Novel | ナノ


  03 黒風白雨


天候は快晴。雨なんて降る気配なんて全くない。カラッカラの天気だ。
どうやら今日は月に一度の大きな買い出しの日だったらしい。
この本丸は寝室が刀種ごとで、最初に来た刀種の男士達がその部屋の長をしていた。
その月一の買い出しにて部屋の長が、主に買い出しが必要な物をリストにして提出していた。
まるで男子高校の寮みたいだなぁと思いながら、部屋の長からリストを預かった。
どうやら今日は、大倶利伽羅さんが同行してくれるらしい。

「それじゃあ、万屋に行って来ます。今日は買い出しする物多いから遅いので、もし夜食べるなら先に食べていても構いませんからね」
「了解。そんなに買い出し多いなら僕も付いて行くかい?」
「大丈夫です。燭台切さんには私が戻ってくるまで指揮取っていて欲しいので」
「わかったよ」
「ちゃ、ちゃんとお土産も買って来ますから!」
「そんな気にしなくたって良いんだよ?…それより、早く行った方が良いんじゃないかな?大倶利伽羅ずっとあそこで待ってるよ」
「あっ、本当ですね!じゃあ行って来ます!あとはよろしくお願いします!」
「いってらしゃい」

玄関先で静かに大倶利伽羅さんは待っていた。
彼の元に駆け寄り表情を横目で確認したが、穏やかな表情のままだった。
だが毎度のことらしいが、一緒に行くことに関して少々不満はあるらしい。
燭台切さんに手を振り本丸を後にする。
万屋までの道のりはそう遠くない。今から行けば夜には間に合うはずだろう。
そう思っていた私がいけなかった。

「皆さんの買い出しのリスト見ていると意外と控えめですよね。…もしかしてここは財政難だったりするんですか?」
「…俺が知っていると思うのか?」
「ですよね…。あの、大倶利伽羅さん。刀剣男士の目線から足りないものはありませんか?このリストに入っている物は購入しませんけど、もしあるのであれば私のポケットマネーと言うことで…」
「…」

大倶利伽羅はリストに目を通し、辺りを見渡し一度こちらに視線を向け音も立てずに何処かへ行ってしまった。
これはついて来いという意味で良いのだろうか。
彼の背中を追いかけ向かった先は、洗濯用品が並んでいた。

「洗剤が足りないんですか?」
「…衣紋掛けと洗濯はさみが足りない」
「…言われてみればそうかもしれませんね」

ここ最近本丸の人数は増え、随分と賑やかになったと聞いた。
自分の洗濯物は各々行うことにしているが、遠征から帰るのが遅かったり、内番だったりで生活リズムがずれたりして、布団や毛布を洗濯する日が被ってしまうことがあるとは聞いたことはある。

「…そんなに足りなかったんですね」
「足りていない訳じゃない。ただ、多い事には超したことないだろう?」
「うん。ありがとうございます」
「…礼を言われるまでもない」

本丸に居る男士の皆さんは、本当に優しくて頼りになる方ばかりだった。
たまに内番で文句を垂れる方もいるけれど、それでも仕事はしてくれる。
彼らは素直で、でも不器用だったり、短い期間しかふれあいは無いが芯のある方達ばかりだ。
会計を済ませ万屋を出ると、あんなに出かける前は晴れていたというのに見上げた空の雲行きが怪しい。
一雨来る前に早く帰ってしまおう。そう思っていたがそう甘くはなかった。
本丸と万屋のだいたい中間地点から降ってきてしまった。
小雨なら走ってなんとかなるだろうと思っていたが、雨脚は強くなる一方だ。

「今日天気予報、雨のじゃなかったんですけどね」
「…おい、あそこで一度雨宿りするぞ」

廃線になったもう誰も使う事のないバス停だった。
明かりはなく狭い屋内ながらもベンチは2つある。
そこでひとまず雨宿りすることにした。
一向に雨が止む気配はない。
むしろ激しくなっているのは気のせいだろうか。

「本丸まで半分は歩きますし、このまま雨止まなかったらどうしましょうか…」
「…」
「流石に夜までには止んでくれますよね」

淡い期待をしていたが、それは呆気なく裏切られる。

***

雨は止む気配が見られない。
バス停のトタン屋根に打ち付けるように降る雨音が、その激しさを物語っている。
あれからどれくらい時間が経ったかわからない。
辺りは暗くなってゆく。このままでは最悪野宿だ。それだけは避けたい。

「…おい。このまま雨が止まなかったらどうする気だ」
「野宿ですね…。ほ、ほら、このバス停ベンチが2つあるので足伸ばして寝ることは出来ますよ」
「…そうか」
「ごめんなさい…。本当は帰りたいです。でも、こんな雨の中は物を持って走って帰るのは出来ないです…」

主は随分と疲弊しているように見える。よく見ると、手は小刻みに震えていた。
どうして俺がこんなことを…。
そう思いながら心持ち粗放に上着を頭へ掛けた。

「えっ…」
「…」
「お、大倶利伽羅さん、いらないです。いらないです!上着脱いだら寒いですよ!」
「…寒くない」
「だって上着の下、半袖ですし…。風邪引いちゃいますよ」
「心配には及ばない」
「……ありがとうございます」

主の声は何処か震えていた。
そして、頭に掛けた上着をゆっくりと取り、主と俺の膝に掛ける。
「ごめんなさい」と主は小さく呟き入口から見える激しく打つ雨を眺めた。
この状況をどうにかしなければならない。
なら、俺だけでも先に戻り雨具を取り、迎えに行けば良い。
今はこの考えしか思い浮かばなかった。

「…俺は帰るぞ」
「え!?こんな雨の中をですか?」
「あんたはここで待ってろ」
「ちょっと待って下さいよ!1人にしないで下さい!お願いです!」
「なぜだ?」
「…あ、ごめんなさい。大丈夫です。先に帰って構いません。風邪引かないように気を付けて下さい…」
「…」
「い、行かないんですか?」
「……冗談だ」
「な、なんだ…。良かったです。こんな雨の中無茶するなぁって思いましたよ…」

ほっと溜息を付き、再び主は暗くなり始めた外を見つめ続ける。
さっき考えていたことをやろうと考えていた。
だが、いざ主を目の前にしてそれをすることが出来なかった。
俺はまだ弱い。思わず力を込めて拳を握る。

「…大倶利伽羅さん」
「……なんだ?」
「本当に、どこにも行かないですよね?」
「なぜ?」
「…なんとなくです。いえ…」
「…」
「お、大倶利伽羅さん」
「…なんだ?」
「…そ、その……手…を、手を握っても良いですか?」
「…」
「あっ、嫌だったら構いません。なんだか、その、暗くて不安で…申し訳ないです…」
「……嫌とは言っていない」
「ありがとうございます」

差し伸ばされた小さい手を握る。彼女の熱が伝わって来る。
その熱は熱くもなく冷たくもない、心地良いものだった。
主の言う通り辺りは闇に飲まれた。そのうえ慌ただしくトタン屋根を叩く雨音は激しさを増している。
明かりになるものは何も持っていない。今日購入した物の中には使えそうな物もない。
何か明かりになるものがあれば、多少は主が安心するのかもしれない。
だが、今はどうしようもない状況だった。

「…拒まれるかと思いました」
「……」
「でも、心の奥底では拒まれないとも思っていました。まだ記憶も戻っていないのに、貴方のことわかっている気になっています」
「……戻りそうなのか?」
「いいえ。まだ、全く思い出せていません」
「…そうか」
「でも、みんな“本当の私”が帰って来ることを望んでいます」
「…」
「……きっと、大倶利伽羅さんも…」

今にも泣きそうなくらい涙を浮かべていた。だが、無理したように笑っていた。
名前や俺達のことを忘れているが根本的なことは変わっていない。
つうっと堰き止められていた涙は静かに零れた。考えるよりも先に人差し指でその涙を俺は拭っていた。
ぎょっとした表情に俺が驚いた。思わず差し出した指を引く。
「すみません」そう言って鼻を赤くして笑ったその笑顔は、音もなく胸に刺さった。
「みんな“本当の私”が帰って来ることを望んでいます」
震えた声で嘆くように助けを求めるように言った言葉。
出来る事なら今すぐにでもその苦しみから解放してやりたかった。
主が苦しんでいる姿は見たくなかった。俺が代わりに記憶を失えば良かったのに。
だが、後悔したって仕方が無い。今現在をどうするか。そう考えるしかない。
「君にしか出来ないやり方で、主の記憶を戻すこと出来る」
ふと光忠の言葉を思い出した。俺にしか出来ないやり方。
そうか。それで良いのか。何が正解なのかは知らない。ただ、今はやるしかない。
俺の中でストンと気持ちの整理が付いた。ふっと息を抜き、主の方へ視線を向ける。

***

まるで雷のように光を帯びた瞳がこちらを向く。
その透き通った金色の龍の瞳に思わず息を呑む。

「ど、どうかしましたか?」
「…」
「大倶利伽羅さん?」
「……うだ…」
「はい…?」
「…もういい加減、やめたらどうだ」
「え…?」
「いつまでそうやって芝居を続けるつもりだ?」
「そっ、そんな芝居だなんて…!」
「……俺は、あんたがわからない」

繋いでいた手は離された。
突然のことに頭が付いて行かない。一体私が何をしたのか。
温かかった手の血の気が引いて行く。

「…ねぇ、大倶利伽羅さん、どうし―――」
「だったら証明してみるんだな」
「わっ私だって…!私だって思い出せるものなら思い出したいですよ!」
「なら何故思い出さない?本丸の連中は心配している」
「心配してくれているのはわかってますよ!でも、それは“私”であって私じゃない。みんなの目は私を見ているようで見ていないんです!どこかずっと遠い所を見ています!こんな思いするのはもう嫌です!どうして…どうして…ッ!」
「…」
「でも…思い出すのが怖いんです…。もしかしたら私は悪い人間なのかもしれない!何か都合が悪いことがあるから記憶を消したのかもしれない!」
「…」
「…そんなこと、そんなことばかり考えてしまうんです。それに思い出そうとすると、耐えられないくらいの頭痛に襲われるんです…」
「…」
「本当は、思い出したいのに…。でも…でも……」
「…」
「…最近思うんです。思い出したくない。思い出したくないんです」
「…一体、あんたは何を言っているんだ?それでも本丸を纏める長が言うことなのか?」
「ごめんなさい…。でも思い出してしまったら、大倶利伽羅さんが好きってこと忘れちゃう。そんなの…嫌だから……」
「……」
「…すみません取り乱してしまいました。…でも、その、ありがとうございます、大倶利伽羅さん」

ボロボロと流れる涙で視界がぼやける。
思い出したい。思い出したくない。覚えていたい。忘れたくない。
もし、記憶を思い出した“私”が大倶利伽羅さんを好きじゃなかったら。
好きを忘れてしまうのが怖い。彼を好きだった気持ちが無かったことになるのが恐ろしくて堪らなかった。
でも、泣いていたって仕方が無い。ただ、大倶利伽羅さんを困らせるだけだ。
いずれ全てを思い出さなければならないのだから。前を向かなければならない。
大倶利伽羅さんが好きだから。だから、私はどんな未来が待って居ようとも逃げないはしない。
頭の中で絡まっていた一本の糸が解れてゆく。

「…ッ!」

あの時と同じ頭痛。鈍く重く激しい痛み。余りの痛みに叫びたくなる。
頭を抱え痛みに耐える。こんな思いはもうしたくない。逃げたい、逃げたい。嫌だ、嫌だ。
この痛みから逃げ出したい。負の感情がドロドロと胸の奥で湧いてくる。
溢れる涙が膝に掛かっている彼の上着を濡らした。ゆっくりと背中を押され、気が付けば彼の胸を借りるよう寄り掛かっていた。
「……我慢するな」
ボソッと天から降るように優しい声は痛みを和らげる。
あぁ、私はこの人を好きになって良かった。一歩通行だとしても最後に想いを告げれて良かった。
心に降る雨がゆっくり晴れてゆく。
痛みで薄れゆく意識の中、私が最後に見た彼の瞳は、私を導く明かりのように眩い金色に輝いていた。

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