何故だか自分が凄く怖い。あの時のことは自分のためにも及川君にもなかった事にしようと思った。何事もなくいつも通りいれたのに。
「……なまえ」
いつもより消えそうな低い声で名前を呼ばれた。おかしい、顔が熱い、嬉しい、今のキスを忘れたくない。私ってこんな流されやすかったのかな。
「お、及川……君。私は」
「断りの返事は聞かないから」
「な、」
「だってそんな真っ赤な顔でキス、受け入れてくれたのに。好きじゃないなんて言わせないよ」
「っこんなことされたら誰だって照れるでしょ」
「突き飛ばして拒絶しても良かったのに?」
「そんなことっ……」
出来るわけない。だって、でも、拒絶しなかった。出来なかった。
「わ、私は、」
「好きだ。好きなんだ」
「っん」
また唇が重なった。さっきより少しだけ荒々しいそれに体が後ろに傾いて、腰と後頭部に回った腕がそれを支える。甘いそれに体の力を抜きそうになってハッとした。胸板を押す。さっきよりしっかりとした強さで押したからか、すぐに距離をあけてくれた。彼の腕の中に居ることに変わりはないけれど、少しだけ落ち着きを取り戻す。
「待って、だって、何で……いつ」
「いつかなんて分からないよ。俺はなまえちゃんのことが好きって自覚するまで時間かかったから」
「でも……勘違いかも、しれないよ?あの時、キスしちゃったから」
「あれはきっかけだよ」
「きっかけって、あの時隣にいたのがたまたま私だったってだけでそんな」
「でも、隣にいたのはなまえちゃんだった」
いやだ、怖い。こんなの私じゃない。だって今までたったの一度も及川君のことをそういう風に見たことないじゃないか。なのにこうやって好きだって言われてキスされただけで好きになるはずないのに。
今だに逡巡する私のぐだぐだした言葉をわざわざ待ってから及川君が口を開く。私と違って真っ直ぐ、真正面からぶつかってくる。
「きっかけとか、好きになった理由なんて俺はいらないと思うよ」
たった今聞こえた言葉も私の戸惑いを思い切り揺さぶるものだった。
「一緒にいると楽しくて、お喋りして、出掛けて、仲良くなってくうちにあれ、なんか可愛いなとか、取られたくないとか、もしかして好きなのかもって。なんとなくそうなっていくのはおかしい?」
「おかしくは、ない……けど」
「なまえちゃんは何に戸惑ってるの?」
背中に回っていた肩がするりと腕を辿って掌を握る。すごく暖かくて、心地いい。
「私は、告白なんてそうされないし、きっ……ちゅーされたのも、初めてだし。凄く恥ずかしくて照れてるけど、それは好きとは違うって」
「違わないよ」
「なんでそんな」
「だって気持ち悪いとか、うざったいって思わなかったんでしょ?それと俺凄く嬉しい。いきなりだったのは謝る。でもなまえちゃんのファーストキスが俺で、凄く嬉しいんだ」
指先をきゅっと握られて思わず私も握り返す。ハッとしてそれを緩めても及川君は楽しそうに笑うだけで何も言わない。意地の悪い、それは前々から知ってはいたけど。
「なまえちゃんは嫌なことは嫌って言うし、真剣に考えてくれるし、でもたまにへっぴり腰だから、あえて言うよ」
「、」
「本当は気付いてるでしょ。今、俺のことが好きかどうか分からなくても、どっちにしろいつか俺のこと好きになるって」
こつんと額が合わさった。赤ら顔の及川君はいつもより幼げで、
「俺に流されてよ」
「っ……まるで……悪魔の囁きみたいな告白だね」
「頷いてくれるなら、なんでもいいよ」
また、ゆっくり近付く顔と感じる吐息に今日初めて、目を閉じた。
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