Novel | ナノ


  02 行脚


『…おい』
『っ!?…木陰から急に声かけないでよ。あぁ、ビックリした…』
『……』
『どうかしたの?』
『いいや。…あんた、しばらくここを出るんだろう?』
『う、うん。あ、でもすぐ帰ってくるよ?』
『…そうか』
『大丈夫だよ。大丈夫』

土曜日の朝。
いつもならスッキリ目覚めることが出来たのに、昨日のようなあまり良いとは思えない目覚めだ。
胸が苦しい。蛇口をひねりそのまま流れる水を犬のようにジャブジャブと飲み干した。
水を飲んで少し落ち着いたが、まだ少し頭がボヤボヤとしている。
あの夢は一体なんだろう。
声は私の声だった。だけど、私は誰に話しかけていたんだろう。
顔まではわからなかった。
ふと、時計を見ると6時だった。今、二度寝しても仕方が無い。朝の陽ざしを浴びて身体を伸ばした。
せっかくだから朝ご飯を食べる前に散歩でもしようかと思い立ち、準備を始める。
時計を確認すると7時になっている。思ったよりも時間を食ってしまったが、こんなに散歩日和な日も滅多にない。
左隣に住んでいる人も出かけるようで、ほぼ同時にドアを開けた。

「おはようございま―――」

声が出なかった。隣人が昨夜の高校生だったのだ。
きっと情けない顔をしていたに違いない。

「……おはよう…ございます…」
「ま、まさかお隣さんだとは思わなかったなぁ」
「…」
「どおりで覚えてないのかって聞くわけだ…」
「……最近、こちらに越して来たばかりだから覚えてなくても仕方ないと思うがな…」
「そうだったんだね。これも何かの縁だと思うから、お隣さん同士どうぞよろしく」
「…あぁ」

少し愛想の悪い子だなとは思ったが、今どきの高校生なんてこんなものだろう。
昨日と同じように学ランに大きなギターバッグを背負いながら、鍵を閉めて私の傍を通り過ぎていく。
土曜日というのにこれから学校に行くなんて大変だな。でも、あの姿は勉強というより部活なのかもしれない。
そういえば、最近こちらに越して来たと言っていたけどいつ引っ越して来たのだろう。
仕事に追われてご近所付き合いを疎かにし過ぎていて全く覚えていない。
せめて次会った時に名前くらい言えるようにしないといけないと思い、表札を確認するが掛けていない。

「…まぁ、最近は表札してない人もいるしね…」

自分の表札を見ながら独り言のように呟いた言葉が、空しく響く。
ふと思い出したように道路を眺めると太陽に抱かれるように彼へ朝日が射していた。

***

部屋中から漂うビーフシチューの匂いが作り過ぎたことを物語る。
どう1人で処理しようかと悩んでいると、ガタガタと隣から音がする。
どうやら隣人の高校生が帰って来たようだ。
作り過ぎてしまったビーフシチューをせっかくだからお裾分けしてしまおう。
食べきれずに捨ててしまうよりも、誰かに食べてもらえる方が断然良い。
押しつけがましいと言われてしまったら、その時考えよう。

ピーンポーン

今にも電池が切れてしまいそうな弱弱しいインターホンが響く。
それからこちらに歩いてくる音がする。

「どうも…」
「……あぁ…」
「あの、これ今日ビーフシチュー作っていたら多く作ってしまったので、お裾分けです。お母さんにでも渡してください」
「母はいない」
「え?」
「俺はここで、1人で暮らしている」
「そうだったの!?だったら猶更これ食べてよ。成長期なんだからバランス良く食べないと…」
「…」
「…あ、その、お節介だったらごめんなさい…」
「……別に…」

「有り難く頂く」と小さく呟き、彼は私が持っていた小さな鍋を受け取った。
そのまま彼は扉を閉めようとしたが、ふと思い出した。

「ねぇ」
「…何かまだ用があるのか?」
「その、君の名前まだ知らなかったから教えて欲しいな〜なんて…」
「…」
「あ、その、隣人なのに名前を知らないのって不便だなと思って。決して怪しい意味じゃないから安心して!」
「…」
「…」
「……う」
「え?」
「…黒龍だ」
「へ、へぇ…。凄い珍しい苗字だね…」
「…もう用は済んだか?」
「えぇ。ありがとう黒龍くん」
「……どうも…」

今度こそ黒龍くんは扉を閉めた。
そのまま私も帰宅した。
お裾分けしたとは言え有り余っているビーフシチューを食べながら、彼は高校生なのに1人暮らしだなんて立派だなぁと思った。
私が高校生の時、家を出たいとは何度も思ったことはあるけれど、実際に彼のように1人で生活する気にはならなかったら。
もし、本当に1人暮らしすることになったとしても、どうなるかなんて目に見えている。
あんなに若いのに1人で生きていけるなんて、なんて強い人なんだろう。
そんなことを考えながら食事をしていたが、気付けばビーフシチューを平らげていた。

***

『……行くなと言ったら?』
『え?』
『行くな、と言ったら…あんたは行くのを止めるのか?』
『それは…』
『……今のは気にするな。早く行ったらどうなんだ?』
『えっ、う、うん。行って来ます』

日曜日の朝。
また、あの夢だった。
私は誰かを置いて行った。ただ、今まではそれが誰かわからなかった。
だけど今日は話し相手が薄っすら見えた気がした。
でも、具体的にどんな感じの人だったかまでは覚えていない。ただ服装は学生っぽいなと感じた。
声はどこかで聞いたことがある。悔しいことに誰だか思い出せない。
2日連続で悪夢に近い夢を見れば身体も慣れて来たようだ。
でもせっかくの休みだと言うのに目覚めが悪いのもしんどくなる。
また走りに行こうかと思っているとインターホンが鳴る。
こんな時間に誰だろうと窓を除くと、お隣さんだ。

「…」
「どうしたの?」
「…これを返しに来た」
「え!?もう全部食べちゃったの?流石、若い…」
「……礼をしたい。…今日の夜、あんた、空いているのか?」
「え?まぁ、空いてはいるけど…」
「……奢る。ただ、近くのファミレスにはなるだろうがな…」
「で、でもそんなの良いって!気にしないでよ」
「……来てほしいと言ったら?」
「え?」
「来てほしい、と言ったら…あんたは来てくれるのか?」
「それは…」
「……あぁ、今のは気にするな」

彼はそのまま背を向け去って行こうとした。
一瞬脳みそが震える感覚に陥ったが、考えるよりも先に、口が動いていた。

「待って!」
「…」
「私、まだ行くとも行かないとも言ってないわ」
「…」
「…その、高校生に奢られるのは社会人として、プライドが許せないからそれはナシ。むしろ私が出すわ」
「それでは礼にならない」
「そんなの良いの。じゃあ、黒龍くんが大人になったら奢って頂戴。それでいい?」
「……あぁ、わかった…」
「時間は5時頃でも大丈夫?」
「あぁ」
「じゃあ、よろしくね」
「…わかった」

眼鏡をくいっと上げ、表情は隠そうとしていたが、彼は少し穏やかな顔つきになった気がした。
再び彼の背中を見送った。
バタンと扉を閉める音がしたのを確認して、早急に玄関を閉める。
抜かりなく鍵もし、その場に鍋を抱えながら蹲る。
勢いだったとはいえ未成年、しかも高校生と一緒にご飯だなんてどうかしてる!
警察に捕まってもおかしくない。
いや、でもギリギリ姉弟に見える?いやいや、そんなわけない!
今更後悔したって遅い。
約束の5時まで、あと6時間。

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