短編 | ナノ




「いただきます」

耳だけ外に向けたまま、目は目の前のお皿に釘付けにして朝食を口に運ぶ


「それでハスター様が......」
「それなら私も、」


途切れ途切れに聞こえてくる話し声は占い師と祭司のもの。彼らには似通ったところが多い。個性豊かな人物が揃う中、共通の話題があるというのは大きなメリットだ。

(今日も盛り上がってるなぁ...)


彼、イライ・クラークは、占い師と言えばイメージは親しみやすいものの、実質千里眼や預言者のような言葉が近いと思えるような人物で。神や信仰から程遠い私にとって彼と彼女の空間は足を踏み入れることすら烏滸がましい、そんな負い目が強く刺さる。


「おはようございます......」

ふと、聞き逃してしまいそうな静かな声、そして私の隣で椅子を弾く音

「おはようございます、なまえさん」
「おはよう、イソップ」

人への恐怖心が強いはずの彼が気付くと私の側に身を置き始めたのは、そう、私がこの邪な感情を明確に理解してしまった頃からだ。





「眠れないのかい?」

そう声をかけられたのは、いつものようにゲームに参加したその日の深夜。

もう慣れっこになったとはいえその日私は酷くて傷を負い、声をかけてきた彼、イライ・クラークに助けられるがまま逃げ延びたのだった。半分意識の飛びかけた私は体重を預けるどころか彼に運ばれてきたようなもので、目が覚めてその話をエミリーから聞いた時は申し訳なさでどうなるかと思った程だ。

けれど話を聞いても縛り付けられたその時の記憶は曖昧で、思い出そうとしても直前のチェイスと、緊迫感と、そして、


「なまえ?」
「眠れなくて、......」
「それじゃあお茶でも淹れようか」
「ありがとう」

ポットに向かう背中を盗み見る。
そもそも彼に対して盗み見る、なんてことが可能かは分からないけれど。


「イライさん」
「なんだい?」

彼はどんな時も穏やかだ。
ゲームの最中だったとしても仲間に頼られる姿は変わらない。だからこそどこか、距離感を感じていたのは紛れもなく事実である。


「今日は、ありがとうございました」
「少しでも力になれたなら幸いだよ」
「少しだなんて」


誰よりも早くその身を追跡者の前に踊らせ、どんな状況でも仲間を守るために奔走する、そのどこが少しばかりとなるのだろう。

渡されたカップの温みにほぅ、と息をつく。

そういえば彼は明日のゲームではなかっただろうか。そう思い至った私は、顔全体で受け止めていた湯気を遠ざけ椅子を引く。その目元が讃える感情を知ることはできないけれど、ぽかんと空いた口から僅かばかり思考を読み取れたように思えた。


「部屋で休みながら飲んできます」
「......そうか。ゆっくり休んで」
「ありがとう」

カップを手に部屋まで送ろうかと言う申し出を断った矢先、ついた右足が揺らぐ。


「なまえ......!!」
「っ」

斜めに傾いていく視界がある一点で止まる。
抱きかかえるように回された腕、小さく雫が跳ねるにとどまったカップ、そして


(あれ、)


だから言っただろう。

そんな言葉に押されるがまま部屋まで見送られた私は、対して体を休めることができなかった。頭から消えない声と、熱を保ったままの温もり、そして、


(あの、かおり)


その腕の中のなんと心地よかったことだろう。それしか考えられなくて、いつまでもそばにあって欲しくて頭の中がぐるぐると捻りこまれてゆく。

そうして私の恋は、歪にその形をあらわにしていったのだ。



「......さん、」
「っ。なに?」

呼ばれた声に価値が跳ねる。

「食べないなら貰います」

指されたのは綺麗に残ったサニーサイドアップのたまご。本当にあれから、イソップ・カールという男はこんなにも面倒だったのかと思ってしまうほどの距離の近さで私に構ってくる。

食べないなら貰う。
例えばエマに言われたのであれば、そんなに好物ならと喜んで差し出したかもしれない。けれど、ここに来てなお1人になりたがっていた男からの申し出となると怪訝な顔をつい浮かべてしまう。


「まぁ、いいけど」
「どうも」
「意外と食べるんだ」
「これでも成人男性ですから」
「そう」


周囲からの視線がこちらに向いているのがわかる。これが始まってから、ずっとそう。
あのイソップが自分から、という奇異の目。けれど人と関わり始めたのは良い傾向だからとあまり刺激しないよう誰もそれを指摘しない。


「ねぇ」
「なんですか」

朝食では飽き足らず、彼はその後も私についてきた。明らかに私だけに対するそれに、今まで黙り込んで沸いた口を開いた。

「なんで私だけに構うの?」

私だって急にくっついて回られると驚きはするものの、別にぞんざいに扱ったりはしない。話す時だって面と向かって話している。
そんな私たちに向けられるものも、私のものも、彼の苦手とするそれじゃなかっただろうか。

そんな純粋な疑問を受け取った彼は、驚きもせずに私と目を合わせた。


「僕、人と話すことは別に嫌いじゃないんですよ」
「え、そうなの?」

てっきりそれすら嫌なのだと思っていた私は、談話室の暖炉から彼へと目を移した。


「視線が苦手なんです。見られていると、自分の挙動を監視されているような、期待されているような、失敗したら揶揄されそうな」
「......ああ」

合っているかは分からないけれど。
確かにそばに人がいるとしても、自分の行動を見ていないのと見られているのとではかかる圧、のようなものは違うことがある。
そういう類のものなのだろうか。


「なまえさんは、特定の人1人のことばかり見ていますよね」
「ん゛っ」

思わずむせそうになったのを堪えて彼の表情を見る。談話室ですから名前は控えますけど、なんてしれっと言い放った言葉に嘘偽りがあるとは露ほどにも思えず、観念した私は静かに続きを待った。


「あなたは僕と話す時目を見てくれます。けれど本当に見ているのは別の人だと分かっているから、安心するんです」

だから全く視線が気にならないとは言いませんが、と補足した彼は手元のコーヒーを口に運ぶ。

「すみません。あなたにとって、僕がいつも近くにいると困るのは分かっているんですが」
「それは、......」


確かにイソップと居るとそっと2人にさせておこうという空気感にはなる。けれどそれが無かったらどうなるのだろう。

彼と、イライともっと一緒に、


「気にしないで。別に......結局私が踏み出せないんだから」
「そう、ですか」


ふと沈黙が降りる。
こんな時も浮かぶのは会話している相手じゃなくて、イライのことばかり。それは話し相手に失礼なのかもしれないけれど、イソップは恐らくだからこそ私と居るのだろう。


「......お茶、お代わりとってくる」
「はい。僕はゲームの準備があるので部屋に戻ります」


足音がして、私も行こうと思うのに中々腰が上がらない。空っぽのカップを傾けて、僅かに残った雫が底の方で落ちていくのを呆然と見つめる。


「お代わりを持ってこようか?」
「っ!?」

不意に背後、しかもそれなりの近さで聞こえたイライの声に体が大きく跳ねる。落ちたカップを掴んだのは、私のではない大きな手。
その身を乗り出した瞬間に、また、あの香りがしてきゅう心臓が苦しくなる。


「ご、ごめん」
「こちらこそ驚かせてしまってすまない」
「お言葉に甘えてお代わり貰ってもいい?」


なんだか2人で話すのはとても久々な気がする。そもそも私達は特別な間柄でもないし、みんながいる中わざわざ2人になるなんて事もないし。となればその機会を逃すわけにはいかない。

もちろん、と笑ってくれた彼からカップを受け取ろうと手を伸ばし、その手が温みに触れた。


「っ、え」
「実はいい茶葉を手に入れたんだ」
「えっ?あ、そう、なの?」

目を見開くと同時にきゅっと、触れた手に力がこもった。けれど振り払うことなんて無理で、彼の話題にのる形でそのまま黙って手を引かれた。
ほんの少しだけ握り返すと、僅かに前を向いていた彼がこちらを向いたものだからさっと顔を伏せる。馬鹿みたい、私、これじゃあバレバレじゃないか。

けれど暫くして、見覚えのある足元ばかり見ていた私の視界がたどるルートがキッチンに向かうものではないと気付き顔を上げる。
あれ、待って、この先って。

呆然と前を向けば予想通りのドアが近付いてきて、ばくばくと心臓が鳴る。


「ついたよ」

どうぞ、と開け放たれたそのドアの向こうに何度恋い焦がれたことだろう。
今向こうで相棒と戯れているのかな、今日は疲れて休んでいるのかな、そう思い描いていた場所に、


「あ、あれ......?」

部屋の作りはあまり違いがないけれど、やはり置いてある私物の所為でまるで違う空間に感じる。

「今は部屋にいないんだね」

開け放たれたままの小窓を見つめてからイライの方を向く。食事の場でこそ一人でやってくるが、基本的に屋内でも一緒にいるものだからてっきり彼の相棒もこのお茶会に同席するのだと思っていたけれど。


「ああ、そうなんだ。どうぞ」
「ありがとう」

ベッドサイドの椅子へ促されるまま座る。
既に用意をしてあったのか、お茶の準備を始めた彼の背中を見ながらついすん、と静かな空気を吸い込んだ。

「てっきり食堂のお茶だと思ってたんだけれど、少し違うものなの?」
「ああ。実はいいハーブがあったから。君はコーヒーよりもこちらを好んでよく飲んでいたなと思って声をかけたんだ」
「嬉しい......」

溢れるように発した声につい口を塞ぐ。
やだ、なに言ってるんだろう私。あんな嬉しくてたまりませんみたいな声、

「えっと、あの、お茶好きだし!覚えててくれたのも、誘ってくれたのもありがたいなって」

手を止めて振り返った彼に、まるで隠し事の言い訳をするみたいに話してへらりと笑う。
そんなへたくそな笑顔に綺麗な微笑みを返したイライは、カップにお湯を注ぎくるりとスプーンを回す。


「そう言ってもらえると俺も嬉しいよ。はい、どうぞ」
「ありがとう。頂きます」

とてもいい香りだ。大きく吸い込むと爽やかな香りがして、けれど一口飲めば柔らかな味が広がった。


「おいしい......!これとってもおいしいよ!!イライがブレンドしたの......!?」
「ああ。お茶菓子も良ければ」
「うん!」

ここにあるものは種類が限られているからとても嬉しくて、二口目、三口目とついどんどん飲んでしまう。カップの量が思ったより減ってしまって、この時間が終わってしまったらと思って慌てて口を離した。


「なんだか今まで、イライの部屋にお茶とかお茶菓子があるイメージがなかったけど、こんなに好きなものが沢山出てくるなんてびっくりだよ」
「いったいどんな部屋を想像してたのか気になるところだな」
「うーん、なんだか物が少なそうなイメージかな......?みんな自分の職業に関するものを置いてたりするけれど、イライはあまりイメージがわかなくて」

タロットとか水晶はまた、少し違ったようにも思えたし。梟とはいえあの子は檻とか必要ないと思っていたし。


「それで、来てみてどうかな?」
「とっても落ち着くよ」
「そうか」


入る前はあんなに緊張していたのに、なんだか今とっても安心している。だってこの部屋は大好きな彼の香りがほのかにして、この紅茶も、

「あの、イライ、お願いがあるんだけど」
「うん?」
「このお茶のいれ方、教えてもらえないかな」


紅茶と彼の香りが似ているんだ。
使っているハーブの香りが彼の体にも残っていたのかもしれない。
なら少しでも、


「うーん、教えるのはいいけど使っているハーブは、ちょっとな......」

ここまでとても良くしてくれた彼が初めて見せた渋る表情につきりと心臓が痛む。


「、そっか。分かった!ちょっと気になっただけだから気にしないで」
「ああ、違うんだ。ハーブが自生している場所が彼女にとって大事な休憩場所になっていてね」
「そうなんだ」
「ああ。彼女の気が休まる場所だから俺も気を使っていて......もし良ければなんだが、俺がハーブを採集したら君に渡す、という形でも構わないかな?」
「でも、本当にいいの?」
「構わないさ。出来るだけあの場所を静かにしておきたいっていう俺の我儘だけれど、」
「とんでもない。こんなに好きなもてなして貰っただけでありがたいくらいだもの」


こうしてお茶をしているだけで朝のもやもやが晴れていく。本当、都合のいい頭だ。
けれど嬉しいものは嬉しいし。2人きりだし。ハーブさえ貰えたら彼の香りを感じることができるし、なにより彼がハーブを渡してくれるという事は、幾ばくかの頻度で彼に会えるということ。今日は実は結構いい日だったのかもしれない。


「どうかした?」
「へ?」
「カップをじっと見つめているから。考え事かと思って」
「あ、いや、考え事というか......」

こんな邪な喜びを言葉にできるはずもなく、つい不自然に口を閉じてしまった。そんな私をその布越しに見つめるイライの口が開く。


「イソップのことが心配かい?」
「?なんで、イソップ?」
「最近彼とよく一緒にいるだろう?あの人が苦手な彼が懐くなんて珍しいと皆言っていたし。それに先ほど彼が席を立ったあとと同じような構図だったものだから」
「確かにイソップは最近一緒にいることが多いけど、別に彼のことを考えてたわけじゃないよ。なんとなくぼぅっとしていただけだから」
「そうか。しかし、なぜ彼は君と一緒にいるようになったんだい?」


そう投げかけたイライは、実は......と言葉を続ける。


「最初は俺かヘレナだろうと思っていたんだ。ほら、視線という意味においてはこれ以上適任はいないだろう?」
「確かに。それは少し私も思ってた」
「ああ。だから少しばかり心を許してくれるかと思っていたが、想定していた以上に彼は皆と距離を置き続けた。それが今は君とばかりいる」
「っ」

彼に隠し事はできないような感覚がする。けれど、全部が全部話せるわけじゃない。

「楽、なんだって」
「楽?」
「私といると。私があまりイソップのことを気にかけてないから」
「うーん、気にかけていないと言うほど無関心とも思えないんだが......」
「イライはわかる?」
「?」
「私はそうなんだ、としか言えないし。イライならなんでか分かったりするのかなぁって」

このまま適当な推論に話を移していければ、と彼にふると、端正な顔に手を寄せて思案するように上を向く。


「彼がそう言ったならそれが全てで、あとは勝手な憶測になってしまうな」
「だよね。まぁ、」
「けれど意外と単純なことかもしれないよ」
「単純っていうのはどう、っ!?」

手が、重なった。
机の上で重ね合う素肌と素肌、すっぽりと私の手なぞ掴んでしまいそうなその指先が、撫でるように手の甲を這い上がっていく。


「命をかけたゲーム。彼はいわば巻き込まれたようなものだ。その上人と関わらねばならない。そういう限られた環境では、色々なことが起こる」
「、」

体がガチガチに固まって動くことができない。どう考えても血が集まっている顔を彼から隠したいというのに、唇を噛み締めた。
するりと這い上がったそれは恭しく私の腕を持ち上げた。


「例えば、」


薄く整った唇がやけにゆっくり動いて見えて、目が反らせない。気付けば私の手は彼にいいように踊らされている。
ふと、掌に吐息がかかって、固まっていた体がびくりと跳ねた。


「恋、とか」


ちゅ、

息のかかっていたそこに柔らかな感触
わざとらしいほどにお手本のような口付けの音に血流がぐるぐると巡り、じわりと視界すら潤み始める。

何か、何か言わないと。
なのに私は必死に酸素を吸い込もうとする魚みたいにはくはくと唇を戦慄かせるしかなくて、先程までは顔がよく見えると嬉しく思っていた小さなテーブルの、防御力の低さがもどかしい。


「嗚呼、可哀想に」


手はまっすぐに私の頬に触れた。
するりと撫ぜる親指が滲む雫を拭う。


「いら、ぃ.....」
「そんな顔で男の名を呼んではいけないだろう」
「ぁ」
「それともわざと?」

いつの間に距離を縮められたのだろう。
私の顔を両手で覆ったイライは私の目の前に立って、情けなくされるがままの私を覗き込むようにして笑っている。
耐えるように唇をきゅっと結んだのに、自由になった両手はまるで応えるみたいに彼の服に添えたまま。追い詰められた時の行動は心に従順だ。


「抵抗しないのかな?」

それだというのに彼は、ここまで私を追い詰めたというのにここに来て動きを止める。
まだ、今拒めば何事もなかったのように振舞ってくれるだろう。でも、私は凄く気になっているんだ。


「しなかったら、どうなるの?」
「っ、」

彼の服を掴んでいた手をなんとか動かして、今度は私がその手に重ねた。勇気を出して見上げれば、沈黙が降りる。


「......参った、な」
「?」
「抵抗しないと、」

重ね合わせた左手が骨張った指に絡め取られる。逆の手は私の首元へと回された。



「悪い男に食べられるんだよ」




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