Novel | ナノ


  02 乱れる心


台所から出て行き、自分の胸に手を当て鼓動の速さを感じる。
意識しないように努力しているつもりだが、どこかで意識している。
このままでは周りに悟られてしまう。そんなことはあってはならない。
やはり感情を制御出来るまでは、彼女を日常生活で支障が出ない程で関りを持たなければ良いのではないか。
好きになり過ぎてしまうと、冷静さを失ってしまうし、彼女に嫌われたくないと余計な感情まで湧いてしまう。
ふと空を見上げると雲雀が空を舞っている。

「…風流だねぇ…」

鶯もそうだが、雲雀も春を告げる鳥だった。
そういえばかつて雲雀で和歌を詠んだ方が居た。
『うらうらに 照れる春日に 雲雀上がり 心悲しも ひとりし思へば』
この和歌を思い出すと同時にその意味も思い出す。
楽しそうに囀る雲雀と1人物思いに耽る作者の対比の歌。
まるで今の僕のようではないか。
少しだけ息を吐き、着替える為に部屋へ戻った。

着替えを済ませ時計に目をやると針は11を指していた。
花を生けようと思っていたがもうこんな時間なのか。
あまりにものんびりしていたことを後悔する。

「あれ、歌仙。本丸にいたんだね」
「あ…あぁ。じゃあ僕は行くよ」
「う、うん」

まさか彼女に会うと思っていなかった。
あまりに急なもので少し驚いてしまった。
主には少し悪いかもしれないが、これで良いんだ。
最近購入した花器と僕が育てた花を手に取り生け始める。
作業をしている最中は何にも捕らわれずに花と真摯に向き合うことが出来る。

「本当にこの菫、とても綺麗ね。歌仙の髪の毛みたいで素敵」

聞こえもしないはずの声に手が止まる。
思わず花切り鋏を置いてしまった。
どうしてだ。
どうして今彼女の言葉が出てくる。
彼女を遠ざければ遠ざける程、想いが込み上げる。
花を手に取りながら物思いに耽っていた。

「……歌仙…?」
「!?」
「あ、ごめんね驚かせちゃって」
「い、いや、構わないさ…。どうかしたのかい?」
「そろそろお昼だから声かけようと思ったんだけど…」
「…そうか」
「歌仙、どこか具合が悪いの?」
「悪くないさ」
「そうなの?なら…良いんだけど…」
「あぁ…」
「…ねぇ、やっぱり何かあったの…?」
「何もないさ。…主。悪いが今は花に集中したい。外してくれないか?」
「う、うん。ごめんね…」

彼女は部屋から音も立てずに出て行った。
良いんだ。これで良いんだ。
この想いを悟られてはいけない。
僕と主の関係性を壊してしまうくらいなら、想いを押し殺したほうが良い。
想いを告げることよりも、僕は彼女の近侍でありたい。
彼女が自分の意思で僕を選んでくれたんだ。
僕もその思いに応えたい。
だから今はこの想いは抑え込まないと。
再び花切り鋏を手に取り生け花を再開した。

気が付けばもう日は暮れていて、外は薄暗くなり始めていた。
結局昼は食べることはなかった。
長い時間、花と向き合っていた割には出来た作品はいつもより粗々しかった。
せっかく新しい花器と花が台無しではないか。
こんなの風流ではない。
だが、花を捨ててしまうのはもっと風流ではない。
作った作品を床の間に飾り部屋を後にした。

「あ、いたいた。歌仙。ご飯出来ているよ」
「ありがとう」
「みんな待ってるよ。食べよう」
「…あぁ」

僕が揃ったのを見計らって主が食事の挨拶をする。
今日の晩ご飯は、鮭の塩焼きと春野菜の炒め物か。
一口一口味わって食べる。
ふと主を見ると少し暗い表情を浮かべていた。
声をかけようと思った瞬間、目が合い反射的に逸らしてしまった。
その後、彼女の方には目を向けなかった。
食事と後片付けが終わり、各々自由な時間を過ごしている時だった。

「歌仙。ちょっと良い?」
「…なんだい?」
「ちょっとここじゃあれだから場所変えようか」
「…あぁ」

抵抗する暇も与えられず、彼女に半ば強制な形で手を引っ張られる。
その手はとても温かった。
連れて来られたのは次の間だった。
着いた途端に彼女はゆっくりと手を放す。
彼女のほうに視線を向けると、瞳には揺るぎない信念が宿っているように見えた。
その瞳に思わずゾッとするほどだった。

「歌仙、今日もお疲れさま」
「…あぁ、お疲れさま」
「今から言うこと…嫌な思いさせたり、声を荒げてしまったらごめんなさい」
「…どうかしたのかい?」
「その…」

俯いたまま何か悩んでいるようだった。
あまりにも心配になり「気にしないで良いから話してくれ」と促す。
彼女は僕の行動で決心がついたのだろう。再び強い瞳を輝かせる。

「…単刀直入に言うけど…歌仙、あなた…何かあったの?」
「僕が何かってなんだい?」
「今日のあなた…避けようとしたり、目が合ったら逸らしたりして…。どうかしたの?」
「…どうもしていないさ」
「なら目を見て話そうよ。こういうことですれ違って行くのは嫌」

僕の行動は裏目に出てしまったのだろうか。
どうにかして誤解を解かないと…。
それに反して彼女の声が段々と大きくなってゆく。
冷静になっていないのがひしひしと伝わってくる。
どうにかして宥めなければ。

「僕もそんなことはご免だよ。…少し落ち着かないか」
「話をはぐらかすの?」
「はぐらかしてなんかいないさ。冷静になってもらいたいと思っただけさ」
「私は冷静だよ!」
「じゃあ、なんでそんなに声が大きくなるんだ」
「歌仙の方が私より声が大きくなってるよ」
「なっていない!」
「もう十分大きいよ!…そんなに避けたり目を合わせないのは私が嫌いだからなんでしょう!?」
「そんなことないだろう!」
「じゃあどうしてなの!?今日のあなたいつもと違うように見えて仕方がなかったの。私の勘違いで済むなら良いかなって思っていたわ。でも、急にこんなに避けられると勘違いじゃないって思ったの!」

彼女の言葉は僕に1つ1つ鋭利な刃物のように突き刺さる。
そして、彼女は僕に反論の間を与えずに続ける。

「歌仙が、私のこと嫌いになったように見えて仕方がなかった」
「君のことを嫌いになるわけないだろう?」
「どうしてそこまで言い切れるの?だってあなた別人みたいじゃない!」
「そんなことあるわけないだろう!僕はいつも通りだよ」
「じゃあ何か悩み事でもあるの?私達、最初からずっと二人三脚で頑張ってきたじゃない!それでも言えないような事があるの?」
「それは…」
「私のこと嫌いでも構わないよ。でも、花と向き合っているのに、私が声をかけるのを躊躇うくらい誰かを想うように生け花をするくらいなら、私じゃなくても誰かに相談した方が良いよ!」
「あぁ、主の言うとおり恋い慕う人を思っていれば物思いは尽きないさ!その相手が君だから余計に誰にも言えるはずないじゃないか!だから僕はこんなにも悩んでいるんだ!」
「じゃあ、そんなにーーー………えっ、あ……え…?」
「……あっ…」
「…」
「…」
「…あの…その……ねぇ、か、歌仙……?」
「…」

墓穴を掘るとこのことなんだろう。
僕の今日の努力はなんだったのだろう。
悟られてしまった以上、伝えるべきなのだろう。

「ねぇ、歌仙ってば」
「僕は、君のことが―――」
「―――っ!!!」

そのまま主は僕の話を聞かずにどこかに走り去って行った。
彼女が出て行った次の間はあまりにも広すぎる。
まるでポッカリと穴が開いたような気持ちだ。
心が、身体が、凍てついてゆくのがわかる。
この気持ちは一体なんだろうか。
こんなにも胸が苦しいのは初めてだ。
全身の力が抜けたようにしゃがみ込む。
力任せになってしまうのは僕の悪い癖だ。
冷静になるべきは僕だったのではないか。
僕は主に嫌われてしまったんだ。
もう僕は近侍としての資格はないだろう。
今まで積み上げてきた信頼は打ち砕かれてしまったんだ。
でも、彼女を追いかけなければと腰を上げると思いふと姿見が目に入った。
僕の顔は余りにも冷静さを失っていて、決して顔向けできるような表情ではなかった。
彼女を追いかける前に僕のこの熱を醒まさなければ。

***

「隣、失礼するよ、大倶利伽羅」
「…」

縁側で大倶利伽羅は涼んでいた。
彼は一度だけ目線をこちらにやるが、僕の姿を確認し何も見ていないようにすぐ逸らす。
隣にはいるが、まるで僕を空気のように扱っている。そんな気がした。
あぁ、そうだ今から話すことは独り言なんだ。

「忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで」
「…」
「僕としたことが、本当にどうしてしまったんだろうね。人の身はとても素晴らしいと思っていたさ。だけど、こんなにも今日ほど苦しいとは思ったことがないんだ」
「…」
「…僕は必死に主に対する想いを隠していたんだ。誰にも悟られまいとね。だけど露骨に態度に出し過ぎたんだ。隠したかった本人に言われてしまうなんて思っても見なかったよ。そして墓穴を掘った…」
「…」
「まったくどうしてだろうね。風流な事や和歌の感情は感じることは出来ると思っていたのに、自分が好きな人の気持ちが理解出来ていなかった。僕の悟られたくないという身勝手な気持ちを押し付けていただけさ。本当、恥ずかしい話だろう?」
「…」
「……すまないね、大倶利伽羅。君の普段の心掛けのせいか、深い所まで追求しないだろうと思って、なんでも話してしまうのは良くないね。聞きたくもない話を聞かせて悪かったよ。まぁ、僕の独り言だから気にしないでくれ。それじゃあ…」
「……あんたは、どうしたいんだ?」
「…どうしたい…か。出来ることなら、もっと主と一緒に居たいさ」
「…なら一緒にいれば良いだろう。違うのか?」
「あははっ、それは違いないさ。だけど、今の僕にはそれが出来ない。僕には彼女の隣に居る資格なんてないよ」
「…」
「…まったく、恋っていうものは本当に難しいものだね。それでも知られてしまった以上隠すことは出来ないだろうね」
「……難波潟 短かき蘆の 節の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや…」
「…っ!?…そうか…そうだった。君の前の主も和歌を嗜む方だったね。たしかにこんな結末はあまりにも悲しい。もう少し頑張ってみるよ」
「……肝心のあいつを見かけてないがどこに行ったんだ?」
「きっと自室に戻ってーーー」

きっと彼女は自室に戻ったはずだ。
だが、なぜだろう胸騒ぎがする。
早く、一刻も早く彼女の元へ行かなければ。
外套を翻し彼女がいるはずの部屋へ向かった。

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