短編 | ナノ


こんこん、と音がして顔を上げる。
手を中途半端に止めたままに返事をすると、ドア越しにくぐもった彼の声がした。

ページをめくる途中だったその場所にエマちゃんにもらった押し花の栞を差し込み、座っていたベッドに置き去りにしてドアへ走り寄った。

「イライ!」
「ただいま」

開け放たれたドアの先で、今度はくぐもる事なく耳に届く声

「お帰りなさい。今日は早かったね」

一歩身を引けば彼が部屋へ入ってくる。


「今日は随分やり易かったから。寂しい思いをささてすまない」
「別に!......子供じゃないんだから、少しくらい待てるわよ」
「本当に?」

フードを外しながらイライがいたずらに笑う
それが少し悔しくて、先程栞を挟んだ本を手に取った。


「今日はカートさんから本をお借りしたの!ほら、まだこんなにページが残ってるから、早過ぎたくらいよ」
「それは失礼。どんな本なんだ?」
「それは聞くだけ野暮じゃない?」
「冒険小説か」
「そう」

ガリヴァー旅行記は流石に借りることはできないが、他にも作品は色々とあるらしい。
まだ僅かばかりのページを読んだだけではあるが、これは挿し絵も綺麗でとても読みやすそうだった。

「ほら、これなんて綺麗じゃない?」

イライを手招きして膝の上で本を広げる。
ひとつひとつの葉が丁寧に描かれた夜の森にぽっかりと浮かぶ月、特に気に入った挿し絵だ。

「へぇ......これは確かに綺麗だな」
「でしょう?」


きっと彼ならそう言ってくれると思った。
嬉しくて顔を上げれば、手元の本を覗き込んでいた彼の顔は私の肩に乗せてしまうのだろうかというくらい近くて、ぎょっと上半身をのけぞらせる。
何も言わずに距離を取った私を見て、全部把握したらしい彼の唇がゆるゆると弧を描いた。


「逃げるだなんてつれないな」

逃げる私をまた面白そうな顔で眺めながらぎしりとベッドに手をついて、ぐっと体を寄せてくる。

「や、ちょっ」

今すぐ立ち上がって仕舞えばいいものの、まずは借りた本をきちんと畳んで避難させなければならない。
布越しに合った視線を反らせないままそっと本を閉じ、ベッドサイドチェストに置きつつ逃げる。これで完璧だ。

「あっ」

突如発した私の声にイライの気が逸れる。

(よし、置いた!であとは......)


「こら、逃げない」
「わっ、イライ!」

本を置いて腰を上げた瞬間、腕を引っ張られるがままに背中からベッドに倒れこむ。
後ろに手をついて転がるのを耐えれば、まるで甘えるように抱きついてきたイライがするりとその手に指を絡めた。

ゲームが終わったからか温かな体温と、繊細に触れてくる指に顔がぼぼぼと火がついたみたいに熱くなる。


「いっ、いら、い」
「いや?」
「嫌、ってわけじゃ、ないけど......」
「けど?」
「はずかしい、から」

抱きすくめる彼の服をきゅっと握る。
正直に話せば、耳元でこそばゆい吐息とともにくつくつと笑いながら、そのまま体がゆっくり倒れる。


「かわいい」

実質押し倒された私の頬を撫でながらぽつりと呟く。やっぱ嫌だ。こんな、まだ明るいのに私ばっかり恥ずかしいなんて。公開処刑もいいとこだ。


「急にそういうの、やめてってば」
「恥ずかしいから?」

ちゅ、と耳元にキスが落とされて、絡んだ指をつい握り返してしまう。

「かわいいから、かわいいって言うのは我慢できない」
「っ」


ああ、もう。
嘘。全然嫌じゃない。
恥ずかしくても公開処刑でもなんでもいい。
気持ちいい。

優しく落とされるキスも、繋がれた手も、体温も、頬を掠める髪も、彼の香りも、聞かずとも向けられる愛情も。全部全部気持ちいい。


「いらい」
「うん?」
「うで」
「ああ、はい」

ぱっと離された手をするりと彼の首に回す。

「えいっ」
「え」

そのまま横にくるりと回せば、あっという間に私たちの上下関係が入れ替わった。
少しぽかんとしている彼に今度は私がおかしくなってしまって、ふふ、と溢れる笑いを隠さないままその胸にダイブした。

すぅっと息を吸い込むと、梟のであろう僅かに獣と、木々の香り。


「えーっと、どうしたの?珍しい」

まるで銃でも向けられたみたいに両手で降参ポーズを取る彼の頬は、少しだけ赤く色づいて見えた。

(可愛い......)


どっちがだ、なんて言うとすねてしまうかもしれない。代わりにぐいっと顔を寄せて、少し開いたままの口の端の辺りに小さくキスを落とす。
私がのしかかっている彼の体が震えたのが伝わってくる。


「イライ、すき」

すり、と見た目よりも厚い胸板に頬をすり寄せるだけで胸に幸福感が込み上げてくる。

「好きだなぁ」
「っ」

とくとくと伝わってくる心音に少し眠気のようなものがこみ上げてきて、けれどゲームが終わったばかりの彼にずっとベッドがわりになれっていうのも酷な話だ。
狭いベッドの上で、ころりと彼の隣に体を転げ落とした。

ずるりと頭上の枕を引っ張ってきて頭を乗せれば完全にお休みモード。その間もイライは上げた両手を降ろさないまま固まっている。


「疲れないの?手」
「冷静になろうと思って。手を降ろす余裕がないんだ」
「じゃあ代わりに降ろしてあげますよ」
「え」

そしてピンと指の伸びた手に触れた瞬間、また指を絡め取られる。

「はぁ〜〜〜」
「ちょ、なんでため息なの」
「冷静になろうとしてたのに。そっちが悪い」
「んぅっ」

急に距離を詰められて唇が重なる。
あっという間にまた私に覆いかぶさったイライは薄く開いた私の唇を彼の唇でするりと撫でて、ふるりと背筋が震えた。

「はっ、」
「ぁ」

そのままやわやわと唇をはむように、そしてちろりと触れた舌がそろりと口内に入ってきた歯列をなぞっていく。
最初は優しく食んでいただけなのに、まるで走ってるときみたいなだらしない呼吸音と時折小さくくちゅりといやらしい音がして恥ずかしい。

「んっ、......はぁ」
「は、ははっ」

顔を離して、なんとか呼吸を整える私を見下ろしたイライは今度は首元へと唇を落とした。
襟元を引っ張られて、際どい位置でじゅっと跡を残す音。そこからつぅっと鎖骨から首筋、そして耳の裏まで舐めあげられる。

「はぁ、んっ」


思わず浮き上がった背に腕が差し入れて、抱きすくめられているようで妙な多幸感が溢れ出た。




(口づけだけで、こんなにもしあわせだ)
(さっきから胸当たってるの気付いてるのかな。言わないけど)




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