Novel | ナノ


  03 悔やむ心


心臓が持たない。
歌仙のあんな表情見たことがなかった。
戦場に居る時とは違う、今まで見たことのない顔。
瞳に宿った光は刀の切っ先のように鋭かったけれど、初めて見るくらい優しい瞳だった。
彼の言葉のその先を聞くのが怖くなって逃げだした。
そして、行きついた先は本丸にある蔵だった。
何も考えずに行ったものだから真っ暗で仕方がなかった。
蔵だけに。

「…お、親父ギャグが言えるくらいには冷静になった…かな…」

窓から差す月明りだけが蔵の内部を薄暗く照らす。
今は彼がいる本丸には戻れない。とても気まずい。
どうして逃げてしまったんだろう。
私は歌仙の気持ちを踏み躙ってしまった。
もう目も合わすことなんて出来ない。
本当に、本当に私は馬鹿だ。大馬鹿者だ。

「…歌仙、ごめんなさい…」

体育座りをしながら頭を埋める。
涙がボロボロ零れて、蔵の床を濡らした。
胸が苦しくて苦しくて仕方がない。
でも、もっと苦しい思いをしたのは彼なんだ。
行かないと。
気まずいとか、逃げたいとか、そんなこと関係ない。
彼の話を聞かないと。どんな話でも聞かないと。
私は歌仙が好きだから。
だから、行かないと。
たとえ自分が望んでいない言葉を聞くことになっても。
…でも、彼の言葉…あれは、そういう意味で良いのだろうか…。
ほんの少し、少しだけ自惚れても良いのだろうか…。
冷静になると色々な思いが込み上げて余計に混乱してきた。
頬をピシャリと叩いて気合いを入れ、涙を拭いて決死の思いで蔵の扉に手をかける。

「…あ、あれ…なんで…」

どんなに扉を動かしても動かない。
この扉は引き戸で開き戸ではない。
鍵は外からだし、内部からの鍵はない。
それとも建て付けが悪いのか。
自分の中で精一杯考えた。
だが開かない理由がわからない。

「…窓も格子があって出れないか…」

窓には鉄格子があり、ここから出ることは不可能だ。
唯一の脱出出来る場所だと思っていたが希望は絶たれた。
もうどうしようもない。諦めるしかないんだろうか。
いや、まだ諦めちゃ駄目だ。
せめて窓から私がいることを知らせることが出来るようなものはないか。
周りを見渡し棚に使い古しの布があった。
これを窓から垂らすことが出来れば自分がここにいるとわかってもらえるのではないか。

「…やるしかない…」

月が輝く窓を睨む。
学生生活で体育なんて平均。中の中だ。
心配で仕方がない。でもここから行くしかない。
軽くストレッチをし、蔵の中の棚に足をかけてよじ登る。
棚から棚へ、少しづつ窓へ近づく。
あと少し。あと少しで窓に届く。
小刻みに震える手を伸ばし窓に手がかかる瞬間だった。

「うわぁああぁぁッ!!!?」

見たこともないほどの大きな蜘蛛が長く太い足を自慢するように闊歩する。
虫は平気な方だが、避けようと咄嗟に身体のバランスが後ろへ下がっていった。
駄目だ、このまま後ろに下がってしまったら倒れてしまう。
必死に前へ重心を保とうとするが、それは頭の中でしか実現出来なかった。
大きな音を立て、私の身体は床に叩きつけられた。

「―――ッ…」

あまりの痛みに声も出ない。
はらはらと舞うように布は遅れて私の身体を隠した。
まるで「もう休め」と言うように。
「駄目、私は行かないと」
そう思っても身体は言うことを聞かない。
目の前が段々暗くなってゆく。

***

本丸中をくまなく探した。
だが総出で探していると言うのにどこにも見当たらない。
一体どこへ行ったんだ。

「僕のせいだ!僕が、あの時冷静になっていれば…!」
「…落ち着け」
「あぁ。わかっているさ。だけどこんな状況で落ち着けというのも無理がある」
「…本丸の連中に指示出しているあんたが、落ち着かなくてどうするんだ」
「……そうだね。悪かったよ。でも本丸中探しても見つからないなら、一体どこに居るんだ。…裏山に行ったとしか考えられないぞ」
「…」
「歌仙」
「なんだ、小夜」
「…見つけたかもしれない」
「どこだ!?」
「多分、あそこだよ…」

小夜の小さな手は蔵を指した。
なぜ彼がそう思ったのは、わからない。
例え感であろうとも、でも今はその可能性に賭けたい。

「…開かない。なぜだ」
「鍵は掛かってないはずだけど…」
「…」
「こうなったら力づくでも壊すしかない。…離れていろ」
「わかった」
「…」
「行くぞ…!」
「…!待て、かせーーー」

大倶利伽羅の制止する声に反応し咄嗟に力を緩めたが、無残にも扉は壊れた。
倒れた扉の一寸先には、使い古された布が大きく広がっていた。
よく見ると布は膨らんでいた。考えるよりも先に布を捲っていた。

「あ…主!」

ぐったりと力が抜けたように倒れた主が居た。
口元に耳を寄せ、息をしていることを確認する。
呼吸と同時に脈も確認したが、身体は夜風に当たっていたせいか少し冷たくなっている。
すぐさま外套を外し、主の身体を少しでも温めるように包んだ。

「…主を部屋に運ぶ。小夜、すまないが石切丸さんを呼んで来てくれないか」
「わかった…」
「大倶利伽羅、君は悪いがお湯と出来るだけ清潔な布を持ってきて欲しい」
「…あぁ」

互いに行くべき場所へ向かった。
主の部屋へ向かう途中、僕の息は空しく響く。
彼女があの蔵の中で、なぜ倒れていたのか理由は計り知れない。
だけど、今はそんなことどうだって良い。
主を救う方法を見つけなければ。

「…きっと何かしらの理由で頭を打っただけだろう。脳震盪を起こして気を失っているだけだから大丈夫だよ」
「だと良いんだが…」
「大丈夫。早く容態が良くなるように祈祷しておいたからね」
「…すまない、石切丸さん」
「どういたしまして。…さて、私は一度戻るよ。もし何かあったらまた呼んでくれれば伺うよ」
「ありがとう。助かるよ」

脳震盪で気を失っているとは言っていたが不安で仕方がなかった。
彼女の手を握りしめる。まるで鉄のように冷たくなってしまっている。
これも恋に現を抜かす僕の罰なのだろう。
僕は人間としての生に悦びを得てしまって、刀としての生を忘れかけてしまった。
それは本来あってはならないことだ。僕は戦う為に生まれたのだから。
わかっているさ。そんなこと百も承知だ。
だけど、この行き場のない心は何処へ往けば良いのだろうか。
行き場のない心が彷徨い続けることがこんなにも苦しいことだとは思わなかった。

「…君が僕の隣に居なくとも構わない。優しい微笑みを向けるのが僕でなくても構わない。どんなに辛くとも、悲しくとも、泣いても構わない。その時は今までしてきたように僕が君を支えよう。」

冷たい手を守るように握りしめる。
彼女からの反応はない。

「僕は君が生きる世界を守りたい。君が笑って暮らせる今を守る為に戦うと、君が僕を選んだその日からずっと思っていたんだよ。だからこんなところで眠らないでくれないか」

まるでこの空間だけが時間が止まったように重く長く感じる。
それでも、彼女が目を開けることを信じ祈るように言葉を紡ぐ。

「君にはずっと生きていて欲しいんだ。その為なら僕はこの命さえ投げ打つ覚悟は出来ているんだ。そんなたった1つの願いすら君は僕に叶えさせてくれないのかい?」

それが今僕に出来る精一杯の告白だった。
目の前は霞んで彼女の顔がよく見えない。
血液とは違う別の生暖かい雫が頬を伝う。
これほど人の為に祈りたいと思ったことはない。
僕は人の心を知ってしまったんだ。
きっと今の僕は誰よりも“人間”らしいだろう。

「……ん…。か、せん…?どうしたの…?」
「あ…あ、主!目が覚めたのかい?よ、良かった…!」
「…わたし…蔵の中で…そうだ…歌仙に、歌仙に謝ろうって思って…」
「もうそのことは良いんだ。とにかく今はゆっくり休んでくれ」
「…うん。でも…歌仙……あなた、泣いているわ…」
「断じて違う。これは違う」
「…」

彼女は何も言わずに僕の涙を冷たい指先で拭い、そのまま手は頬を包んだ。
僕も何も言わずに彼女の手を温かい手で包み込んだ。
そのまま安心したように再び深い眠りについた。

prev / bookmark / next

[ back to Contents ]


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -