Novel | ナノ


  04 在りし日の君へ


「帰りますね…。本当にお世話になりました」
「いいえ、こちらこそ。あ、今、靴やお預かりしていた着物をお持ちしますから待っていてください」
「申し訳ないです、ありがとうございます」

そう言って彼は靴やマント、防具を取りに行った。
ふと、少女の方に視線を向けた。
今にも泣きそうなくらい真珠のような涙を溜ながら少女はこちらを向いていた。
きっと何を言っても泣いてしまうんだろうな。
悲鳴を上げる身体に鞭を打ち、彼女の目線に合わせるように跪き、ゆっくりと涙を優しくガラス細工を扱うように拭いた。

「泣かないで」
「…泣いてないよ。泣いてないもん…。泣いてな…ん……うっ、うっ……」
「…」

そっと優しく少女の頭を撫でる。
少女の涙は洪水のように止まらなかった。
その様子にぼくは微笑みながら、頭を撫で続けていると少女は両腕を開いてぼくに抱きついて来た。
咄嗟のことでどうしたら良いのかわからなかったけれど、跪いたままゆっくりと彼女を抱きしめ返す。
少女は嗚咽を漏らしながら泣き続ける。でも、泣いていては何も始まらない。
抱きしめていた少女を一度引き離し、お互いの表情が見えるように彼女の両肩を優しく掴む。

「…ぼく、君の泣き顔はこれ以上見たくないな」
「……うん…わかった。わかった…」
「ふふっ。いい子だね」
「…ねぇ、お兄ちゃん」
「どうしたんだい?」
「会える?また、会える?」
「……それは…」
「もう会えないの?」
「…い、いいや!きっといつか会えるよ。きっと」
「本当!?」
「……ずっと、先のことになるかもしれないけど、それまで待てる?」
「うん!お兄ちゃんにまた会えるなら待てる!」
「わかったよ。そろそろぼく帰るね」
「…うん!気をつけてね!」
「ありがとう。行ってきます」
「いってらっしゃい!……あ!待ってお兄ちゃん!」
「なんだい?」
「ちょっとこのままで居てくれる?」
「いいよ。どうしたんだ―――」

ちゅっ

頬に温かいものが当たった。
一瞬理解が出来なかった。だが、少女は顔を真っ赤にしながらぼくを見つめていた。
思わず頬に触れる。これって…。
何事もなかったように無邪気に笑いながら、ちょうど帰って来た祖父の脚に隠れるようにぼくの元を離れた。
彼は衝撃的な場面を目の当たりにし持ってきた靴や防具を地面に落としてしまったが、ふと我に返り直ぐさま拾い上げ、ぼくに渡す。
直ぐさま受け取った靴やマントや防具を身につけるが、少女以外が固まり冷たくなった空気に耐えられなかった。
初めて見るくらい少女の祖父の眼差しが痛く鋭く刺さる。
これは、早く帰らないと。
兄弟に視線を向けて合図をする。ニッコリ笑うその表情がさらに刺さる。

「…か、帰ります。本当にありがとうございました。色々と大変お世話になりました」
「いいえ。こちらこそ色々申し訳ありませんでした。」
「そんな謝らないでください。ぼくの方がご迷惑をお掛けしたのに」
「本当にありがとうございます。どうかお気をつけて」
「はい。それでは、ありがとうございました」
「また、いつか。その時は孫のこと頼みますよ」
「はい」

彼が差し出してきた大樹のような手を握り返す。
静かに笑いながら握った手は別れを惜しむように離された。
そして踵を返す。
さぁ帰ろう。ぼくが帰るべき場所へ。
一歩、また一歩と踏み出して家の敷地から出て行く。
あと一歩。
この一歩で門から出る。そうなればぼくは何事もなかったように帰れるはずだ。
すると最後に少女が「約束、絶対だよ!」と大きな声で祈るように叫んでいた。
少し躊躇ったが少女に応えるように振り返り「またね」と言って、門をくぐった。

***

「行っちゃったね、お兄ちゃん」
「そうだね。行った先で手当てしてもらえれば良いんだが…」
「大丈夫だよ。お兄ちゃんのご主人様は優しいから」
「そうなのかい?」
「だってお兄ちゃん、すごい優しい顔でご主人様の話していたもん。そーしそーあいってやつだよ!いーいーなー、羨ましいなぁ…」
「彼に口づけしておいて何を言うんだ…。そうか、それなら大丈夫か。きっと」
「あ、そういえば結局お兄ちゃんの名前、聞きそびれちゃった」
「また会えるさ。その時に聞いたらどうだ?」
「そうだよね!約束したんだもん、必ずまた会えるよね!」
「約束?」
「えへへっ。秘密」
「全く彼を困らせるような事はするんじゃない」
「はーい」
「…さて、もう寝なさい。悪い子はお兄ちゃんに再会出来ません」
「わかったよ。おやすみなさい」
「おやすみ。ってあぁ待ちなさい裸足でそのまま上がると家中汚れてしまう」

そう言っておじいちゃんは、慌てるように家に入ってタオルを取りに行った。
待っている時になにもすることが無かったから、空を見上げた。
星はお兄ちゃんの瞳や髪の毛みたいにキラキラ光っている。
「また、会えるかなぁ…」
私はお兄ちゃんのご主人様になれない。
けれど、同じ空の下でお兄ちゃんは暮らしている。
きっとまた会える。必ず会える。
その時までに、きっとお兄ちゃんのご主人様みたいに優しくて強い人になりたいな。
気が付くと私を呼ぶ声が家から聞こえた。
返事をして声の方に走って行く。

激戦地が嘘のように静まり返り動き出す日常。
年月を重ねるごとに静かに忘れ去られる記憶。
星空だけは淡々と少女の決意を見守っていた。

***

「ねぇ、兄弟」
「はい、何ですかー?」
「あの少女の事、知っているのかい?」
「えっ?何故ですか?」
「君がああいう反応するの初めて見たからね。もしかして知っているのかなって」
「…いいえ。知らないですよ。たぶん、他人の空似だと思います!」
「そっか」
「あ!そろそろ本丸ですよ!」
「本当かい!?急がないと!」
「そ、そんなに急がなくても!…って聞こえてないですね。置いていかないでくださーい!」

あと少し。あと少しで帰りたくて堪らなかった本丸に帰れるんだ。
身体はボロボロで今すぐにでも倒れてしまいそうなのに、本丸と聞いただけで羽根のように身体が軽くなった。
そう思うと自然と走っていた。

「はぁ、はぁッ…。き、亀甲貞宗、只今戻ったよ!」
「あ、あぁ…。良かった…本当に良かった…」
「ごめんね。帰るのが遅くなってしまったよ」
「大丈夫よ。帰って来てくれればそれで。それより、髪の毛からズボンまで真っ白な服が血で大変な事になってるじゃない…」
「ふふっ。ちょっと全身濡れて冷たいけど、ご主人様の冷たい眼差しには敵わないよ」
「…通常運転で何よりよ。それにしても、酷い怪我…。痛い…。痛かったよね…」
「ふふっ…。これくらい怪我のうちに入らないさ」
「…亀甲、ごめんなさい。物吉も、みんなありがとう。今日はゆっくり休んで」
「了解しましたー!」

久しぶりに再会したご主人様は満面の笑みだった。
でも、表情は笑っているけれど瞳の奥は少しだけ疲れた表情をしているように見えた。
本人は平静を装っているけど、無理に笑っている。
それだけぼくはご主人様に辛い思いをさせてしまったんだ。

「おぉ、亀甲戻ったか」
「あ、三日月さん。ただいま」
「…その面構え、何かあちらで得るものがあったのか?」
「え?うーん。子供のあやしかた、かな」
「ほう」
「貴重な体験が出来たよ。でも、もうあんな形で本丸を離れるのは懲り懲りかな」
「その窶れた顔見れば十分わかる。だからこそ、無事に帰ることが出来て良かったなと思っているのだろう?」
「…うん。本当に良かった。こうやってまた本丸のみんなにも。ご主人様にも会えたから」
「よきかなよきかな。そうだ。平野と一緒に茶菓子を用意したから、各々手が空いたら厨に置いてあるから召し上がれ」
「ありがとう、三日月さん」
「亀甲、今すぐ手入れをするわ。手入れ部屋に来てもらえる?」
「あぁ了解したよ」

ぼくの了解にご主人様は緩やかに笑った。
そして、ぼくは手入れをして身体中の傷は消え、次に傷を受ける準備は終了した。
そうして、この不思議な一件は終了したかに思えた。
だが、これは始まりに過ぎなかったのかもしれない。
手入れを終え、そのまま今回の件を報告しにご主人様の部屋に訪れた。

「あれ、亀甲どうしたの?今日はもう休んで良いのに…」
「うん。それでも、少しだけでも今回の事を報告しようと思って…」
「貴方って、変な所律儀よねぇ…。でも今日はもう寝なさい」
「ふふふっ。4日以上放置プレイされていたって言うのに…。もしかして、放置プレイは延長かい?」
「亀甲。寝なさい」
「…そんな蔑んだ目で見られると、ゾクゾクして堪らないよ…。……でも、今日はご主人様のお言葉に甘えるよ」
「そうしてもらえると助かるわ」
「それじゃあ、おやすみなさ―――。……え…?」
「ん?どうかしたの?」
「…ご主人様、この写真は……」
「あぁ、これ?私の小さい頃の写真だよ。4歳の時かな」
「そ、そうなんだね…」
「…母は妹を妊娠してから度々入院していたの。父も仕事柄家に戻る日が少なかった。だから、一時期おじいさんの家に住んでいたの。この写真はおじいさんの家に居た最後の日に撮ったものね」
「へ、へぇ…」
「でも、おじいさんには悪いけれどこの頃の事は全く覚えてないんだけどね…」

写真を見て思わず息を呑んだ。
写真の中で無垢に笑う少女は、数時間前まで一緒に居た少女だった。
頭の中で整理が付かない。
少女のくちびるが触れた頬に再び熱が込みあがって来る。
咄嗟に頬に触れる。
今、目の前にいるご主人様が、あの少女…?

「どうかした?具合悪いの?」
「い、いや…。ご、ご主人様にもこんな可愛い頃があったんだと思って…」
「ちょっと今さらっと酷いこと言ったよね?」
「ご、ごめんね。ちょっと驚いてしまって。そ、それでお祖父さんは今も元気なのかい?」
「えぇ。今も元気で暮らしているわ」
「そうなんだ。良かった…」
「……」
「そ、そんなにじろじろ見られると興奮してしまうよ」
「亀甲、ストップ」
「あ、いや!でっ、でも!ご主人様は今も十分可愛いよ」
「はいはい。世辞でも嬉しいわ。ありがとう。もう貴方もお休みなさい」
「うん、わかったよ」

ご主人様は瞳に真珠のような涙を溜めながら笑っていた。
その姿を見て不思議な感情がこみ上げて来る。
思わずご主人様の頭を撫でていた。
「ご主人様、ありがとう。お疲れさま。ただいま」
ご主人様の顔がみるみる茹蛸のように真っ赤になってゆく。
その様子を見ていると何故かぼくも赤くなってゆく気がした。

「ほんっと…。そういうところ卑怯だよね…」
「ご主人様」
「なに?」
「今だったら、なんでも言うこと聞くよ」
「…今じゃなくても言うこと聞くくせに」
「そうだね」
「……ねぇ、抱きしめてもいい?」
「…いいよ」
「……ありがとう…。…か、顔に当たって痛い…」
「ふふっ。大丈夫かい?」
「この確信犯め…!」
「ふふふっ」
「……おかえり、おかえりなさい、亀甲…」
「ただいま、ご主人様」

ご主人様は陽だまりのように暖かい。
その陽だまりを優しく撫でる。撫でれば撫でるほどご主人様の我慢が効かなくなっていた。
ぼくの胸の中で聞こえるぐずぐず泣く声は、聞き覚えがある、在りし日の声だった。
「ありがとう」
そう何度も言っても言っても言い足らない。
陽だまりをギュッと抱きしめ、ぼくが帰って来たことを改めて噛みしめた。
ふと、ある言葉を思い出した。

「……ねぇ、ご主人様」
「なに?」
「ご主人様は幸せ?」
「急にどうしたのよ…」
「…」
「…」
「…」
「……よ」
「え?」
「幸せよ。…幸せ過ぎて頭おかしくなりそう」
「ふふふっ。そっか…。そっかぁ…」

ご主人様は両腕で名一杯、ぼくを縛った。
思わぬ痛みに少し嬉しくなってしまった。
心のずっとずっと奥が暖かい。
今、ぼくが抱くこの気持ちの名前はわからない。
だけど、いつか名前を知る日が来る気がする。
でも、今は陽だまりに身を寄せ合っていたかった。

ぼくと彼女の約束が果たされるのは、まだ少し先の未来の話だ。

May 29, 2017
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