ぱちり、重い瞼を持ち上げる。その行為すら久しく感じた。いや、実際に久しぶりのことだ。未だ残る気だるい眠気、柔らかい毛布の感触、見慣れた自室。ゆっくりと体を起こしてそれら周囲の景色を取り込んでいくうちにふと、あの灰色の部屋を思い出した。
「っひ、」
しゃくりあげるような声が出てがたがたと手が震えた。入ってくる、あの薄暗い何もない部屋が、飛んでいた記憶が、可笑しくなっていた自分が、雪崩れ込むように情報が沸いて出て埋め尽くしていく。あそこで一人何も出来なくて過ごしていた時間。だんだん体に力が入らなくなって、立つのもつらくなって。呂律が回らない。思考がまばらで必要なことが思い出せない。必死に自分や、家族や、友達のことをぶつぶつと呟いて忘れないようにしたけれど気付いたら声は止まっていた。
孤爪君が来てくれた時の意識も頭の中に入ってくる。もう何も考えていなかった壊れた自分。彼に怪我をさせるようなことをしていなかったのだけはホッとしたけれど。
「ぁ……あ」
中毒者が薬を探すみたいに乱暴に手を這わせて携帯を掴み取る。すぐに開くはずのページが震える指のせいで中々姿を現してくれない。早く、早く。急くようにしてやっとページを開いた私は初めて、通話ボタンを押した。
「お願い出て、お願い出て、お願い出て、お願い出て……」
耳元に携帯を押し付けたままベッドの上で蹲る。コール音が鳴るたびに目には涙がたまっていった。
”もしもし”
「っ……」
”なまえ?”
「ぁ」
孤爪君、だ。背後の音は少し騒ついていて、もうとっくに家を出たのだろう。
「孤爪、君」
”うん”
「けっ、怪我は……な、何もない?あの、あの子は、孤爪君は」
”平気。落ち着いて、俺はなんともないから”
「ほんとに?何もない?」
”本当”
「……は、」
良かった。ぼろぼろと目から水分がこぼれていく。もし今度孤爪君が私と変わるようにいなくなったら、逃げた私のことを怒ってあの子に何かされていたら。そんな不安が和らいでどうにも止めようがなかった。
「孤爪、君……ありがと。助けてくれて」
”……別に”
「でもありがとう。……学校、だよね。それじゃあまた」
”うん、また。あ”
「?どうしたの?」
いつも連絡を取るときは私から始まって私から終わった。たまに孤爪君からも来ていたけれど、返信不要なメッセージの時ぐらいで。珍しいなと思いながら目元を擦った。
”研磨でいいよ”
それじゃあ、と通話が終わった。あの時、彼が助けてくれた時に呟いたからか、その名前で呼ぶことに違和感は感じない。
「けん、ま」
助けられたんだ。私は、彼に。
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