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  卯の花腐し


それは、盆をひっくり返したような雨だった。
本丸から畑に向かい、農具を取りに小屋から出ようとした途端にこれだ。

「ど、どうしてだ…!」
「知らないな」
「僕も知らないさ!」
「…」
「さっきまで晴天で鳥が歌うように鳴いていた景色は僕の見間違いだったのか?よりによって、なぜ畑当番を開始しようとした瞬間にこうも土砂降りなんだ!」
「……あんた、正真正銘の雨男じゃないのか?」
「雨男は貴殿の方じゃ無いのか?龍は雨を司ると聞く。君のその腕の龍が―――」
「悪いが、俺が内番の時は雨が降ったことはない」
「そ、そうか…」

大倶利伽羅に何も言い返す事が出来なかった。
思い返せば事の発端は昨夜の事だった。

この本丸は、夜になると明日の内番当番が本丸内の掲示板に張り出される。
それを確認して各々明日の自分の予定を決めている。
明日の畑当番の担当者には僕の名前が記されていた。
「あっ…」
だが時に僕はこの瞬間、ドッと疲れるような感覚に陥った。
僕の隣に書かれた「大倶利伽羅」という文字に少し気持ちが引き攣る。
彼と仲違いし和解したのは数日前の話だ。
いくら和解したとはいえ、まだ気まずいと言う気持ちは何処か少しだけ残っていた。
どうやら彼は湯浴みを終えて明日が内番当番か確認しに来ていた。

「……あんたとか…」
「そうさ。よろしく頼むよ」
「…」
「…な、なんだい?」
「……あんた、内番の時は雨が多いと聞く…」
「ぼ、僕は雨乞いするような力は持ち合わせていないよ。そういうことなら御手杵に言ってくれないか?」
「…」
「それに、明日の降水確率は0%だ。絶対に降ることはない!」
「そうか」
「それでは、僕は部屋に戻るよ。おやすみ」
「…あぁ」

相変わらず無愛想で表情一つ変えもしない。
だが、僕も彼の態度に苛立つほど子供ではない。
ぶっきらぼうなだけで悪い男ではないとわかったのだし。
それに明日は晴れるさ。
降水確率が無いと等しいのに雨が降る方がおかしい。
色々な想いを抱えながら明日に備えて早めに床についた。
だが、現実は非情なものだった。

「…走るぞ」
「嫌だよ。雨は好きさ。でも、こんなに降られてしまっては風情の欠片もない。それに着物が濡れてしまう」
「…そんなもの乾かせば良いだろう?」
「そ、そういう問題ではないだろう」
「……俺は行くからな…」
「なっ!ちょっと待ってくれないか!」
「なんだ?」
「もう少し雨が落ち着くまで待ったらどうだ?風邪を引いてしまうだろう?風邪を引いて主に怒られるのは御免さ」
「…」
「…」
「…わかった」

大きなため息を吐きながら、小屋の出入り口の近くにあった木箱に座った。
腕を組みながら、開けっ放しの扉から雨を眺めていた。
僕はあまり良い気分ではなかったが、農具を仕舞っている箱の上に座る。
小屋の中は雨の湿気のせいかジメジメとしていて、雨のにおいが広がっている。
聞こえるのは、止む気配が感じられない雨。
濡れるのが嫌だったとはいえ、大倶利伽羅を引き留めたのは迂闊だったかもしれない。
気まずい。
とても気まずい。
せめて、なにか話をしなければ。
必死に何を話すか考えていたがこういう時に限って浮かばない。
ひとり悟られないよう悩んでいた時に、口を開いたのは大倶利伽羅からだった。

「…雨は好きだと言ったが、何故好きなんだ?」
「な、なぜって…」
「理由も無いのに好きなのか?」
「そういう訳ではないよ。……そうだね…。雨という言葉には風情や感情を感じるものが多いからなのかもしれない」
「…たとえば?」
「春雨、白雨、遣らずの雨…。あと、雨という言葉は入っていないけれど、卯の花腐しという言葉も風情があって好きな言葉だね」
「…卯の花腐し?」
「字の通りの意味さ。卯の花が咲く季節に花を腐らせてしまうほど降り続く雨のことだよ」
「そうなのか」
「この花だけど、卯月の由来となったとも言われているよ。でも、由来は諸説あるからこれが本当の理由かわからないけれどね。この花自体咲くのは初夏だしね…」
「…卯の花と言ったら、食べる方しか思いつかないな」
「おからのことかい?」
「あぁ」
「…貴殿らしいな」
「…」
「あ、その…。厭味で言った意味では無い」
「…そうか」
「卯の花は、豆乳を絞った後の残りだけどとても身体に良いんだ。記憶力が良くなるとも聞いたことがあるよ」
「…」
「それに卯の花はウツギという花の別名で花言葉は確か、えーっと、思い出せないなーーーおや?話し込んでいたら雨が止んだようだね。作物には水やりがいらなくなってしまったし、一旦本丸に戻ろうか」
「あぁ。……あんた、本当になんでも知っているんだな」
「……ふっ」
「…」
「…そうだ、この際…。……いや、なんでもない。今のは気にしないで構わないよ」
「戌の刻」
「え?」
「…」
「……全く。相変わらず貴殿は言葉が少ないし素直ではないな」
「…」
「まぁ、その。なんだ。それはお互い様かもしれないね……せっかくだから、酒の肴は卯の花にしようか」
「…悪くない」
「じゃあ、決まりだ」

張り詰めた心の緊張が解けてきっと僕は情けないような表情で笑っていたのだろう。
気のせいかもしれないが、それを見た大倶利伽羅は少しだけ笑っているように見えた。
雨は上がり、太陽が見え始め、日差しは穏やかに畑に降り注ぐ。
僕達は仄暗く湿っぽい小屋を後にした。

***

日は暮れ、晩酌には丁度良い頃合いになっていた。
場所は以前に歌仙兼定と呑んだ所になった。
酒瓶を持ちながらその場所に向かおうとした時、貞が大きな図鑑を眺めながら難しそうな顔をしていた。

「貞、そこで何をしている」
「ん?あぁ、伽羅かー。ちょっとなー」
「何か企んでいるのか?」
「ちょ、俺なんも企んでないから!」
「じゃあ、何をしているんだ?」
「図鑑見てるだけ。この前テレビ見てた時に、変な形した花が出てたんだけどさー。タイミング良く風呂の時間になって花の名前聞く前に風呂に行っちまったんだよなぁ」
「それで、見つかったのか?」
「まーなー。ウツボカズラって花だった」
「そうか。良かったな」
「食虫植物なんだってさー。それに花言葉も凄いんだぜ?絡みつく視線、甘い罠だってよー」
「そうか。それは凄いな…?」
「どうかした?」
「…ウツギも載っているんだな」
「ウツギ?あぁ、隣の花か。知ってんの?」
「…まぁな」
「意外だなー。こんな白くて可愛い花なんだな。花言葉は古風、風情ねぇ」
「もう調べ物は終わっただろう?図鑑はちゃんと戻しておけ」
「わーってるって。あっ」
「なんだ?」
「飲み過ぎてまた喧嘩するなよー」
「……ふん…」

貞は誇ったように笑っていたが、俺は鼻で笑いその場を後にした。
呑むと約束した場所にはすでに歌仙兼定が待っていた。
「やぁ」と挨拶する歌仙兼定に小さく頷き返す。
そして晩酌が始まる。互いに淡々と酒を呑む。
小鉢には律儀に卯の花が盛り付けられている。
卯の花に手をつけた時ふと思い出した。
ウツギの花言葉。
確か、歌仙兼定は思い出せなくて困っていたな。

「ウツギの花言葉なんだが―――」

俺の言葉に驚いた表情をしていたが、満足そうに笑っていた。
歌仙兼定は酒が入ると笑い上戸なのかいつにも増して笑っている。
その様子を見ながら思わず口元が緩み始めているのに気付く。
俺も酔いが回ったか。
「さぁ」と注がれた酒を一気に飲み干す。
酒瓶の中にはまだ並々と酒が入っている。
だが、この酒瓶を空にする頃には、どちらかが潰れているだろう。
たまには、そんな日も悪くない。

正反対に見えるが表裏一体の2人の呑み会は夜が明けるまで続いた。

June 22, 2017
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