09
どうして俺が椅子に座り、普通に話が出来たのか。
俺はその時、生きている感覚で当たり前のように座っていた。
壁を殴ったあの時、俺は、自分が死んでいると思って殴った。
ただそれだけの違いだったのだろう。
そして、ミカサに「…いつかあなたは消えるんですか…?」と聞かれた日。
俺は改めて自分の存在意義を疑った。
自分は死者だということ。
死者がこのままこの世界に居て良いものなのか。
実際あの日以降、ミカサは俺が見えなくなっていた。
でも、これで良いと思った。
このまま行けるかもわからない天国、いや地獄にでも行ければ良いと思った矢先だった。
ミカサが奴らに襲われた。
なぜ抵抗しない。そのままでは…。
体中に電気が走ったように目が覚める。
俺は、何をしている。
こいつらはミカサを地下に売り飛ばして胸糞悪いことしようとしているクズ共だ。
この手で、もう一度躾てやる。
伸ばした腕が震える。
俺の手であいつを救えるのか。
どう足掻いても結局、死んだ人間は駄目なのか。
拳を強く握る。
ガサッっと物音が近くでした。
エレンだった。茫然と立っていた。
狂気に狂った目をしている。
見ているだけか、遅い。グズ野郎。
「なにグズグズしてるんだ」と舌打ち混じりに握った拳でエレンを殴った。
気が付くと俺はエレンになっていた。
いや、正確に言うとエレンの体を借りていた。
わけがわからん。
今までの自分の体の感覚ではなかった。
そして、奴らのところへ乗り込む。
あの日出来なかったことを今なら出来る。
「…触んじゃねぇよ、この野郎…」
***
「…もう部屋に戻れ。お前は嫌なものを見すぎた…」
「嫌なものは、昔から見ています」
声はさっきよりも強く張りのある声だった。
エレンを抱きしめる手の震えは止まっていた。
だいぶ落ち着いたのだろう。
「…え…兵長…体が…」
体が透けていた。
空気と一体化していくのがわかった。
あるはずの体が消えていくのに違和感があった。
「理由、見つけられませんでしたね」
「…そうだな…」
理由は見つけた。が、お前に言うほどのものでない。
言うほどのものではないのだ。
手を空に仰ぐ。
星を掴むように伸ばした腕が消えていく。
俺がこの世界に残る理由が、ひとまず落ち着いた。
だから、戻れ。そういうことだろう。
「…兵長…行ってしまうんですね…」
「あぁ」
「そうですか」
少し笑ったように見えた。
俺が居なくなることで少しはこいつの負荷も消えるだろう。
「兵長」小さい声で消えかけの袖を引っ張る。
何が起きている。
驚いた顔をしていた。
私も驚いたけれど、夢ではない。
だって、あの時も私は兵長の袖を引っ張っていたから。
「…兵長、その…」
言葉が詰まる。
引き止めておいて言葉がでない。
「…俺に構うな。俺は死んだ。この世に存在するはずのないものだ…」
「でも、その存在を消したのは私なんです…!」
「…それは俺の油断から生まれた事実で、お前のせいでない…」
兵長は淡々としゃべる。
まるで他人事のようだった。
この人は自分を大事に出来ないのか。
「どう足掻いたって、どう祈ったって死んだ者は生き返らない…」
「…はい…」
「だから生きているお前に託す。俺が死んだことでお前が人類最強になるはずだ。そんな言葉気にするな。背負うんじゃねぇ。口にするだけで反吐が出る言葉だからな…」
人類最強から人類最強への言葉。
重みがあるようで、ない。
少しづつ消えていく。
なにも出来ない。
エレンを左手で抱え、右手でただ、消えていく袖を握る。
「…巨人を絶滅させるまで生きろ。それからはエレン達と幸せに暮らすんだな…」
「…はい…」
「これは約束だからな。もし破ってこちらに来ることがあるのなら、俺が全力でその腐った根性叩き直して、もう一度戦ってもらうからな…」
「はい」
「…それだけだ。あとは、任せたぞ、ミカサ」
兵長が少し笑った気がした。
私は最初で最後に彼の笑顔見た。
「兵長!お参りは暇な時に行きますので、安心してください!」
「…そんな大きい声で余計な一言を言うな…」
「そうですよね」とぼそっと呟いた。
兵長の体はもうほとんど無い。
もう消えるんだ。そう実感した。
「…兵長、あの…」
「あ?」
空気のように消えていく兵長に聞こえるかわからない。
もう、耳なんて聞こえてないかもしれない。
でも私は、伝えていないことがあった。
ここで伝えないと、もう、伝える機会なんてない。
「短い時間だったけれど、私…!」
「…」
「リヴァイ兵長!あなたに弟子入り出来てよかった!」
「…俺はミカサ、お前を弟子に迎え入れた覚えはない…」
もうほぼ兵長はいない。
私は兵長の言葉など気にせず続ける。
一方的に話す私は、結局最後の最後まで子供だ。
「…さっき、助けてくれて、ありがとうございます…」
風が吹く。
葉っぱが巻き上がる。
「…あぁ…」と聞こえた気がしたが、握った右手には何もなかった。
ただ、空気を掴んでいた。
目の前には、もう、リヴァイ兵長の姿はなかった。
目を覚ますとミカサの膝の上だった。
なんで、ミカサがここに…?
最近、夜に出歩くようになって、様子を見に何度か行って…。
この前なんかそのまま寝ていて仕方ないからベッドまで運んだな…。
…そういえば、ミカサが男に言い寄られて、そこから…。
「…ミカサ、怪我はないか…!?」
「…エレン…。私は、大丈夫。エレンは?」
「俺はなんともない。奴らは?」
「そこに紐で縛っておいた。あとで団長に報告する」
「そうか」
何か冷たいものが頬に当たった。
「…ミカサ?どうしたんだよ、お前…」
ミカサの顔からボロボロと涙がこぼれる。
あんまり泣くやつじゃないから、驚いた。
そんなに、怖かったのか…。
「もう大丈夫だから、安心しろって。な?」
「…うん。エレン、頑張ろう…」
「なにがだよ」
「…いつか、巨人を、絶滅して、みん、なで、みんなで…」
ミカサの声が詰まっていた。
だが、それでも続ける。
「幸せに、暮らそう」
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