Novel | ナノ


  09


入れ替わってから二度目の週末が来た。
彼は朝早くから営業しないお店の掃除をすると言って張り切っていた。
それに私も案の定付き合わされる。

「…テーブル、終わりました」
「次は床だ…」

人使いが荒いとは思ったが、こんなこと気にしていられない。
床拭き用のモップを持ってきて念入りに拭く。
もし掃除で床に傷1つでもつけてしまったらうるさいことになる。

「…ミカサ…」
「なんですか。まだ床は終わってません…」
「違う」
「…じゃあ何ですか…」

床を拭く手を止めて、口元を覆っていた掃除用のスカーフを外す。
目の前に立った私は顔に影を作り深刻そうな表情をしていた。
何事かと思ったとき、話し始めていた。

「俺は、お前の家に住むことしにた」
「そっ、それは駄目…しかも勝手に決めないでください」
「…実はな。昨日エレンに言われた。ミカサが家に帰ってないことを隣人が心配していると」
「え…」
「まぁ、エレンも心配はしていた」
「どうして、それを昨日教えてくれなかったんですか」
「…考えていた。それ以外に方法がないか。だが思い浮かばなかった」
「思い浮かんで下さい」
「無茶言うな」
「そんなことありません。リヴァイ店長ならなんとかなります」
「…お前、家になんか見せられないものでも隠してんのか?」
「そんなわけない…」
「嘘つけ」
「…嘘なんかじゃーーー」

ガチャっと大きな音がホールに響いた。
なんの音だと思えば、店のドアだ。
ドアノブをガチャガチャと回す音に会話が途切れた。
店長は鍵を外しドアを開けた。

「…臨時休業って文字が見えなーーー」

彼が一瞬固まった。
明らかに様子が変だ。
一体ドアの向こうに誰が居るのだろうか。
この様子からするとハンジさんなのだろうか。
ドアに近づいた。

「…なにしてるんですか…?」
「…」
「やぁ、リヴァイ」

真っ黒なトレンチコートを着た長身の金髪碧眼男性は、私を見て笑った。
初めて見る人だ。だが、この様子だと店長の知り合いなのだろう。
ふと横目で私の姿をした店長を見た。
表情はコンクリートで固めたように固まっていた。
一体この人は誰なのだろう。

***

客席にはコーヒーカップが3つ、店長が用意した。
どうやらこの会話を聞きたいらしい。
目の前の彼は余裕たっぷりにコーヒーを飲んでいる。

「…なぜ来た…んですか…エルヴィン……さん…」

「ほう」と少しの驚きを交えた顔でコーヒーカップを置いた。
そして、斜め向かいにいる私の身体をした店長に微笑むように会話が始まった。

「こんな綺麗なお嬢さんが私の名前を知っているだなんて嬉しいよ」
「…」
「…今日はどうしたんだ…エルヴィン…」

店長は彼を睨む。
どうやらエルヴィンという男性とは仲が悪いのだろうか。
状況が全く掴めない。

「単刀直入に話させてもらうよ」
「…」
「あぁ…」
「どうだ、留学しないか?」
「え…」
「…」
「すまない、主語が無かったね。シーナに料理留学しに行かないか?」
「…」
「…」

彼はにっこりと笑った。
料理留学とは一体どういうことなのだろうか。
思わず横に座っている彼の様子気がつかれないよう確認した。
横顔しか確認は出来なかった。
けれど瞳孔を開き、初めて見せる表情をしている。
喉が鳴った。

「ほら、中学の頃言っていただろう?いつかは、2000年程昔に栄えていたとされている城塞都市の王都ウォール・シーナで料理留学したいと」
「…それは…」
「貴族みたいな輩は好ましくはないが、そこの料理は世界中の料理人が憧れる聖地と言っても過言でない場所。そこで料理を学びたいと言っていたはずだ。忘れてしまったのか?」
「…あ…あぁ…」
「それが今、出来る。悪くない話だと思うんだが」
「…悪くない…」
「じゃあ、パスポートを用意してくれ。来週にはここを発つ」
「!?」
「…」
「なにか問題でもあったのか?」
「…それは…」

机の下で、ズボンに皺が出来るほど握る。
表情には出ていないだろうけど、内心焦っている。
私の独断で言っていい答えでない。
それに、さっきの表情を見てしまったら余計に答えれない。

「…エルヴィン…まだ、時間があるはずだ…待ってて欲しい…」
「…そうか、わかった。答えが決まったらすぐに教えてくれ」
「あぁ…」

そう言って名刺を置いて「良い返事を待っている」と付け加えて彼は出て行った。
彼が出て行った途端力が抜けたように机に突っ伏した。
胸の奥が痛い。ジリジリと焦げてズキズキする。
どうしたら、どの答えが正しかったのだろうか。
わからない。

「…おい、ミカサ…」
「…店長…私…」
「…」
「私…」
「てっきり即答すると思っていた」
「…そんなこと、出来るわけ…な…」
「…ミカサ?おい、ミカーーー」

私の声が遠のいていく。
目の前が真っ暗だ。
疲れた。
今は、休みたい。

***

死んだように眠った俺を抱えてベッドまで運んだ。
おんぶしながら部屋を行く姿は、他の人間が見たら滑稽なものだろう。
いい年した男が若い女に運ばれる姿など、恥ずかしい。

「…よっと…」

そのまま毛布をかけて部屋を後にする。
あいつが、ミカサがここまで怖気付いたのは初めてみた。
きっと顔に出ていないと思っていたんだろうが、見るからにバレバレだ。
ただエルヴィンは察していなかったのがせめてもの救いだ。
いや、感の良いあいつなら気がついているかもしれない。
こんなことになるなら、エルヴィンの存在も伝えるべきだった。
舌打ちがリビングに響く。
行き場のない苛立ちを壁にぶつけようと構え、殴ろうとした時、その小さな色白の手を見て止まった。
舌打ちが虚しく室内に響き、くたりと腕から力が抜ける。
この身体では壁は殴れない。
上着をこれでもかというほど着込んで、大学の図書館へ向かった。
今の俺には、そこに行くことしか思い浮かばなかった。

***

私が目を覚ましたとき、彼はどこにも居なかった。
気がつけばもう3時を過ぎていた。
そして情けないことに気を失っていたようだった。
エルヴィンという男性は夢だろうと思ったが、リビングの机に無造作に置いてあった名刺を見て夢でないと思い知る。
胸が再び苦しくなる。
それを紛らわすように彼のスマホの着信音が響く。
抵抗はあったが“ハンジ”という文字を見て取ることにした。

『もしも〜し!』
「…なんだ…」
『今からお店行くから開けておいて』
「…臨時休業だ…」
『ん?そんなの知ってるよ。じゃあ、行くから待っててね』

唐突に始まって唐突に終わる。
この人は嵐のような人だ。
そう思った矢先、下の階からドンドンと音がする。
いくらなんでも来るのが早い。

「やぁ!」
「…早い…」
「まぁね」

子供のように笑うハンジさんは、遠慮なく店内に入る。
雪で濡れた靴が床を濡らす。
これは掃除しなくては怒られる。
きっとこの人も彼の性格を理解はしているのだろうから、察して欲しかった。
けれどもう遅い。
正面を向くように座った。

「…ねぇ、なにかあった?」
「は?」
「って言ってもね、エルヴィンから聞いていたから全部知ってるよ」
「…そう…か…」

先ほどまでにこやかにしていた人とは思えないくらい真面目な表情をしている。
目を逸らそうとするが、出来ない。

「…料理留学…。中学の頃から憧れてたんでしょう?」
「…まぁな…」
「話は変わるけどさ、リヴァイが高校行かないって言った時は驚いたよ」
「!?」
「…みんな必死で止めたのにさ、お金無いから行かないって。でも、料理人になるための調理学校に行くには、高校卒業してなければ駄目って話をしたらリヴァイは、調理師になるには2年以上の実務経験があれば試験を受ける資格があるって」
「…」
「もうそこまで言われたら誰にも止められないと思ったよ」

リヴァイ店長が高校に行かず、中学卒業後から働いていたことに驚いた。
ただひたすら目標に猪突猛進していたんだ。
目の前にいるハンジさんは、微笑んで続けた。

「それとさ、リヴァイはウォール・シーナの料理を一度でも良いから学びたいって。だから調理師免許取ったら行くと思ったのに、お店開いてるから笑っちゃった。…わざわざ、お店開く免許も取りに行ったんだろうなとかも思ったよ」
「…」
「エルヴィンもそれを聞いて今回の話を持ってきたのかもしれないよ。まぁ、エルヴィンは世界各地転々とするエリートばサラリーマンだし…」
「…」
「たまたま次行くとこがシーナってだけだっただろうしね…」
「…だろうな…」
「留学すること悩んでいるんでしょう?」
「…それは…」
「そりゃ、私には決定権なんてないよ。でも、相談には乗れる」
「…」
「ね?」

張り詰めていた表情が、次の瞬間緩んでいた。
頬杖をついてこちらに目を向けた。
その目は今まで見た、ハンジさんの目で一番優しい目だった。

「悩んだら止まればいい。止まって、違う視点で見れば良い。そして出した決断が納得の行くものなら大成功だ」
「…」
「大丈夫。きっとその決断を彼なら受け入れてくれる」

微笑んで、言いたいことを全て言ったのだろう、帰る準備をし始めた。
本当に、本当にこの人は嵐のような人だ。
でも、この人が来なかったら悩んだままだったかもしれない。

「それじゃあ帰るよ。またね」
「…すまなかった…」
「なんのこと?」

とぼけるように言葉を返された。
そして嵐は過ぎ去った。
でもハンジさんのお陰で私は決断をすることが出来た。

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