Novel | ナノ


  10


その日の夜、彼は帰ってきた。
いつものように洗面所に直行し、そしてソファでくつろぐ。
私も隣に座り、頃合を見計らって会話を始める。

「…私、決めた…」
「なにをだ…」
「私は留学しない」
「そうか」
「ただ、あなたが行けば良い…」

彼は私の言葉に目を見開いて、首元を掴んだ。
突然のことに驚いたが、ここで負けてはいけない。

「お前、何を言っているのか理解しているのか?」
「理解している」
「…してねぇ。お前は自分が誰だかわかってるのか?」
「私は、ミカサ・アッカーマン」
「自己紹介なんか今、求めてない」
「あなたは、リヴァイ。だから、あなたが留学に行けばいい」
「…大学はどうするんだ。単位は…お前の大事な馴染みのエレンもいるんだぞ。それでお前は良いのか?」
「構わない。休学して留学するということにすればいい」
「…ついに頭までイカれたのか?」
「そんなことない」
「なぜ、そう言い切れる…」
「嬉しそうだった」
「は?」
「あなたは、料理留学の話を聞いて嬉しそうだった。…ように見えた」
「…」
「だから、行ってほしいと思った」

首元を掴まれたまま睨まれる。
瞳は熱がこもったように痛い視線。
私も負けじと睨む。
今思っていることを伝えよう。
これが、私の本心。

「それにあなたは、私に夢を追えと言った。それは、あなたにも言えること」

リヴァイ店長の書斎には、料理の本以外にも海外の本、語学の本があった。
あのウォール・シーナに関する本は年季の入ったものだった。だけど大事に保管されていた。
それに大学の図書館の利用履歴には、シーナに関する本を何度か借りていたのも知っている。
きっとまだ、この人は夢を追い続けているのだろう。
この人に、私のせいで、私の身体のせいで夢を諦めて欲しくなかった。
私を掴む手は震えていた。
そして花が萎むように、ゆっくりと離された。
彼は何も言わず冷蔵庫からビールを取り出し、部屋の照明を消し、テレビをつけた。
テレビの光だけが部屋を照らす。
ソファに座りビールを飲む彼の顔が赤、青、黄色と色を変えて照らされる。表情は一切変わらない。
私はその姿を見て、胸の奥がズキズキとした。
震える手を握りしめて、寝室に戻った。

***

真っ暗な部屋にチカチカ光るテレビは目に痛い。
ビールを飲みながらぼんやりとテレビを見ていた。
ミカサに言われなくたって、そんなの理解している。
ただ、状況が状況だ。
あいつは、自分の価値をわかっていない。
若い女が変なこと言ってんじゃねぇよ。

「それにあなたは、私に夢を追えと言った。それは、あなたにも言えること」

その言葉が頭から離れない。
舌打ちをし、飲み干した缶ビールを適当に置いた。
それと同時に携帯が鳴る。
誰かと思えば、同じ科のコニーからだった。
“夜遅くにごめんな!来週授業で使う資料作りたいと思うから、ミカサがまとめてた臨床心理のノート貸して欲しいんだけど良いか?出来るなら明日貸して欲しいんだけど、いいか?”
そんなの知るかとは思ったが、ほったらかしにするのも可哀想だと思い何も考えずに“大丈夫”と返事をした。
ただ、それが間違いだった。

「…ノートがねぇ…」

ミカサの持ってきたバックの中にはそれらしきノートはなかった。
いくら探しても見当たらない。
もしかするとあいつの自宅にノートがあるのか?
あいつの名前を呼ぼうと声を上げようと思ったが、やめた。
今、話しかけれる状態ではないだろう。そう判断した。
渋々ミカサのカバンの中から鍵を取り出し、家を出ていった。

自宅の場所はかすかにしか覚えていない。
一度日付を跨った時、自宅に送ったことがある。その時だけだ。
だが、こいつの身体が導くように勝手に動く。

「…悪い…」

カチャっと小さい音をたて、ドアの鍵があいた。
あいつは俺が入るのを相当拒んでいた。
そんなに人に見せられないほど酷いのか?
俺より時間があるのだから、片付けくらいしろとは思った。
寒い廊下を歩き進めリビングに着いた。

「…思ったより綺麗じゃねぇか…」

関心している場合ではないが、家の中は整理整頓されてあり、あいつが言うほどそれほど人に見せるのに困らない部屋だとは思った。
台所に吊るしてあるキッチン用具、壁にかけてある時計、チェストの上の小物の1つ1つが、よく言うおしゃれ雑貨だった。
こういうものが好みなのか。そう思いながら部屋を見渡した。

「…クソ寒いな…」

ヒーターの付いていない部屋は凍えるほど寒かった。
俺だったらこの程度の室温はたいしたことないが、どうやらこいつの身体は相当寒がりのようだ。
早く、コニーの言うノートを見つけ早く帰ろう。
机と棚にあるノート類をひたすら探し、これだろというものは残らず開いて見る。
そしてそれらしきノートを発見した。
満足して帰ろうとしたとき、棚でひときわ主張するものがあった。

「…誰にでもわかる…料理の基本…だ?」

そう書かれた本を手に取りぱらぱら捲る。
本当に基本の基本しか書かれてない小学生でもわかるような内容だ。
こいつもこんなの読んで料理してるのかと思うと少し笑いそうになった。
笑いを堪えて本を本棚に戻そうとすると、服が引っかかってリングノートが落ちた。
バサッっと本が開いてしまった。
ノートを拾おうと腕を伸ばし、目に入った文字に手が止まった。

「…ドリンクを作るときは素早くかつ丁寧に…」

思わず声に出してしまった。
止まった腕を再び動かしノートを拾った。
“サラダを運ぶ時は出来るだけ見栄えよく置く。だけどそれは全体的に言える。”
“掃除は一番丁寧にあのチビがうるさい。”
“ポテサラのポテト、最近少ない気がする。ケチっているのだろうか。”
“サシャのつまみ食いが止まらない。店長は気がついていないのかもしれない。”
“最近食洗機の様子がおかしい。壊れたかもしれない。修理しなければ。”
日記なのか悪口を書いたものなのかわからないノートだ。
もしかしてこれが、あいつが俺をこの部屋に行くことを拒んだ理由か?
くだらない。
ノートを閉じようとした時、ふと文字が目に入った。

“腹立つこともたくさんあるけれど、私はここで働いて良かった。幸せだ。いつか感謝の気持ちを伝えたい。”

その文字を見て震えた。
冷たくなった指先でその文字列を触る。

「……クソが…」

文字をなぞる指先が震えている。
ゆっくりとノートを閉じた。
そのまま思いふけるように天井を睨む。
いつかエレンが言っていた言葉は本当だったのか。
もし、あいつの決断が、あいつなりの感謝の気持ちなら…。
受け入れるしかない。
段々と白い天井が暗くなっていった。

***

彼が家を出ていったのには気がついていた。
コンビニでも行ったのだろうと思ったが、帰ってくるのがあまりにも遅い。
不安になって、リビングに行くと私の持ってきたカバンが漁られたように広げられていた。
何か嫌な予感はした。恐る恐るそれのある場所を探った。
あるはずのものがない。

「…どうして…」

理由はわからないが、彼が私の家に行ってしまった。
せめて一声かけてくれればと思った。
上着を羽織り、どうかあのノートだけは発見しないで欲しいと祈りつつ自宅へ走った。

部屋に着いた時、彼は床に横たわっていた。
その姿を見て不安になったが、ただ寝ているだけのようだ。
彼の横には、臨床心理のノートがあった。

「…もしかして、コニーにでも頼まれた…?」

予想ではあるがそうなのかもしれない。
まったくコニーもタイミングが悪い。
そして、彼のすぐ近くには私のバイトに関することを書いてあるノートが落ちていた。
見られてしまったことがひどく恥ずかしくなった。
どうせなら入れ替わったあの日にでも捨てておけば良かったのに。
後悔しても遅い。
閉じられたノートを何事も無かったように元の場所に戻した。

「…店長、起きてください…」
「…」
「リヴァイさん」

いくら呼んでも返事がない。
本格的に寝てしまったようだ。
仕方なくそのまま担いでベッドに運ぶ。
まるで今日の私のようだ。
お互い様とは、このことだと思った。
私は帰るべきなのか、それともここに居るべきなのか。
迷ったが、今の私がいるべきではない。
私はマンションを後にした。

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