子です!」
「ねずこ......どの様な字を書くのでしょうか?」
「五禰豆の禰豆に、子供の子です」
「ありがとうございます。早速ですが、」


話は彼の家族が鬼に襲われた日に遡る。酷ではあるが、子細残さなければならない以上、そこは耐えてもらう他ない。中には感情が乱れるあまり話が進まなくなってしまう者もいるが、この子は大丈夫だろうかとふと不安がよぎった。
鬼になった妹を連れてここまで来たということは性根の優しい子なのだろう。あまり、可哀想な思いをほじくり返したくはないのだけれどなあ。

つらつらと、時折言ったりきたりする言葉を文字に起こしていく。柱や十二鬼月と、隊士になって日が浅いとは思えぬ程の濃い話は記録に残すこちらにも僅かばかり体力を使わせるものであった。


「......ありがとうございました。最後にお手数ではございますが、こちらの記録の内容に間違いが無いかご確認をお願いできますか?」
「はい!」

手渡した彼の手は傷だらけだった。人の事情に踏み込むなと言われることも、言い澱むことも、面倒だと適当に返されることもなく。
ああ、だめだ。前にも相手の感情に入り込みすぎるなと言われたばかりなのにまた引きずられてしまう。


「あの......」
「はい。どこか間違いがありましたか?」
「いえ、あの、俺が話した通りでした!」
「それは良かったです。怪我をしているのにお時間を取らせてしまいすみませんでした。ご協力ありがとうございます」
「いえ!俺のほうこそありがとうございました!!」

やはり律儀な子だ、と笑みがこぼれる。


「炭治郎君、今回は貴方の回復が最優先であるところを上からの命だと無理を言ってこうして聴取に来ているんです。お礼を言うのはこちらの方です」
「そ、そんな!俺だって!!」
「ああ、そんなに体を動かさないで下さい。お怪我に触りますから」

身を乗り出そうとした彼を手で制すると、はっとして彼はその身から力を抜いた。


「あの」
「なんでしょう」
「俺と禰豆子の事、黙って話を聞いてもらったの初めてで。それに妹の事を鬼だと言われてばっかりだったんですけど、みょうじさんは名前を呼んでくれて嬉しかったです」
「っ」

名を呼ぶなんて、当たり前だと言うのに。嬉しそうに綻ぶ顔に胸が締め付けられるような感覚がした。


「俺の話を聞いてくれるのが貴方みたいな優しい心の人で良かった」
「......私こそ貴方でよかったですよ、炭治郎君。きっと、優しく、真っ直ぐで、他人を思いやる炭治郎君と禰豆子ちゃんだったから、ここまでこれたのかも知れませんね」
「......!」

鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした彼が、ゆるりゆるりと視線を落とす。

「そう、なんです。禰豆子は俺を支えようと六太の面倒を見て、俺の家族も、みんな優しくて......」


急にぽつりぽつりと話し始めた彼の目からぽろぽろと大粒の涙が溢れでた。ぎゅうっと布団を握りしめる彼の手を解いて握ると、先を促す。
きっとこの子は、大変な事ばかりで、先を急がなくてはならないことが沢山で、時間を取ってゆっくり家族の事を思い返す時間が、ひとり他の何事も忘れて涙を流す時間が取れていなかったのだろう。


「みんな。大事な家族だったんです......竹雄は、俺の手伝いをしようとしてくれて、」
「そうなんですね」
「それで、花子は、花子は......」



先のテンポの良い話し方とは打って変わった言葉が次第に落ち着いてくると、彼は目元と頬を少し赤らめてすみません、と小さく謝罪をした。

「謝らなくていいんですよ。とても頑張ったんですね。大変だったでしょう」
「はい。......でも!!俺は長男だから、......だから大丈夫です!」

それは、長男という立場は、無理をする理由ではないんじゃないか。そう出てしまいそうになった言葉をぐっと飲み込んだ。その言葉はきっと炭治郎君にとって自分を奮い立たせるもので、人生における誇りで、私のような人物が勝手に奪い取ってはいけないものだ。


「本当に、頑張りましたね」

乾きかけた涙を裾で拭って、そのまままあるい頭を撫でた。するりと手を動かす程に動きを止めた彼は目を見開いていく。

「私は今日初めて話を聞いただけの立場ではありますが、炭治郎はとても頑張ったと思います。訓練を始めたばかりの日から確実に強くなっています。長男として、家族として禰豆子ちゃんをここまで守り通しました。きっとこれからも頑張れます。大丈夫です」


私ができることは少ないが、力になれることがあったら言ってほしい。

そこまで言って頭を撫でていた頭から手を離した。どんどん俯いていくせいで表情が伺えず、少し立ち入りすぎただろうかと顔を覗き込んだ。


「あの、」

ちらりと伺えば、真っ赤な顔が視界に入る。下を向いたまま真っ赤になった顔が、不意に私と視線を合わせた。

「っ」

びくりと肩を震わせた彼に私もついびくついてしまう。怒っているようには見えないのだけれど、もしかして褒められ慣れていない、のだろうか。だとしたらなんて可愛らしいのだろう、と心がほころんでいく。

「それじゃあ私はこれで失礼しますね」
「待っ!!」

腰を浮かせたところで、また視線をうろつかせていた彼ががばりと私を見上げる。のに合わせて私も中途半端な姿勢のまま固まってしまった。


「......」
「......」
「あ、あのっ!!」
「はっはい」





もう一度言うが、これは事の始まりの日の話である。





「なまえさーん!」


"俺、あなたのことを好きになったかもしれません!!"


あの日そう言い放った彼は、その言葉につられて真っ赤になった私に向かって更に、突然のことで自分も驚いているから後日改めて文を送ると言い放ってぺこりとお辞儀をしてくるものだから、私も訳の分からぬままその場を後にしたのだが。


「お久しぶりです!1月以上会えなかったので嬉しいです!!」
「それは、ありがとう、ございます」


偶然か、他の何か思惑と重なってか、彼と出会うことが多い。私が好きで、私の事を知っていきたいと数日後届いた文にあった通り時間を共にすることも増え、今日も任務の場所が近いから昼食を共にしようと落ち合った訳だが、あれ以降あまりにも真っ直ぐに好意を押し出してくるものだから私はどうしたら良いのかわからなくて。

もう頷いてしまえと言われた事もあるが、彼の事はひとりの仲間として好いているから断る理由も無いし、けれど恋愛でいうとどちらかわからず、......なんて言うと言い訳がましいだろうか。


「宿の人に此処の定食が美味しいって聞いたんですけど、どうですか?」
「ほんとうだ......うん、美味しいですね!」
「それは良かった」

焼き魚の身もぎゅっと引き締まっていてふわふわの焼き加減だ。彼が連れて行ってくれる地元の方のおすすめという場所はどこもはずれがなく、すぐに打ち解けるのも才能のうちだろうか。そう思っていると不意に彼が箸を止めてこっちを見ていることに気付いた。

「どうし、ま、......」
「あ、すみません」

ぶわりと顔に熱が集まった。
声をかけられて照れを隠すように笑った彼だけれど、私の脳裏には先ほどの愛情を詰め込んだみたいな表情が忘れられない。
彼は陽だまりのように朗らかで、夜は懸命で真剣で、そしてどこまでも芯が、馬鹿正直という言葉が似合うほどに真っ直ぐ通っているが、不意にこうやってどろどろになりそうな程甘やかな色をその目に浮かべるものだから心臓に悪い。


「美味しそうに食べるなって思って」
「そ、うですか」
「はい......」
「......」


なんだか私までふわふわと夢心地のような気分になってしまって逆に居心地が悪くなってしまった。真っ赤になって黙り込む私達にあらあらと食堂のおばさんが笑うのが聞こえた。





「......っていうことがあって!!」
「あらあら、それはもう両思いではありませんか」
「そ、そうなんです......?そうなのかなぁ......」


ころころと笑う蟲柱様、もといしのぶさんに私の顔が赤く染まる。
あの爆弾発言を耳にしていた事もあり仕事の手伝いをする代わりにこうして相談にのってもらうようになったが、彼女は最初からにこにこと私の背中をぐいぐいと押すばかり。
けれど最近どぎまぎさせられてばっかりなのを思うと、案外それも間違いじゃないのかな、なんて気分になってくる。


「私も好き、なのかなあ......」
「自覚ないんですか?」
「いや、その、どきどきするのは好きだからなのか色恋沙汰に疎いからなのか、わからないですし」
「彼ともっといたい、他の女性といるのを見たら悲しい、とはならないんですか?」
「他の、」


(女性......)

例えば他の女性隊士とか、任務の先で助けた人、はたまた立ち寄ったら食堂の看板娘とか......なんだか色々な人に好かれそうな彼の事だからどれもあり得そうな気がしてならない。
それにとても慕われそうだ。
だってハキハキしてて親しみやすくて、優しくて、強くて成長株だし、諦めない忍耐力も家族への愛情も大きいし。


「もてそう......」
「そこではなくてですね」
「あっはい。他の女性と懇意にしていたらどう感じるかですよね!」
「ええ。なんならうちのカナヲとも仲が良いんですよ」
「えっ」

継子のカナヲさんと言えば感情表現があまり大きくない子だったけれど、最近雰囲気が変わったのもそのせいなのだらうか。うん、彼なら人に良い影響を与えることだってありそうだ。感情表現が乏しいならじっくりと待って、相手の考えも引き出せそうな。そうして向き合ってくれたりしたら、カナヲさんも......。


「えっ、あの、仲がいいってどういう」
「気になります?」
「......はい」
「ほらやっぱり好きなんじゃありませんか」


そう言われてぼぼぼ、と顔が赤くなった。
隊士同士仲が良いのは良いことだと思っていたけれど、今私の中にあるのがそれだけの感情でないことは私が一番分かっている。

(あれ、じゃあ、つまりわたしは)


「って、待ってください。仲がいいって」
「うちはカナヲも独り立ちし始めていますから、詳しいことは何も」
「そ、そんなあ」
「それならご本人聞いてみれば良いのではありませんか?あと四半刻程でうちに薬を取りに来ますので」
「えっ......えっ!?」
「というか気持ちを伝えてしまいなさいな。後悔は先に立ちませんよ」


押し付けられた薬袋と、重みを感じる言葉に縋り付いていた言葉を閉じ込めて口を結んだ。


「......そう、ですよね」
「はい」
「しのぶさん!あと四半刻で終わらせますので!!」
「ええ。お願いしますね」


何だろう、彼女と話していたらあまりにもすんなりこの気持ちに応えが出てきたものだからどうにも戸惑ってしまいそうだったけれど、不思議と作業を進める手も心も軽い。会えるのが、待ち遠しい。


「はい、確認しました。以降このスピードでこなして下さるとありがたいですね」
「し、精進します......」
「では。行ってらっしゃい」
「はい!ありがとうございます、しのぶさん!」


受け取りに立ち寄っただけであれば玄関口に居るはず、と自然と足が速くなる。彼のことがから早く着いているかもしれない。
小走りで屋敷内を駆け抜けて、もうすぐで玄関口というところで足の速度を緩める。大丈夫、呼吸は乱れていない。
いつもならたん、たん、と立てていた木の廊下を踏む音を抑えてそっと覗き込む。


(あれ?)


けれど思っていたそこには誰もいなくて、珍しく時間に遅れているのだろうかと辺りをきょろきょろ見渡した。

「あっなほちゃん。炭治郎君はまだ来てないかな......?」
「あ、お薬ですね!今中庭でカナヲ様と一緒にいらっしゃいますよ!」
「え」

先ほど聞いたばかりの名前に胸がざわついた。

「なまえさん?」
「っそっか!行ってみるよ、ありがとう」
「はい。よろしくお願いします!」

落ち着け、落ち着けわたし。
この相手に想いが、相手を縛り付けるようなものじゃだめだ。それに隊士同士の交流だってあった方がいい。
すぅっと何度か呼吸を繰り返して中庭へと向かう。案の定中庭に面したそこで話し込んでいる様子の彼らが目に入ったが、何度も自分に言い聞かせた甲斐があってか、さっきほどの強いざわめきは起きなかった。


「炭治郎君」
「なまえさん、こんにちは」

呼ぶよりも早く彼が振り向いた。前に話していた鼻がきく、というやつだろう。

「カナヲさんも、お話中にすみません。しのぶさんから預かった薬です」
「ありがとうございます!」
「1日3回、食事の後にお水で飲んで下さい。他の飲料で薄めてはいけません。これを飲む方は余り薬が得意ではないようですが、お体のためにもしっかり飲むようにと言付かってきました」
「はい。伝えておきます!」


にっこりと笑った顔がなんだろう、不思議といつもより眩しく目が離せないものに見えた。
この薬は彼がこれから向かう先にいる隊士に渡すものらしいが、ということはその目的地は此処から離れた場所なのだろう。やはり、今日伝えなくては。ああでも今はカナヲさんがいるし。

(......まだ話し込むのだろうか)

気づけばその疑問が口から滑り落ちていた。


「あの、とても話し込んでいらっしゃいましたが、カナヲさんとなんのお話をしてたんですか?」
「えっ」
「"えっ"......?」

ぎくり、という言葉がぴったりしそうなほどの反応。僅かにそらされた目元は赤い。


「ひみつ」
「ひ、みつ」

ふと美しく笑ったカナヲさんに、今度は私が西洋のブリキ人形のように固まる番だった。そんな、ひみつなんて言われたらただでさえなんの話をしていたんだろうと気にしてしまうのに。


「あっ、あの!俺行かないといけないので!!」
「待っ、話があるんですが!」
「すみません!!手紙でお願いします!!!」

あっという間に私たちを置いていってしまった背中を呆然と見つめる。手紙、なんて。ちゃんと顔を見てこの言葉で伝えたいのだから無理に決まってる。
なんだかさっきから心がつきんつきんと痛むようで、そのまま立ち尽くす私の前にカナヲさんが立った。


「大丈夫」
「?」
「相談だから」
「相談......」


彼がカナヲさんに?相談となれば、まず浮かぶのは鍛錬のこと。けれどあそこまで逃げるように去られてしまうと、理由はまた違ったところにあるのではないかと邪推してしまう。

もしかして私への感情は気のせいで、それを相談していた?カナヲさんが好きになった?

そうやって悶々としているうちに日は暮れ、夜の見回りが始まる。珍しくいつもより多く鬼を着ることになった私が手紙を書い始めたのは結局翌日の昼過ぎ、送ることが出来たのはそこからまた3日が経った頃であった。




(............)




だと言うのに。ちゃんと彼が返事は来るし今まで通りの内容も書かれているのに。会って話したいという言葉への返事は否定だった。任務なら仕方ないと思っていたし、暫く会えないという言葉は悲しくもあったが、その分任務を果たすべく頑張ってほしいと返したのも最近のこと。
ついでに言うと、もし急ぎの相談事であればとしのぶさんや他の隊士にとも言われたので、その言葉通りたった今、私は炭治郎君が懇意にしているという隊士と共に団子を頬張っている。


「まあ確かに炭治郎はいつもせかせかしてるけど......」
「何度か手紙のやり取りはしていて、たまに会って話せないか聞くと最近全て忙しいと断られてしまうので、そんなに大事になっているのかなと思って」
「えーっそこまで忙しそうには見えなかったけどなあ。炭治郎のやつ、禰豆子ちゃん連れてきゃっきゃうふふしてるくせに、こんな綺麗な人にまで誘われて断るとかどういう神経してんだよ」
「ま、まあ、予定があるなら仕方ないですし」
「いやいやいや。女の子にそんな風に我慢させるのはダメです!」


随分と私の肩を持ってくれるその人は、うーんでもなぁ、と何やら小さな声で呟きながら唸ったあと、ちらちら私を見てはへらりと笑い、そして真剣な顔に戻ることを繰り返してから、団子を頬張った。なんだか小動物みたいな様子につい笑みがこぼれてしまう。

我妻君は雷の呼吸の使い手で、炭治郎君とは私的に仲が良いだけではなく、任務でもよく一緒になるのだそうだ。少し怖がりな性格らしく、こうしている合間にも任務中のことをつらつらと話してくれているが、それでも隊士を続けているとは豪気な事だ。
癖なのだろうか、うんうんと頷きながら話を聞いていると彼は段々と話すトーンも大きくなっていき、出会い頭の印象は何処へやらずびずびと泣きそうな顔で鼻をすすりながらこれまでの困難を口にし始めた。


「それでさぁ!俺がやめようって言ったのにあいつら置いていきやがってさぁああああ!!」
「あらまぁ」


うーん、通りに面したこの席では随分と悪目立ちしてしまいそうだ。けれど彼の喚きはとどまることを知らず、ちらちらと視線がこちらへと刺さる。

(目立ちすぎもよくないな)

この街は主要な地点への経由地として多く利用する。あまり問題の種を蒔くのは得策ではないないだろう。
そう思って彼をなだめるためにきらきらと輝く髪をそっと撫でつけた。瞬間ぴたりと彼の動きが止まる。


「ここだと人目にもつきますし、通りすがりの方もびっくりしてしまいますよ」

ゆっくりゆっくり頭を撫でまわせば、負の感情で頭に血を登らせていた様子が落ち着き、照れたような顔で笑った。


「なまえさん、なまえさん」
「はい」


その手が頭上の私の手を取る。


「俺と」
「こんな所で何してるんだ、善逸」
「っ!」
「うわあああああ!!!た、たたたた炭治郎さん!!!??お前いつからいたの!!?」
「善逸が頭を撫でられ始めたくらいだよ」
「なっなななななな」
「少し2人で話そうか」
「いや!!お前忙しいんだろ!!?ぜぇぇえええったいいやだからね!?俺!!!」
「大丈夫、時間ならたっぷりある」
「ひぃいいいい!やだよおおおお!!俺まだなまえさんと一緒にいるぅううう!!」


その一言をきっかけに彼が私を見る。
お久しぶりです、と頭を下げたのは紛れも無い炭治郎君だ。呆然と同じ言葉を返しながら、やっと会えたその人の姿を目に焼き付ける。


「あの、炭治郎君」
「はい!」
「少しお話ししたい事があるのですが、お時間頂く事は出来ませんか?」
「えっ」
「え」

呆然としたまま私の口は、もう逃すまいとその言葉を口にしていた。けれどその顔に浮かぶ色は、この間と同じだ。
どうしよう、という感情がありありと描かれた様子に、それでも私との時間は作りたくないのかと察してしまう。やっぱり、

(やっぱりカナヲさんと)


「そうですか。では、またの機会に」

直接に相対するこの時ですら拒まれるのであれば潮時、なのかもしれない。引き下がれば安心した様子を見せる彼に、そう強く感じてしまった。そもそもあの告白は気のせいで、気まずさと申し訳なさからこんなにも消極的に私と接し続けてくれたのかもしれない。だって彼は自分から人を遠ざける事が苦手そうだもの。
そろそろ行こうと最後の団子をごくりと呑み込むと、不意に手を握られた。炭治郎君ではない、善逸君の......出会った時の印象とは異なり努力の跡がありありと残る手だ。


「善逸!」
「じゃあ俺!なまえさんに街案内してほしいな!!」
「街案内、ですか」
「うん!うん!!」

話していて、この子は女の子といるのが好きなのだろうなという雰囲気はしていた。だが今の彼はどちらかというと、兎に角今の言葉に逃亡成功の可能性を全て押し込んだかのような、期待と切望に満ちた顔をしている。
そんなに炭治郎君が怖いのだろうか。ああでも確かに、彼のことだから長男らしく少し気の小さそうな彼を窘めたりしていそうだ。そこまで考えて炭治郎君のことを頭から振り払う。今は別のことを考えたい。引き受けるとしよう。


「わかり「駄目だ」

ぐい、と引っ張られて手と手を引き剥がされる。酷い子だ。それが私の為だとしても善逸君の為だとしても、私はどんな気持ちで受け入れたらいいのだろう。


「じゃあ炭治郎がなまえと出かけるの?」
「いや、俺は今はちょっと」
「っ」
「じゃあよくない!?大体女の子が誘ってくれてるのに断る意味がわかんないんだけど!!いいよね!?なまえさんもいいって言ってくれてるし、いいよね!?」
「駄目だ!!」
「じゃあ炭治郎が行くの!?」
「!......い、きたいけど、駄目だ!」
「なんで!!」
「だってカナヲが、......あ」
「は?」
「っ......」


しまったという風に口を閉ざす炭治郎君にぎゅうと心の臓が潰れそうになった。分からない、私のことを思ってくれているような素振りを見せたくせに、カナヲさんの名前も出す意味が。わたしには分からない。


「炭治郎君、私と話したくないなら、そう言ってくれないと分からないよ」
「?なまえさん、俺はあなたと話したくないなんて思ってないです」
「でも私が話したいって言うといなくなってしまうでしょう?」
「それは、」
「人の心は簡単に変えられないもの。嫌なら仕方ないけれど、それを隠して無理されるのは私は辛いよ」


彼が口を開くより早く、失礼するねと、そう言ってその場を離れる。善逸君には突然驚かせてしまったかもしれないが、どうか今回ばかりは許してほしい。


「ま、......待ってください!!」


呼ぶ声を無視して人混みを縫うように進む。あの大きな箱がある状態でこの人混みの中無理矢理追いかけるのは難しいだろう。彼を撒いて少ししたら、手紙で謝ろう。嫌なことが続いて少し八つ当たりしてしまったとか、そんな理由を並べておいて適切な距離に戻ればいい。


「なまえさんっ!」

後ろから大きく鋭い声が飛んでくる。ちらりと見た先には案の定駆け足で私を追ってくる彼がいて、逃げ出そうとした私はその背を見て踏み止まる。
いつも背負っている箱がない。おそらく善逸君に預けたのだろうけれど、信頼できる人の元にあるとはいえ、私が逃げるせいで離れ離れにしまうわけにはいかない。

気付かなければ逃げられたのに、少し眉根を寄せ、そして観念した。


「あの!勘違いだと思います!!でも、悲しい思いをさせてすみません!!俺、」
「炭治郎君」
「はい!!」

人差し指を口元に立てて、追いついた途端まくし立てる彼を黙らせる。

「目立つから、少し落ち着ける場所に行こっか」


大きな声によって集まった視線を振り払うようにするりと路地裏へと足を踏み入れた。善逸君には申し訳ないがもう少し時間を潰してもらおう。


「この辺りでいいかな」
「はい。あの、」

さっきの必死そうな形相が落ち着いたらしい炭治郎君は、まるで飼い主に叱られてしまった犬のように目に見えるほどしょんぼりとした顔をしている。

「すみません、俺。......俺はあなたの事を傷つけてしまった」
「......」
「訳を、聞いてもらえませんか?」
「、うん」

頷けばほっと安堵したのが伝わってきた。少し緩んだ目元に小さな傷跡ができている。身長が少し伸びた。手の豆も増えている。


「俺、あなたに隠し事をしていました」
「それって蝶屋敷で薬を渡した頃から?」
「えっ、気付いてたんですか!?」
「あの頃から距離を置かれるようになったからね」
「う゛っすみません......」
「それで、なんで私を避けてたの?」
「それは、その。2つ理由があるんです。1つは、あなたに贈り物をしたくて」
「贈り物、」
「なまえさんがつけるために作られたとしか思えないくらい、ぴったりのものだったんです。それで少しずつお金を貯めていたんですが、俺、隠し事とか嘘が本当に苦手で」
「だからバレないように顔を合わせなかったの?」
「カナヲが、......前にあなたに贈り物でびっくりさせたと自慢げに話していたから」

そういえば、彼女の意思表示が外から見えやすくなった頃。蝶を模したそれを受け取ったのはまだ記憶に新しい。


「それで、もう1つはなんだったの?」

そう促すと彼は酷く戸惑ったような顔をして、恥ずかしそうにうつむきながら言葉を紡いだ。

「............俺あの日、カナヲに訓練で負けて。贈り物を渡す時までにあなたを守れるくらい強くなってみろ、って言われてしまって」
「.........それ、本当にカナヲさんが?」


あの子はそんな誰かにハッパをかけることも無いし、人の事情に興味を示す子ではなかったと思うのだけれど。けれどここまで来てからが嘘をつくなんてこともあり得ない。


「カナヲはあなたのことが好きなんです。よく蝶屋敷に来て、あまり話さなかった頃から良くしてくれたって。だから余計任務も訓練も頑張らないとって」
「そう。......そっか、そうなの」
「訓練も凄く頑張ってたみたいで、あの日は俺が負けて」


あの子がそんなに慕ってくれていたなんて嬉しい知らせだ。けれど何だろう、何だかとっても、いらいらする。


その感情を理解した瞬間、炭治郎君がびしりと気をつけの姿勢のまま固まった。ああそうだ、匂いで分かるんだよね。ならよく理解するといい。私が怒ってるって。


「あ、あの、なまえさん。怒ってます、よね」
「............」

怒ってますとも。

任務が忙しいなら、生きていてくれればいい。鍛錬に望むのなら、家族のため、みんなの為に精一杯頑張ってほしい。他に優先したいことがあるならば、それを思い切り楽しんでくれればいい。けれど、よりによって。彼は私のために、さっきだって会いたい話したいって言葉にしてくれたのにそれを我慢して、



「ごめんなさい。俺、周りにも認めて欲しくて、あなたを喜ばせたかったし、会いたいけど忙しいのに余計に時間使わせたらとも思っていて、いや。これは俺の勝手な思い込みだ。本当にごめ「好きです」............え」



ぽかん、と今まで見た中で1番の呆けた顔が私を見た。


「蝶屋敷であったあの日、伝えようと思っていました。なのにあなたはカナヲさんの名前ばかりで、態とらしく逃げたから。それでも、心が辛かったけれどあなたに声をかけたのに」
「っ、」
「それなのに、それすら」

視界が潤む。悔しくてこぼれ落ちるより早く羽織で拭えば、すぐさまその両手を掴まれた。


「こ、擦ったらいけません」
「っ......」
「すみません。俺、あなたがそう思ってくれているのに気付かず酷いことをしてしまった。挙句今、あなたが俺を想ってくれていた事が嬉しくて仕方ないんです」
「ほんとに、酷い人だよ。あんな、私のこと大好きって顔、してたくせに」
「なまえさん......あの、あなたの涙を拭ってもいいですか?」

そっと私の腕を離れたごつごつの両手が、頷きもしない私の頬に恐る恐る触れる。嫌だったら殴って下さい、なんてできる訳ないのに。暖かなその手にされるがままになっていると、彼の顔がそっと近付いて、私の目尻に小さく唇が触れた。


「好き。好きです。あなたが好きだ」


ちゅ、ちぅ、と両目尻に頬にと口付けが落とされていく。暫く自体を受け止められていなかった私の頭が動き出した瞬間、一気に羞恥が溢れ出す。


「ぁ、っ」
「照れてるんですね。可愛い」

雨のように接吻を顔に降らせてしまうくらい身長が伸びているのに驚いて、それよりなにより今この状況が受け止めきれない。

「たったん、じろ......くん」
「はい」

すりすりと顎のあたりを擽られて、思わず逃げるように身をよじれば背中にとんと壁がぶつかった。

「な、ん......急に」
「嬉しいです。俺、」
「私怒ってるって」
「はい。でももう、怒ってる以外にも俺のことでいっぱいですよね」
「〜〜っ」

ふにゃりと彼の目尻が下がって、大きな瞳に甘やかな色が乗る。


「なまえさん、」
「は、い」
「好きです。俺もあなたのことが一等愛おしい」

ずいと顔が近付いて、甘ったるすぎる言葉に真っ赤になる私を見た彼が、辛そうな、何かを切望するような、耐えるような表情をした。


(あ、)


「なまえさん、」




(喰われる)




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