Novel | ナノ


  03 深紅の繋縛


半べその少女を見て、ぼくは全身の血が引いていく感覚に陥った。
考えるよりも先に少女の元へ駆け寄り、死角になりそうな所へ手を引き逃げる。
彼女を出来る限り見えないように、死角の奥へ奥へ押し込むように隠す。
少女の表情を確認するように、その場にしゃがみ込む。
その姿に安堵したのか、ぼくの手を握って来た。
震えたその手を握り返す。

「どうして…部屋の外に……」
「お手洗いに行ってたの」
「そ、そうだったんだね。今、おじいさんは君の部屋に居るはずだよ。そこに1人で行けるかい?」
「お兄ちゃんと一緒がいい。怖い」
「大丈夫だよ。怖くない」
「だって、この家、化け物いるもん。怖い、怖いよう…」

ぼろぼろと涙を流しながら訴える。握った手を放し、少女は両手で涙を拭い始める。
このままでは、ぼくと一緒にいるこの子も始末される可能性がある。
涙を流す少女の頭を撫でて落ち着かせる。

「いいかい。よく聞いて」
「…うん」
「これはかくれんぼなんだよ。鬼は君が言っていたあの化け物。ちょっと見た目は怖いけれど、実はぼくの友達なんだ。だけど、今は敵同士」
「うん」
「おじいさんのいる君の部屋まで行けば君の勝ち。もし、君が勝ったらぼくがなんでも君の言う事を聞くよ」
「ほんとう?」
「本当だよ」
「…じゃあ、私と結婚して!」
「あぁいいさ。それじゃあかくれんぼ開始だ。絶対鬼に見られてしまってはダメだよ。特に物音には敏感なんだ。抜き足差し足忍び足って、ね?」
「うん!頑張る!じゃあ、指切りげんまんね!」
「はい」
「指切りげんまん、嘘言ったら針千本のーますっ!指切った!」

少女はさっきの泣き顔が嘘のように笑顔になっていた。
ぼくの言いつけを守ってか、静かに足を進める。彼女を信じて、ぼくは反対方向へ足を進める。
少し歩いた所で立ち止まり、鞘でわざと床をコンコンと大きく鳴らす。

「さぁ、おいで。ぼくらの戦場はこっちだよ」

その声に反応して、太刀と薙刀がやって来た。
殺気に満ち溢れている2体の姿を見ていると気圧されそうになるが、そんな場合ではない。
仕掛けて来たのはあちらからだった。
大きく振りかぶる太刀は、幸いなことにぼく以外狙っていない。
手が痺れるほどの重い一太刀を受け、一瞬怯む。
その隙を狙うように連携して薙刀が攻撃を仕掛けてくる。

「く…ッ!」

間髪を容れずに繰り出される攻撃に、着衣は乱れ、じわじわと痛みが身体全体に沁みてゆく。
口の中が切れたのか血の味が広がり生を実感する。
なんて愛のない、価値のない痛みなんだろうか。
まだご主人様に冗談交じりに叩かれるほうが良い。
あぁ、こんな所で折れるわけにはいかない。
ぼくは必ずご主人様の元へ帰らなければならない。必ず…!
刀を握りながら、目の前に対峙する検非違使に狙いを定める。

「ぼくは、ご主人様を悲しませる為にいかないんだ…!」

狙いを定めて検非違使達を斬る。
彼等はぼくの行動に驚きを隠せなかったようで、反撃出来ないまま散ってゆく。
はぁはぁと肩で息をしながら残りの2体を探す。
思っていた以上に手古摺ってしまった。
乱れた服は気にせず鞘で床をカリカリ鳴らしながら進む。
それでも検非違使は来ない。

「まさか…!」

嫌な感じがして来た道を全力で帰る。
息も絶え絶えにそちらに向かった。

***

先ほどまで静かに降っていた五月雨は、雷鳴と共に地面に跳ねるように降っていた。
想像していた以上に深手で、部屋に辿りつくまで予想以上に時間が掛かってしまった。

「だ、大丈夫かい!?」
「お兄ちゃん!」

少女は泣きながらぼくに抱き着いてきた。
落ち着かせるように彼女の頭を撫でる。
ご老人は傷ついたぼくを見て酷く痛ましい顔をしていた。
「ご主人様以外には見られたくないや…」
彼らのぼくを心配そうに見つめる表情を見て、思わず開いていたシャツの第一釦を閉める。

「お兄ちゃん大丈夫?すごい怪我してる…」
「あぁ、大丈夫だよ」
「酷い怪我じゃないか!今すぐに救急車を呼ぶから待っていてくれ」
「大丈夫です!慣れているので。とりあえず無事を確認出来てよか―――」

月明りで照らされたぼくの影が異様なくらい大きい。
振り返ると同時に、太腿に捕まる彼女を突き放し、襖を閉める。
襖の奥から「キャアッ」と小さい叫び声が聞こえる。
少し心が痛いがそれを無視し、靴を履いていない事など気にせずに縁側から食らい付くように外に出る。
背後に居た太刀はぼくの行動に追いついていけなかったようで、刀を構えながらまるで棒のように立っていた。
ぼくの一太刀を受けると太刀は他の検非違使と同様に散っていった。
ふと空を見上げる。
炎で焦がしたような真っ黒な曇天に、獣の唸り声のような低音が響く空。雨は鞭で打ったように強く降っていて、空を見上げた顔に当たって痛い。
ぽたぽたと髪の毛から頬や首筋を伝うように雨粒が滴る。
傷口にこびり付いた血を流すように滴り、それが傷口にピリピリと染みる。
靴も履いていないから、足下が濡れて冷たい。
地面を見下すと雨で流れた血が、足下で血の池のようになっていた。
血の池が反射してぼくの姿を映す。
その姿は酷く歪んでいて、まるでぼくを地獄にでも連れて行くような鬼の形相に見えた。
息を整えるが整わない。気を抜くと身体の力が抜けてゆく。
「ダメだ。まだ。まだ、戦わないと…」
精一杯力を振り絞り刀を握るが上手に力が入らない。
重心が上手く取れず、思いがけなくその場に跪く。
鮮明だった視界は、ついにぼやけ始めた。
「…こんな所で終わりなのか……。…ぼくは、主にもう一度会いたい、愛されたいって願いさえも叶えられないのか……」
不鮮明だった世界に薄らと手を差し伸ばす影が見える。

「お待たせしましたっ!」
「……きょ、兄弟…!?」
「はい!お待たせしました!あと長柄槍1体です!サクッと倒しちゃいましょう?」
「…あ、あぁ…!」

兄弟の小さいが男らしく骨ばった手を握り返す。
ひょいっと軽々とぼくの手を引き、ニコッと常夜を照らす灯火のように笑った。
さすが幸運を運ぶ刀と言われただけある。ぼくの自慢の兄弟だ。

「まさかとは言わないけれど1人で来たのかい?」
「違いますよ。ボクを含めて5人で来ました。でも、残りの方達は帰路確保のサポートに回っています」
「なんだか皆に面倒を掛けてしまっているね…」
「困ったときはお互い様です!」
「…そうだね。ありがとう。……敵は残り1体だけど、なかなか見つからなくてね。二手に分かれてと考えたが、彼らを残して戦うには無理だ」
「そうですね。籠城…ではないですけれど、この部屋の前から動かずに戦うしかないですね。さっきの太刀もきっと兄弟や家主さん達に誘われて姿を現した気がします」
「考えが一緒で安心したよ」
「ボクは右側を警戒するので、兄弟は左側を―――ッ!?」
「ふふふっ。お互い待ちに待ったってところかな?」

最後の検非違使が目の前に現れた。
バチバチと雷鳴を立てながら、蒼白く光る長柄槍はぼく達に狙いを定める。
お互いに一歩譲らない。視線を逸らせば死ぬ。一瞬の判断が死に繋がる。
検非違使が見せた一瞬の隙。それを目掛けて攻撃を仕掛けなければ。
重い緊張感が漂う。
それを切ったのは、相手からだった。
雄叫びと共に閃光のように攻撃が向かってくる。
鎬を削り、電撃のように痺れるくらいの重たい一撃を凌ぐ。
検非違使はこの一撃で仕留めるつもりだったらしく、一瞬だけ身体がグラッと揺れた。
「あぁ、今だ」
真横に居る兄弟に目で合図をする。
兄弟は目で返事をし、その刃を検非違使に向ける。

「それっ!」

軽やかに舞うように腹部を目掛け斬り付け、検非違使は完全に体勢を崩した。
ここで決める…!
検非違使の首目掛け刀を向ける。

「はあぁああぁぁッ!」

ぼくの刃を喰らった検非違使は蒼い炎が燃え尽きるように消えていった。
検非違使が居なくなったと同時に雨は止み、星空が見え始めた。
終わった。終わったんだ。
そう思うと全身の力が抜け思わず倒れそうになるが、素早く兄弟に支えられた。
身体中が笑っていて力が入らない。
最後は兄弟に手伝ってもらったとは言え、こんなにも多くの敵を1人で相手をしたのは初めてだった。
この時を見計らったように襖が大きな音を立てて開く。
少女は勢いよく飛んで来てぼくに近づく。

「お兄ちゃん!お兄ちゃん…!」
「…ふふっ。大丈夫。大丈夫だよ。裸足で外に出たら風邪引くよ」
「大丈夫だもん!お兄ちゃんこそ大丈夫じゃないよ!身体から血が出てるよ。痛い…。痛いよ…」
「…君は人の痛みを共感出来る優しくて強い子だね…。でもぼく、こんなに怪我していても元気だよ」
「う、うん…」
「泣いていては可愛い顔が台無しだよ?」
「…うん」
「そう。良い子」
「うん!…あっ!隣の人がもしかして、お兄ちゃんの待っている人?」
「え…?あ…」
「どうかしたのかい?」
「い、いえ。そうですよ。ボクの兄弟がお世話になりました」
「君達本当に大丈夫なのかい?こんな酷い怪我をして本当に…」
「はい。痛みには慣れているからね」
「なのでお構いなく!本当に、大丈夫ですから!」
「…わかったよ」
「……さぁ帰りましょう。ボク達の本ま―――いえ、お家に」
「…あぁ」

少しだけ兄弟の表情がいつもより暗く見えたのはきっと夜空のせいだろう。
「帰りましょう」
その言葉を聞いて表情が暗くなった人がもう1人いた。

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