"1分間額同士を合わせる"
素っ頓狂な声を見事にハモらせて、ちらりと彼女を盗み見る。
嫌悪はない、けれど羞恥からか僅かに頬を赤くしたその表情に心臓がどくりと高鳴る。
「えと、1分てどうやって測るんだろ」
「やってみるか」
「っ」
間近で彼女の顔を見れるなんてこの上ないチャンス、逃せるわけもない。それに何よりハナから達成しなくては出られないのだ。
彼女は私より10cmは小さい背格好をしている。すまないが肩を借りる、と自らを支えるのを名目に触れるように肩へと手を置き少し屈むと彼女が片足を引いて、少し伏し目がちな表情をしてからその足を戻す。
「じゃあ、スタート」
「っ」
こつん、と音がしたわけではないが衝撃が額に柔く広がった。
(これは......思ったより、近いな)
目を隠したまま様子を伺う事ができるからまだいいが、彼女は自分以上に赤くなった頬でその心境を如実に表している。
けれど、こんなに近くで愛しい女性の顔を眺めることなど早々できる事ではない。この企画の主には感謝をしなくては。
頬は上気し、瞳は僅かに潤んでいる。伏せた睫毛は決して長くはないが、鮮明に見える落とされた影が少女のような赤ら顔に僅かに色香を感じさせた。少し呼吸が浅いのは緊張のせいだろうか。時折薄く口を開けてそちらで息を整えようとしているが、その吐息が俺の唇をふわりと温めていることには気づいていないだろう。
(勿体無いな......一度離してしまおうか)
こちらが見られていないのをいいことにむくむくと沸き上がる欲。するとまるでそれを察したかのように彼女の瞳がこちらを見た。恐らくは、俺の目を覆うものを見つめているはずだが、ばちりと合った瞳に落ち着き始めていた心臓がまた煩く鳴り始める。
「ね、」
「ん?」
「まだ、かな」
「んー......」
絵画を見ると、42,43と数字が変わってゆく。どうやらもう少しのようだ。ここで彼女から一度離れたところでいい言い訳も浮かばない、となれば潮時だろうか。
そうやって返事も返さず考え込んでいると、不安そうな顔で名前を呼ばれる。
「イライ、もしかしてカウント見えない?」
「いや......もう少し」
「うん」
57,58,59......60
そしてカウントは達成を示す文字へと変化する。ああ、こんなにも名残惜しいがいつまでも彼女を不安にさせてはいけない。
そっと屈んでいた腰を伸ばしてもう大丈夫だ、と笑えば彼女はありがとうと恥ずかしげに呟いた。
部屋に入った時のいつもの調子からは想像もしていなかった恥じらう姿もまた心をくすぐられる。
「それにしても凄い量」
「そうだな。どうやって持ち帰ったものか」
積まれたそれはとうにテーブルに収まりきる範疇を超え、その脚元に積み上がっている。
「ラスト5つ頑張ろうね!」
「そうだな。次は......ん゛ん゛っ」
「?っ、!!」
"互いにキスマークをつける"
ブリキの仕掛け人形のようにぎこちなく彼女の方を向くと、もうそれは尋常じゃないほどの顔の赤さで。いや、それは俺も同じなんだが。
はくはくと、何か言おうとして言えずにいる彼女にかける言葉もまた出てこない。
「そ、の......なまえ」
「っ」
名前を呼ぶと同時に動きをぴたりと止めた彼女が口だけでなに、と先を促す。
「俺は、その、構わないが......」
そういうと視界の横顔がきゅっと口を真一文字に強く結んだ。
そう、俺はなにも構やしない。好きな女に痕を残すことができるのだから。けれど理性が叫ぶ、そうじゃないんだと。
「なまえに無理強いをさせたくない。だから、嫌なら言ってくれ。何か別の、ここを出る方法を探す」
体ごと向き合ってそう伝えると、はっとしたように彼女が俺を見上げる。
「君の気持ちを尊重したい。それに、誰かが外からドアを開けてくれるかもしれないしな」
「っ......ありがとう、イライ」
少しばかりの後悔が脳に残るが、ほっとしたようなそんな言葉に、表情に、これで良かったのだと胸をなでおろす。だって彼女は俺が誰よりも大切にしたい子なんだから。
「少し座って休もう。それで」
「ううん、やるよ」
「そうだな。少ししたら、......は!?」
ここに来て初めてなのではないかというほど素っ頓狂な声が出た。おそらくその事に目を丸くしたなまえは、けれどまっすぐに見つめ返してくる。
「べ、つに......わたしは大丈夫。その、やり方が分からないから、時間とっちゃうかもだけど」
痕のつけ方が分からないのか。けれどそのたどたどしさも、愛おしい。
「じゃなくてだな!俺は君に無理をさせたくは」
「無理じゃないって思ったからやるって言ったの!イライは、嫌、かもしれないけど」
「そんなわけないだろう!」
「じゃあ」
「でも少し考えるべきだ」
そんな無防備なこと、と頑なに首を横に振れば振るほど彼女はむっとした顔になっていく。
「やっぱ嫌なんじゃん。そう言ってよ」
「だから嫌ではないと」
「でも絶対駄目っていうじゃん」
「それは、」
「それは?」
「っ......」
「......ほら、やっぱり「好きなんだ!!」
言葉の応酬に耐えきれず漏れた本音にさっと顔から血の気が失せた。静かになった部屋に、へ、と間の抜けた彼女の声だけがして。
こんなはずじゃなかったのに、驚かせてしまっただろう。一歩身を引いて目を伏せた。
「すまない......君が、好きなんだ」
先すらも見通す目は現状を把握することすら拒んでいる。彼女が、どんな顔で俺を見ているのか。知りたくない。
「分かった、だろう」
俺はなまえを1人の女としてみていて、そういう男がこの密室で、触れようとしているってことに。
「......キスマークって、どうつけたらいいの」
「なまえ」
「わたし、わからないんだから」
「なまえっ」
歯を食いしばって作った距離をすたすたと埋めた挙句首元へ伸ばされた腕を、咄嗟に掴んだ。
「聞いてなかったのか。それとも、」
「他に方法があるなら見えてるはずでしょ」
「それは、」
「ね。どうしたらいいの」
顔は真っ赤で、けれどあまりにも焦るような声に、挙動にずくりと心の臓が痛む。
そんなに一緒にいるのが嫌なのだろうか。俺に触れられるよりも自分で触れたほうがまし、とか。
「......その、少し口をすぼめて、吸う感じで」
「全然分かんないんだけど......」
きゅっと眉間に皺を寄せた彼女は、吸う?とぶつぶつ疑問を口に浮かべながら俺のフードを外して、少し引っ張って露わにさせた肩口にあっさりと唇をつけた。
あまりにも抵抗も止まる間も無く与えられた肉感にがちりと全身が固まる。
「ん、んぅっ......はぁ、だめか」
ちぅ、と吸い付く音のあとに、ぱっと顔を離した彼女はもう一度同じ場所に口づけを落とす。
「ん、んっ」
まるで色ごとに興じているかのような声と水音に理性は焼き切れてしまいそうで、抱きつくような姿勢の彼女に伸ばしかけた手をぎゅうと握りしめて耐える。
「んんん〜〜」
「なまえ」
「ご、ごめん......なんか、違うのかな」
「ちょっと、そこまでは......」
困り顔をそんな間近で見ているほど落ち着いてもいられない。ならいっそ腕とか、どこかに自分がつけてしまったほうが早いのではないだろうか。
「俺がやるよ。......あっ、も、勿論!やましい事はしない。安心してくれ」
「......えっ、と」
けれど返ってきたのは戸惑うような声音
そこまで拒否されてしまうともう心がぼきりと折れてしまいそうだ
「それでも。やはり心配かい?」
「心配っていうか」
「なら俺の腕を縛っても構わない。流石にそれなら君でも抵抗が」
「ちっ違うってば!」
「?なら、どうしたらいいのかな」
「どうしたら、いいとか。違くて......う、腕縛るとかいらないし。イライがほんとに嫌がること、しないって分かってるから」
「え」
「勘違いさせてごめん。イライを信用できないとかじゃなくて、......わ、わたし、」
隠すように口元を手で覆う彼女に、よく聞こえなかったとわずかに身をかがめる。
「............は、ずかし、くて」
それから、何秒くらい経っただろうか。
延々と無言の続く空間に耐えきれなくなったのか伺うように彼女が、俺を見上げる。
「今すぐ、俺を、その椅子に縛りつけてくれ」
「はっ?」
「酷すぎる。あまりにも酷いだろう!俺は、君が好きなんだ。今すぐにでも君に触れたい。それを必死で耐えているというのに、そんないじらしい事を言われたら、」
「だって」
「頼む、酷い事をしたくないんだ。俺を拘束するか、それかいつもの様に冗談だと思って笑い飛ばしてくれ」
ああ、せめて友人としての距離をそちらから提示されれば、それしかないとなればきっと耐えられるはずだから。
「む、むりだよ」
「何がだ?」
互いに、絞り出すような声だった。
「好きって、言われて......私たちしかいなくて、こんなに大事にしてくれて。そっそれで今まで通りなんて」
「だからそういう事を言って煽」
「いいよ」
「は」
お互い理性なんて表面的なものを取り繕う余裕もないのにまるで討論のように言葉をぶつけ合って、いったい何をしてるんだろう。彼女は何を、............今、何を?
「イライなら、いいよ」
人に見えないところなら、と零す唇から呪いでもかけられたみたいに目が離せない。
だから、キスマーク、つけて?
「っ!」
がばりと細い肩を掴んだ。そして、はっとして動きを止める。だめだ、抑えろ、抑えろ抑えろ。
「肩の近くに、いいかい」
「うん」
ぷちりと1つ外されたボタンに目眩がして、横に引いた先の白い肌にそっと口付ける。
ぢぅ、と吸えば小さな揺れを唇越しに感じて、残された所有の証を呆然と見つめる。要は内出血だ。それはゲームの時に打ち付けた傷と同じような鮮やかとは言えない色だと言うのにこんなにも美しい。
けれど、いくつも花を咲かせてしまいそうになる衝動を抑えて顔を離すと、あまりにも近い距離で目があって、その瞬間に引っ張られるような気がして盗み見れば、縋るように伸ばされた小さな手。
「なまえ」
額を合わせていた時よりも鮮明に感じる距離。こつりと同じように合わせて、今度は鼻筋までが触れ合った。
「すまない。俺は、」
「謝らないでいいから」
「、ああ」
「だから、もっと好きって言って」
「っ」
なあ、もういいだろう。
俺は十分に耐えた。十二分に待った。
その問いへの返事も待つ事なく、目の前の愛しい人にむしゃぶりついた。
「んっ」
熱い。触れた唇は想像以上に弾力があって、柔く、そしてどちらのものかわからない強い熱。俺の首筋に縋り付いた時のような声を上げた彼女の顔を包み込んで、何度も何度も口付けて、時折吸えば震える睫毛。
「んんっん!」
「んっ......はぁ、たりない」
その言葉への返答も待たぬまま、再度口付けながら彼女の体を持ち上げた。
自分よりも高い位置になった彼女は戸惑いからか目を開けたけれど、逃げる事なく俺を優しく感受する。
愛おしさで気がおかしくなりそうでそっと寝台に押し倒した。シーツに髪が散らばり、それをすきながら先ほどの跡に指を這わせる。
「好きだ。好きだよ、なまえ。君のことが愛しい」
「っうん」
「だから、もっと......いいかい?」
「うん」
微笑みあって、今度はもっと深く口付けてしまおうと顔を近づける。恥ずかしそうに、けれど受け入れてくれる彼女はもっと熱く舌を絡ませたらどんな顔をするだろう。ただでさえ限界まで真っ赤な顔をして。これ以上沸騰したら死んでしまうな、と独りごちながら寄せれば、不意に間に掌が入ってくる。
「?」
「イライ」
「なんだ」
「すき」
ああ、俺の方が死んでしまいそうだ
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